みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

純粋人

2013-11-28 | おきにいり

徳富蘇峰著の「吉田松陰」を読みました。


岩波文庫

明治の元勲はすでに位高く志満ちて意欲を失い、今や維新の大業はなかば荒廃した
と表紙に書かれている「危機感」の中で、徳富蘇峰が、講演と雑誌連載をもとにまとめた松陰伝です。

特に面白かった文章をほんの少し書き出します

鎖国時代の悪影響を述べた個所
国民的観念は、相対的の観念なり。外国と接触しきたりて、始めてこの観念は発揮するものなり。(中略)封建鉄網細工の成功は、日本国民をして精神的の侏儒たらしめき。然りといえども識者の眼識は境遇の外に超逸す。熊沢蕃山の如き、その一人なるなからんや。彼はびっこの駝鳥なれども、なお万里の平沙をはしらんとする雄気あり。

松下村塾を評した個所
松下村塾は、徳川幕府転覆の卵を孵化したる保育場のひとつなり。維新革命の天火を燃やしたる聖壇のひとつなり。笑う勿れ、その火、燐よりも微に、その卵、豆よりも小なりしと。

吉田松陰を評した個所
彼は弾丸の如し、ただ直進するのみ。彼は火薬の如し、自ら焚いて、しこうして物を焚く。彼はつねに身を以って物に先んず。

吉田松陰の刑死を評した個所
刑場に赴くや、新郎の新婦の筵(えん)に赴くほどにゆかざるも、猛夫の戦場に出るが如く、勇みたりしなり。


      

もう随分以前アップしたことがある平家物語、日本人なんだから原文のままでも読めるはずだ、と思って読んだら、本当に読めたのです。もちろん、現代的表記にしてあります。
なぜ、日本人だから読める、と思ったかと言うと、それより以前、ペンギンブックスでシェークスピアを読んだからです。ペンギンブックスのみならず、現代発行されているシェークスピア戯曲は、古い英語に関する脚注が豊富で、本文と脚注の行ったり来たりがちょっと面倒ですが、誰でも読めるのです!それなら、自国の古語なんか読めるはずだ!と、古い本を読むようになりました。万葉仮名とか漢文のままの原典は無理ですが、そうした古典も、今では現代表記で出版されていますから、誰にでも読めます!

徳富蘇峰の文章は、明治特有の、現代から見れば仰々しい表現が多く閉口しましたが、吉田松陰の姿は、かなり良く浮き彫りにしています。

吉田松陰の尊皇攘夷論には全く賛成しませんが、当時の状況の中での松陰の立場は理解できる、と思っています。何より印象的なのは「至誠にして自ら欺かざる」と徳富蘇峰が評した松陰の純粋さでした。

本書には、松陰が獄中で記した留魂録全文や、松陰から妹への手紙も載っていて、大変印象的です。





秋の華2013

2013-11-24 | おきにいり

春には風邪で行けなかった華道展 今回も、ちょっと体調不良ながら行ってきました

「現地滞在時間」が短く、作品の写真も昨年秋より少ないため、どっと羅列します


1)会場の区役所前広場にある教会


2)区役所前に建てられたクリスマスツリー

昼間のせいか週末のせいか、点灯していないので、ただの木

3)広場の一角

ほぼ落葉しましたが、やっと黄葉の木や常緑樹も・・・

4)区役所入り口


5)清々しい雰囲気の作品(桐の実と菊)


6)太さの違う脚がフラーッ(と見えました)


7)


8)ある作品の「下半身」


9)その「頭部」


10)白樺の花器・・・


11)・・・その実態は(別の角度から見たところ)

白樺の皮を集めてアレンジしたらしい

12)不思議な花器(拾いものかも)


ウィーンの森やドナウ河畔で、思いがけない芸術的な「自然物」を見つけ花器に使ったり、花屋さんでは入手できない植物を採集して使うと、とても新鮮で独創的
苔のついた太い枝などは、皆さん苦労して採集されるようです。

13)大きな作品の「基部」


14)何気なくモダンで、しかも華道の味わい


15)棒にぶら下げた風呂敷ではありません


16)右端に「肢の花」


17)窓の外は広場と教会


18)



昨年の秋の華
その1
その2


 前回のご説明

「ことば」カテゴリーに登場する言葉は、全く勝手なジョークでありまして、イケメンは「池面」や「味の良い麺」などになります。従って「あんこの照り焼き」なんて料理もお菓子もありません。






あんてり

2013-11-22 | ことば

あんてり  とは何でしょう!?

色々意味がありまして・・・


その1)あんこの照り焼きを略して餡照り

ペイントメニューでマウス描きしてちょっと加工


その2)恐るべき子供たち

Enfants terribles(アンファン・テリブル)の略
(コクトーの小説は「レ・ザンファン・テリブル」)
これもマウス描きにちょっと加工


その3)反教養主義:Anti-intellectualismの略でアンテリ

Wikipediaフリー画像(左がインテリで右がアンテリ)


その4)キリスト教聖職者の着る長いドレス

これもWikipediaフリー画像で、これはシリア正教のドレス

日本では英語のキャソックが一般的なようです。アンテリはギリシャ語起源らしい・・・


その5)人名
Anteriでネット検索すれば、沢山アンテリさんが登場します


その6)その他色々(骨の名称など)






定番の夢

2013-11-20 | マウスらくがき

誰でも「良く見る夢」というのがあるのではないでしょうか?

ある人(ウィーン暮らしのスロヴァキア人女性)は、蛇の夢を良く見ると言っていました。素人考えの単純な推定では、この人はごく小さい頃、蛇を見て怖い思いをし、記憶は消えても潜在意識に残っているのかも・・・

私の良く見る夢は「道に迷う夢」で、目的地へ向かう途中、次から次へ道に迷い、周囲の風景が荒唐無稽に脈絡なく変化して、どうしても目的地に着かず、放浪しているうちに目が覚めます。
大抵は旅行中なのですが、数日前には、どこかの大学で、何かの研究室へ行こうとしているというバリエーションを見ました。建物に入るたびに通路で迷って、また出てきて、キャンパスには教会があったり、お寺の庭園があったり、困りつつ、迷路を楽しみました。

その中で、こんな廊下も通りました

マウスで描いてちょっと加工


      

ちっとも目的地に到達できないので、ちょっと焦りますが、怖い夢ではありません。それどころか、次々と素晴らしい風景が広がるのです。

単細胞人間ですから夢のカラクリも簡単です。旅先で道に迷ったことは良くあるのです。現実の旅では、大抵、通りがかりの人に尋ねて目的地に到達するのですが、一度非常に焦ったのはイスタンブールの有名な屋根付きバザールで道に迷ったときで、このときは、一瞬、もう外に出られないかも、なんて思いました(でも、結局子供に聞いて外へ出ました)。こんな記憶が潜在意識の中に沈殿しているのかも知れません。

美しい風景は、当然自分で見たもののほか、絵画や映画の風景も作用しているでしょう。とりわけ宮崎駿のアニメ映画の風景が大きな役割を果たしているように思います。






女の嘆き

2013-11-18 | おきにいり

前回の歌から更に、似通った「おきにいりの歌」を思い出しました。

カルミナ・ブラーナの中のCB185「Ich was ein chint so wolgetan」。

「私も昔は身持ちの良い娘でした」

古い時代の音楽をオリジナルな楽器と演奏と再現するクレメンチッチ・コンソートの歌と演奏。
実際の演奏を鑑賞したこともあり、以前は身持ちの良かった娘のパートをカウンターテノールが歌います。舞台のパフォーマンスがユーモラスでステキなのですが、そういう動画は版権などの問題があるらしく「イラスト付き」しかありませんでしたが、歌だけでも雰囲気は伝わります。




歌のおおまかな内容は・・・
私も昔は、世間でも評判の身持ちの良い娘でした
あるとき花を摘むため野原に出掛けると男が花を摘んでくれました
その男は上品に私の手をとって(でも本当は悪質な下心があったのです)
「お嬢さん、森へ行って菩提樹の下に座りましょう」

・・・以下略(成り行きが、あまりにも平凡で分かりきっているので

歌の女声(カウンターテノール)と男声のかけあいは、このお嬢さんとならず者のやりとりです。繰り返し挿入される「合いの手」は
やれやれ、クソいまいましい菩提樹の樹め!

クレメンチッチ・コンソートの「カルミナ・ブラーナ」はネウマ譜によるオリジナル版で、中世の庶民の情緒とバイタリティーが伝わってきます。
「カルミナ・ブラーナ」の歌には、梁塵秘抄閑吟集に通ずるものを感じます。


一般的に知名度の高い「カルミナ・ブラーナ」は、カール・オルフの作曲したものです。中世のオリジナルの素朴さはありませんが、迫力があります。

カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」








男の嘆き

2013-11-16 | おきにいり

前回、好きな絵を思い出したついでに、好きな歌を思い出しました

以前に男装の話でアップしたシェークスピアの「十二夜

Wikipediaフリー画像で、その一場面。

オルシーノ公爵とチェザーリオの名で男装しているオリヴィア

名前の表記はイタリア語にしてありますので英語発音とは違います


もう大分前、ウィーンで、ロイヤル・シェークスピア・カンパニーの「十二夜」を見たとき、下のYouTubeで歌われる伝統的な歌がナマで聴けるのを期待したのですが、残念ながら新作のメロディーで歌われました。シェークスピア劇の世界的権威である同劇団としては、伝統的な旋律ばかり使うのを避けたのだろうと思います。ブルク劇場で見たドイツ語版のときはどうだったか忘れました。忘れたということは、伝統の旋律は使われなかったということだと思います。

歌そのものは1分54秒で終り、あとは画像だけになります



どちらかと言うとドタバタ喜劇の要素が強く、大笑いする劇の最後で突然メランコリックに「酔いから醒める」のです

例えば、サー・アンドリューが「私は牛肉を食べ過ぎて頭が悪い」といった内容のセリフを言うところでは、「狂牛病」の記憶が鮮明な頃だったので大笑いでした(犠牲者にはゴメンナサイ)。

歌詞については優れたサイトがあるので、こちらをご覧ください
「道化の歌」の項の最後に「ヘイホー」の日本語訳があります。


歌詞には、人生を振り返る男の諦めの境地が感じられます。で、女の場合も思い出しちゃったので続きます、ごめんなさい 乞無期待





夜と昼

2013-11-14 | おきにいり

聴覚に関する話が続いたので、視覚の話で気分転換


もう何年も前でありますが、ルーブル美術館で

ほかはどうでもいいから、これだけ絶対見るぅぅぅ

と、突進したのが、下の絵です(モナリザなんか、どうでもいい!一応見たけど)

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールマグダラのマリアです。



当時、パリの友達に絵の前で写真を撮ってもらったのですが、本人が入っているのはマズイし、それに、実は、どこにしまってあるか不明なのです

ラ・トゥールの絵は、ロウソクの光による夜の情景が見事です。私は勝手に「ラ・トゥールの夜」と呼んでいます。

「ラ・トゥールの夜」をアップすると、セットで私のお気に入りになっている「昼の画家」も思い出してしまいました。
ヤン・フェルメールです。
小説がベストセラーになり映画化された「真珠の耳飾りの少女」も代表的名作ですが、「フェルメールの昼」は他の名作でないと味わえません(目で味わう)。

牛乳を注ぐ女


「ラ・トゥールの夜」と「フェルメールの昼」はアルプス以北の普遍的な光を表現しているように思えます。私の好きなティントレットの光は全く違うものです。

画像はいずれもWikipediaのフリー画像です。


Wikipedia:Girl with a Pearl Earring (novel)
この本はロンドンの友達からもらって読みました。フェルメールという、史料の殆ど無い謎に満ちた人物の伝記でない伝記で、本当の主人公は名画そのものだと思います。フェルメールの絵のように緻密な静寂に満ち溢れた物語です

 蛇足ながらラ・トゥールも史料のない謎の画家です 

フェルメールの傑作「絵画芸術」については憧れ1にアップしてあります





終点

2013-11-12 | おきにいり

前回原点の続きです。

原点の反対語は極点のようですが、この場合は、原曲からこれ以上「改竄(良い意味で)」するのは、ほぼ不可能という意味での「終点」です。

メフテルという上質の食材に、様々なスパイスやハーブを加え、技巧を凝らして仕上げた最高級オリジナル料理です


モーツァルトの有名なピアノソナタK331「トルコ行進曲付き」



演奏データはありませんが、音の感じから古い楽器での演奏と思われます。


上のピアノソナタほどポピュラーではありませんが、やはり原点のモチーフを見事に「改竄」したバイオリン協奏曲K219



ヘンリク・シェリングの演奏

このバイオリン協奏曲第3楽章は、何食わぬ顔で始まり、2分5秒あたりで、ちょっと前触れ、3分30秒で「舞台」を変え、4分のところからと5分16秒からトルコのモチーフが明確に登場。再び、何食わぬ顔で終わります。
「白々しい」名曲です


今さらリンクする必要も無いけど
Wikipedia:モーツァルト


 話はまだ続いて、だんだん脱線の予定・・・ で、乞無期待 





原点

2013-11-10 | おきにいり

三兄弟の週末の付録としてアップしたYouTube「トルコ人のセレモニーのためのマーチ」には原曲があります。非常にインパクトの強い曲で、様々な派生曲を生み出しています。この潮流の原点ともいえます。

日本でも良く知られているトルコの伝統的軍楽です。




オスマントルコ帝国が最も西進したのは、1529年にウィーンに迫ったときから、1683年に第二次ウィーン攻囲を行ったときまでです。この間約160年の間、オスマントルコはハンガリーを占領していましたから、トルコはウィーンのお隣さんでした。1529年と1683年、ウィーンがオスマントルコ軍に包囲されたときは、この軍楽が毎日、城壁の外から聞こえたことでしょう。市民にとっては恐怖であると同時に、極めて印象的だったことと思います。

私がイスタンブールで買ったメフテルのCDでも、この曲が最初に入っていました。


メフテルとは関係ないと思いますが、小アジアの軍楽の、遥か極東における遠い親戚のようなモチーフを「七人の侍」に聞き取ることができます。




作曲者:早坂文雄


      


原点から少し先へ進む話はぼつぼつ続きます。 乞無期待






蛇なし宮殿

2013-11-07 | 旧市街

前回の続きです。
人込みに疲れたので、もう帰ろうと思ったら、市電停留所前の宮殿(国会施設)には長蛇の列がありませんでした。
以前に民主主義工房としてアップしたエプシュタイン宮殿です。

また、ぴんぼけ写真を羅列しました

1)入り口の奥の中庭

説明のビデオを見ている人

2)上を見上げたところ

上部はガラス張りで雨の日も大丈夫

3)階段の途中から見た中庭


4)この上のサロンの数々が祝日で一般公開されています


5)サロンのひとつ


6)大通り側の窓


7)下は市電と市バスの停留所

以前の記事のぴんぼけ写真は下の電停から撮ったもの

8)各室の天井が見事


9)窓から見た国会議事堂の一部


10)別の部屋の天井


11)隣室へつながる部分


12)また見事な天井


13)公開されている最後の部屋


14)外に出てきても人込みは相変らず


エプシュタイン家も以前に紹介したエフルッシ家と同様、19世紀末から20世紀前半のウィーンの経済と文化を支えたユダヤ系上流市民です。
女傑の空白で紹介したエフルッシ宮殿の内部も、ここに見られるのに似た内装ではないかと想像されます。

エプシュタイン宮殿は1873年の経済恐慌のとき、エプシュタイン家が売却、その後、市の教育委員会の建物でしたが、ナチスの時代には「第三帝国」の国家施設となり、戦後は再独立までの10年間、ここにソ連軍総司令部が置かれ、その後、再び教育委員会の施設となった後、2004/2005年に修復され、今は国会の施設となっています。

エフルッシ宮殿の場合は、ナチスの時代まで、エフルッシ家の人々が住んでいたのですが、ナチスによって没収され、エフルッシ家の人々は財産を失い亡命せざるを得ませんでした。戦後の占領時代はアメリカ軍の施設として利用され、再独立後エフルッシ家の相続権者(「琥珀の目の兎」著者の祖母)に返却され、相続者よって売却され、2009年までカジノ・オーストリアの社屋でした。現在どうなっているのか、ドイツ語ウィキにもありません。本が世界的ベストセラーになっているので、一般公開あるいはガイドツアー実施などが期待されます。

両宮殿についてはドイツ語のほか英語しかありません。
Wikipedia:Palais Epstein(英語)
Wikipedia:Palais Ephrussi(英語)