いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

尖閣諸島と米国と天然資源。 possession rights

2012-09-30 19:31:48 | 日記
 (1)尖閣諸島領有権(possession rights)問題が国連総会に持ち込まれて、一般討論演説にこれに対する反対演説の応酬で日中が互いに相手国を名指ししての非難合戦をくり広げて、国際社会を巻き込む思惑の新しいステージに入った。

 三大文明のひとつの中国が古代史「明(みん)」の時代からの実効支配説まで持ち出して「日本が盗んだ」と露骨な表現で日本政府の姿勢を非難したのは、GDP世界2位の経済発展国で新興国を代表する中国としては少々表現は悪いが成りあがりものの横柄さ、いささかロジック(logic)に欠けて説得力のない論理展開であった。

 (2)というように、過激な言葉が相乗効果を呼んで批判、非難合戦がただエスカレートするのがこの種の問題の傾向だ。
 日中双方が国際社会から値踏みされる「国」の度量(magnanimity))、見識、成熟度をよく考えて発信、行動することが国益につながることになる。

 双方都合のいい「実証力」などない歴史的解釈、主張は別として、70年代には尖閣諸島を日本の領土だと容認しておいてその後尖閣諸島海域に石油ほか天然海洋資源のあることが伝えられてから唐突に領有権を主張しだした中国姿勢の経緯があり、ともに「実証力」をもたない領有権問題は「実効支配(practical result control)」が唯一の現在値の事実関係であるから、日本の実効支配に対して中国が高い経済力と軍事力で強く影響圧力をかけてくる構図だ。

 領有権に実証力を持たないから、だから一時期(現在も進行中のはずであるが)尖閣諸島海域の天然海洋資源の日中「共同開発」計画が成立していた。

 (3)この問題の背景には日本の防衛方針、日米安保体制、軍事同盟がある。中国が簡単には尖閣諸島領有権問題で「実力行使」できない影響力の背景だ。
 米国も尖閣諸島は日米安保体制の枠組みの中と言いながら、最近は領有権問題には日中双方の問題で双方の話し合い解決を求めて関与しないメッセージを発信している。

 (4)最近の中国のこの問題での対応で日本の「国有化」に強く反抗するとともに、背景にある「米国」との対立にシフトする傾向がある。
 中国政府関係者の「(領有権)闘争は実際のところわれわれと米国との闘争だ」(報道)発信に見られる。

 軽率で思慮のない日本の「国有化」が招いた領有権問題の不必要な拡大化だが、この問題でも中国の視野にあるのは日本を通り越した米国の存在だ。日本の外交能力が問われている。

 (5)中国の最終目的は、すでに管理機能も大変な広大な国土を所有していて、今更「領土」でもない、12億人の国民生活を維持するそこに存在する天然海洋資源なのだから解決の方向性はある。領土問題の解決策は「共同開発」だ。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政党交付金319億円。 subsidy of political party

2012-09-29 19:40:12 | 日記
 (1)政治にかかる資金管理法はかっては「ザル法」と呼ばれて「あってないような」もの、形式主義で変な権威主義のお墨付きばかり与えて形がい化したものだった。
 自民党による長期政権時代の既得権益、密室政治を闇から支えて、裏金疑惑政治の温床となってきた。そういうことがわかっていながら公然とそういう価値観の政治が生きながらえてきたところに、政治になめられた国民主権が位置していた。

 さすがに情報化社会になって政治の透明性が高まり、相乗効果としての政治資金管理の透明性を求める民主主義政治の成長過程の中で、政治資金規正法の見直し改革によりかなりこまかい金額までの政治資金の流れ、使途が判明、周知するようになって、さまざまな問題、あきれた使い道が公然となって国民に対して議員活動の質、能力、責任力が問われてよくわかるようになってきた。

 (2)政治資金の不実記載、目的外使用状況、私用への流用など、「ザル法」時代にはそれでまかり通っていたものが衆目の中にあきらかとなって批判、是正を受けることになってきた。
 総務省が発表した2011年分の政党交付金(subsidy of political party)総額約319億円の各政党の使途等報告書では、「使途に制限がない」ことから政党に交付された資金が政治家個人団体、親族会社、親族個人へ直接支払われる、移す行為、手口が判明した。

 政党交付金は「政党本位、政策本位の政治」のため、国民の投資(税)を「原資」として政党活動を補助するため交付されるもので、「使途に制限がない」ことは本来意味、意義、趣旨ではない。
 自由でかっ達な政治活動資金のためのものというのは、政治活動、政治家の善良な管理者としての責務、責任、自覚を前提とするもので、しかしこの原理原則は政治の見識にはそぐわないことはあきらかだ。

 (3)国民が等しく投資(税)負担する原資は、たとえいかなる崇高(すうこう)な精神性のものであっても目的、行為、使途を前提として明確、明文化して有効で効果的、透明性の高い資金概念とすることは、投資国民の期待に対する政治の基本的責任、政治責任だ。

 国民投資(税)が制限、制約もなく自由でかっ達な政治資金に利用されることがあってはならない。政治家個人が政治目的に賛助者から集める寄付金、カンパなどとは一線を画(かく)して使途目的が違うのは当然だ。

 (4)政治資金の裏金、私用への流用などの温床が、法に基づいて未だに制度として残っているのは理解できない。3年前に本格的政権交代を選択した国民の意思は、そういう従来の「不透明」な政治感覚への否定、決別でもあったから、民主党政権はそれにも応えていないということだ。

 該当する政党、政治団体は厚顔にも「法に基づいて適切に処理している」(報道)とコメントしているが、党、団体、政治家として誤った法律論、解釈の見直し改革こそが率先して実行されるべきことだ。

 (5)個人趣味のCD、マンガ本の購入あるいは親族から高級車の買い取りなどに政党交付金、政治資金が使われるなどとは、余りにも国民投資をなめた行動、行為、あるいは国民の付託を受けた政治家としての緊張感を欠くもので認められるものではない。
 国民投資(税)の意義をよく考えて、政党交付金の使途目的を明確にすべきだ。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国とどう向き合うか。normalization of diplomatic relations in JPN & PRC

2012-09-28 19:34:45 | 日記
 (1)理由の如何(いか)んにかかわらず、かっての日本の軍事政権が中国本土に侵攻して侵略戦争を仕掛け、多大の被害を及ぼしたのは事実だ。この歴史の反省と清算の思いに立って40年前の1972年に日中国交正常化(normalization of diplomatic relations in JPN & PRC)が結ばれた。

 「日本」は米国の押し付けとはいえ歴史反省の平和憲法のもとに戦力不保持を宣言し、自由貿易民主主義国家として再生し、「中国」は共産主義革命で一党独裁国家として統制計画経済のもと広大な国民と国土を統治支配する国となっていた。

 日中国交正常化といっても、政治、経済、社会の原理原則が「正反対」ともいえるほどの「両極」の、しかし同じ東アジア圏の存在感のある国同士として協調発展のために「禍根」の歴史を乗り越えての国交正常化であった。

 (2)それから40年経て今や日本を抜いてGDP世界2位の経済発展国としての新興国を代表する中国と日本は禍根の歴史問題、領有権問題で激しい対立をくり返している。
 40年前の禍根の歴史問題を乗り越えて国交正常化を果たした両国の指導者、政府は当然のように変遷をくり返して、「中国」は共産主義一党独裁国のまま経済発展国として軍事力強化のもとに東シナ、南シナ海に影響力を拡げる戦略を展開し、「日本」では3年前にはじめて本格的政権交代で民主党政権が誕生した。

 ともに政権基盤、とりまく国際情勢の変化、変遷の中で40年前の国交正常化の精神性は今や霧散している。この歴史「現実観」を日中両国は関係正常化の模索の中で正しく理解、認識する必要がある。今更の中国の強硬姿勢などに驚いてはいられない。

 (3)もともと日本と中国の政治体制の違いは「両極」の開きの中からの「国交正常化」であったのだ。当時の両国の指導者は主権にかかわる政治問題は「しばらくは放っておこう」、「20年、30年は棚上げしていい」(報道)との認識のもとでの国交正常化だった。

 (4)この両国の国交正常化精神性を「打ち砕いた」のは、特徴として「靖国神社の首相参拝問題」と「尖閣諸島の国有化問題」との軽率で思慮に欠けた日本政府からのダメージアタック(damage attack)が誘因だった。

 両問題ともに現状に波風をたたせずに対応する方法、つまりそれまでの「現状認識」を維持するだけで日本に何も「不利益」になるものはなかっただけに、当時の今の日本政府の対応のまずさが責められるべきことだ。

 (5)中国の外交発信が過激になるのは、すべてが「国内問題」であり「国内向けメッセージ」発信による統治行為の性質を持つものだからだ。
 12億人の国民と広大な国土を統治する方法は、国外からの圧力、国際問題を国内向けに(ある意味都合よく統制管理して)発信して国内の鬱積(うっせき)した反抗エネルギーを海外に向かわせる、発信する手順で「国内問題」にスパイラルするやり方だ。

 この中国と日本がどう向き合うかは、40年前の政治両極化の中での国交正常化に戻ってよく考えることだ。

 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オスプレイ強行配備。 forcing disposition of ospray plane

2012-09-27 19:26:16 | 日記
 (1)オスプレイ(ospray plane)がいつの間にか28日にも沖縄米軍普天間基地へ配備される見通しが強まった(台風接近で28日は中止発表)。
 日米両政府にとっては安保条約にもとづく同盟関係内の問題で、日本国内の是非の問題ではないと言いたいのだろうが、配備される米軍普天間基地は住宅密集地に隣接する危険な基地として移設することが日米両政府間で合意、確認済みの基地だ。

 そこに近年、オスプレイの飛行中の事故、墜落が相次いで飛行安全機能について問題となっているそのオスプレイを配備するという、日米両政府の周辺住民の生活、生命、安全優先の合意、確認にも相反する、矛盾するやはり行動だ。

 オスプレイの飛行危険性は機体構造上の問題であろうと操縦上の人為的問題であろうと、現状では危険度には変わり様もない。

 (2)米国政府、米軍の説明にもとづくオスプレイ事故は操縦上の条件不備による人為的問題だとして、日本政府は改善、安全性維持回復、確認は可能だとして安全性は確認できたと判断した。
 しかし周辺住民生活の危険(日米両政府の共通認識)を回避する義務のある政府は「間違っても安全(fail safe)」の安全基準履行が求められている。

 構造上の問題であれ人為的問題であれオスプレイの飛行安全性が人為的飛行条件遵守ごとき規律で安全保障されてはたまらない。まして、米国に招待されて現地でオスプレイに搭乗して安全性を強調しようとした防衛相のパフォーマンスなど説得力のない意義のない茶番を演じてみせただけのことだ。

 (3)そもそも「軍事上」の飛行物体(ヘリ、オスプレイ、輸送機、戦闘機など)が安全飛行条件、環境条件を遵守して、従って飛行しては「意味」のないものだからだ。そんな「絵空事」で安全性を信用するほど国民は無知でも理解者でもない。

 そもそも①生命を賭(と)して軍事行動で国土、覇権世界戦略を維持拡大しようという米国、米軍の使命観、目的と、②平和憲法による(国際紛争を解決する手段としての)戦力不保持国日本の平和観による「安全度」責任の認識の違いからくる必然的な大きな理解力の誤差からくるものだ。

 ただし、沖縄オスプレイ配備(disposition of ospray plane)問題は、配備する米軍普天間基地の「危険度」について日米両政府が共通認識して移設することが決定している安全度認識が一致しているところにあるから、上記認識、理解力の「誤差」理論をそのまま当てはめることなどできないし、必要もないことだ。

 (4)日本政府はその点を強く主張すべきなのに、はじめからその「目」は国民生活、生命、安全に優先して日米安保条約、軍事同盟にしばられてのオスプレイ容認論であったのは情けない政治、外交判断だった。

 沖縄もオスプレイ配備問題では、かっての元首相の米軍基地移設の国外、最低でも県外言及で不実行に到ったことへの抗議運動ほどのうねり、熱意が伝わってこずに、まさか前回は国内問題で今回はそうではないとでも思っているのか。

 (5)米軍普天間基地の危険度増加とあわせてオスプレイ配備の日米政府の対応の理不尽さ(unreasonableness)は許し難いものだ。もちろん沖縄だけに責任を押し付けるものではない。
 オスプレイのテスト飛行は日本全土にわたるもので、まるで占領政策の強行アピールのような米国、米軍の無謀対応には国民的反発が強い。

 日本政府は、米軍普天間基地の移設合意を基本にオスプレイ配備の見直しを米国政府と協議すべきだ。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おおさか。 tulip concert 2012

2012-09-26 19:35:27 | 日記
 「このホールは本当に思い出深いところです。」と安部俊幸さんがコンサートで話した大阪オリックス劇場に来ています。チューリップコンサート大阪2daysの1stコンサートです。
 旧大阪厚生年金会館ホールをオリックス劇場として再建して従来の1、2階席を3階席仕様に改装して、その3階席まで満員の聴衆がつめかけました。圧巻です。

 午後6時30分すぎにチューリップの5人がステージに登場してオープニングです。ステージ向かって左からベージュのカジュアルなカーディガンにデニム、ベージュのバックスキンの靴できめた安部俊幸(G)、レッド系統の長そでシャーツの両腕をまくった姫野達也(V G Pf)、濃いパープル生地のシャーツの上田雅利(Ds)、淡いグレー生地に細い縦じまシャーツに濃紺のエナメル靴できめた財津和夫(V G Pf Harmonica)、ブルー系統のシャーツの宮城伸一郎(B)です。

 ホールの残響音、反響音が気になる音響効果で、楽器のアンサンブル(ensemble)もいまひとつでギター、ベース、キーボード、ドラムの一体感がなくてチューリップの完成されたメロディ、リズム、ハーモニーのサウンド構成も生かしきれないステージ音響です。
 しかも2daysの1stライブということもあるのか、チューリップのメンバーもおとなしめ、控え目の歌、演奏の印象を受けました。

 その中でも第1ステージでの「おいらの旅」、「Mr.プレスマン」での『ロックしてる』財津さんがいて、日本語詞とロックンロールがマッチした歌唱力で強力、リバウンド、楽しさがよく出た楽曲となりました。財津さんのロックンロールはいいですよ。
 第2ステージでの「青春の影」、「虹スニ」は圧巻の財津ボーカルを聞かせました。アンコールでの「夢中さ君に」では乳白色のギターボディーのネオンギターにきれいな光の花が咲いて鮮やかでした。

 安部俊幸。
 「チューリップにとってはこの会館は本当に思い出深いものです。すごくなつかしいです。私にとりましても思い出深いところなんです。チューリップで初めてMCをやらせてもらいましたのはこの会館です。
 アマチュアバンド時代からデビューして2年近くまではMCは財津さんがひとりでやっていました。財津さんから演奏、歌に集中できるからと、すこしMCをやってくれないかと言われまして、僕は声が前に出ない口にこもるので無理だと返事したんですが1度やってくれないかとその日ですよ、その日に言われて思いっきり緊張してなんとかやり終えて、財津さんからやりゃ出来るんじゃないかと言われて、その日からすこしづづMCの場所が増えていきました。
 今でも僕は初めから財津さんがMCをやった方がいいとも思っているんですが、よろしくお願いします。」と生ギターコーナー安部さんボーカルの「思えば遠くへ来たもんだ」。

 姫野達也。
 「きのう大阪で安部俊幸と夕ご飯を一緒に食べにいこうかということになりまして、大阪だとお好み焼きかなと、街々、都市々々でおいしいものがたくさんありまして、大阪ならお好み焼きかなと思いながらおいしくいただきました。大阪に来たらやっぱりうどんが食べたくなります。
 会館に来て昔よく食べた近くのうどん屋さんからの出前をおいしくいただきました。僕のふるさとの博多にもいろんなおいしいものがありまして、からしメンタイ、ラーメンとかみなさんもたくさんめしあがったと思うんですが元気がでます。
 デビューして「心の旅」のすぐあとあたりまでは余裕がありませんで、ふるさとを顧(かえり)みる余裕がなかったんですけど、その後ちょっと余裕が出てきまして次に歌う曲は博多の曲なんでこうして博多弁を出してしゃべっているんですが」と姫野さんボーカルで「博多っ娘純情」。

 財津和夫。
 「チューリップの歌は君とか僕がよく出てきます。もしこれがおまえとかおれとかいう言葉づかいをしていたらきっとファンの質がちがっていたんでしょうね。もっとセクシー(sexy)なバンドになってたでしょう。そこでこの曲をおまえとおれを使って歌ってみたいと思います。」と財津さん、「魔法の黄色い靴」のおまえ、おれバージョンを数小節歌いました。
 「どうですか、ちょっとセクシー(sexy)になれましたでしょうか。」

 「チューリップは昔、本当に学生のようなバンドだって言われつづけました。たしかに自分たちの意識の中にアマチュアみたいなそんな感じもありました。でもしばらくやっていって、プロらしくなれたと思ったときもありましたが、どうしてもやはりプロ意識を持っていてもプロにはなれない気質を持って今日までやってきました。甲子園に高校球児として出場しているような感じですかね。
 こうやって今日みなさんの前で演奏できるのは、プロ意識があったら果たせなかったかもしれません。学生気分でみんなよくやってきたなと思うこのごろです。」と財津さんがチューリップの歴史、精神性を最後に振り返りました。

 チューリップの5人と聴衆の何度もの両手をあげてのバンザイコールで終わりました。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする