いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

私的な財津和夫論。(第21回) private essay about k. zaitsu

2011-07-16 19:44:57 | 日記
 「私的な財津和夫論」第21回は、「ハワイ」です。
 21 ハワイ
 79年は、チューリップ8周年を記念して7月5日に「虹とスニーカーの頃」を発表して、8月1日~25日まで「8大都市コンサート」ツアーを開催しました。ツアー・コンサートのエピローグ(epilogue)はハワイ・ホノルル、ヒルトン・ハワイアンビレッジのコンサート・ドームです。

 メンバーは8月23日夜に成田を出発して日付変更線をはさんで同23日午前9時(現地)にホノルル国際空港に到着しました。
 同コンサートのポスターでは、めずらしくメガネをかけた青年、財津和夫さん(当時31才)がこちらに笑いかけています。
 メンバーは現地入りして25日のコンサート当日まで、海、ディナーショー、ゴルフでリラックスしたハワイを楽しんでいたようです。

 79年は、チューリップ・オリジナルメンバーとして最後となるコンサートで、翌80年1月に吉田さん(B)と上田さん(Dr)が脱退します。当時の記録(the tulip 2222 , live act tulip in 8 big cities)によりますと、ハワイ・ホノルルコンサートは8月25日午後8時41分~11時47分まで3時間40曲のステージライヴです。ハワイ・ホノルルは、この時期毎週ラジオ局でチューリップ特集が組まれているとあります。

 ホールのヒルトン・ハワイアンビレッジのコンサートドームはキャパシティが2000人でコンサートツアー参加者は「2週間で満員となり、追加の便を出すことになった」とあります。
 ステージはトロピカルなハワイアンドームを演出して高い岩壁に囲まれた洞くつ内のイメージで構成されています。ステージ向かって左から、財津(V G Pf)、吉田(B)、上田(Dr)、安部(G)、姫野(V G Pf)のポジショニングです。
 財津さんは、赤の半袖Tシャーツスタイルで登場です。

 オープニングは「ハーモニー」で、直前に発表された「虹とスニーカーの頃」がエンディングの40曲とあります。

 79年というと、前年に当時としては企画、演出、ステージング、音響、観客動員すべてに破格の鈴蘭高原野外コンサートに全国から8000名を動員して、財津さんも30才を迎えてこの時期青年ミュージシャン、チューリップの創始者、リーダー、責任者として自覚、自信に満ち溢(あふ)れた音楽と時代の先駆者としての精かんな顔つきをしているのが特に印象的です。

 財津さんの「自分たちの手によって新しい音楽を生みだしてゆく素晴らしい若者たちの機が熟すまで、じっと待ってあげることが僕たちの義務ではないかと思うのです。
 でも、新しい芽の追随を僕は決して許しません。そう決心し、闘うことが日本のポピュラー界に新しい風をおくり込むことになる。」(live act tulip in 8 big cities引用)という言葉に、自らの音楽と時代をきりひらいてきた財津さんのフロンティアな生き方の自負心が伺えます。

 来年、チューリップは結成40年を迎えます。創始者、リーダーとして財津さんは、プライベート・オフィスの同じく25周年のツアーイベントに、来年早々にハワイを選びました(HP公開)。
 財津さんは今までも、ビートルズ「ヘルプ」の映画ステージとなったカリブ海、近代未来化のラスベガスと話題、企画、興味のすぐれたプライベート・ツアーを開催しています。

 来年のハワイツアーも財津さんならではの企画力、興味のあるツアー・ポリシー(tour policy)が期待されます。どんなツアー・コンタクト(tour contact)が聞かれるのか、報告が楽しみです。

 参照 the tulip 2222(単行本) live act tulip in 8 big cities(写真集)
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