みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

菜食のすすめ

2019-05-31 | その他

ちょっと気分転換にチャーミングな動物さんたち 
以前ネット検索中に発見したマンガ(イラスト)です。





豚肉は食べられない。豚インフルエンザがあるよ
鶏肉は食べられない。鳥インフルエンザがあるよ
牛肉は食べられない。狂牛病があるよ

深く考えると色々深刻なのですが、とりあえずイラストの豚さん鶏さん牛さんがチャーミング



 今日の蛇足:オーストリア政界スキャンダルのその後


極右政党副首相が辞任した後、ゴタゴタした挙句、第二次大戦後の第二共和国で初めて内閣不信任案が採決されました。
社会民主党が不信任案を提出し、今まで与党だった極右党も内閣に敵対したからです。
こういう行政主体不在のときには、大統領が臨時政府を任命できます。
そして大統領は、この機会を生かして、史上初の女性首相を任命しました。
この女性は憲法裁判所の総裁だった人で、どの政党も文句のつけられない賢明な人事でした。


大統領の人選を賞賛する記事






煉獄?

2019-05-28 | その他

5月26日は欧州議会の選挙最終日でした。欧州連合内で先に選挙のあった国々でも他の国々と歩調を合わせて26日に結果が公表されました。

いつものHPにオーストリア国内の欧州議会選挙投票動向(左が前回、右が今回)のフローチャートが載りました。



上から国民党(中道右派)、社会民主党(中道左派)、自由党(極右)、緑の党(環境保護)その他となっています。
前回書いたスキャンダルにもかかわらず、極右党の得票減少は僅かでした。つまり、極右党を選ぶ層は「政治とはそんなもの」という発想なのかも知れません。
女性と男性では、はっきり傾向が分かれ、女性投票者層では極右党は第4党、男性投票者層では極右党が第2党でした。また一貫した傾向ですが、教育水準が高いほど極右党支持率は低くなります。
一番下のグレーの部分は投票しなかった層で、今回は少し減りました(投票者が少し増加)。


      


さて以下は長い蛇足です。また長くてごめんなさい


今や遠い昔、欧州連合が発足したころ、ドイツの週刊紙「ディ・ツァイト」に次のようなジョークが載りました。


天国ではイギリス人が警官で、フランス人がコック、イタリア人が恋人で、ドイツ人が全体をオルガナイズする。
地獄ではフランス人が警官で、イギリス人がコック、ドイツ人が恋人で、イタリア人が全体をオルガナイズする。
さて欧州連合は天国か地獄か?



4ヵ国に対するステレオタイプのイメージですが、イギリス人は正確だが料理はまずい、フランス人は料理は上手だがいいかげん、イタリア人はムードはあるがメチャクチャ、ドイツ人は全てを見事に取り仕切るが全然ムードがない、というわけです。

もちろん、これは単なる冗談で、料理の上手なイギリス人もいるし、マネージメントに優れたイタリア人もいます、等々etc・・・

で、実際、欧州連合が発足しても、一般市民生活のレベルで大まかに言えば良くも悪くもなりませんでした。便利になったのはユーロ圏というのができて、近隣諸国へ行く場合の両替の手間がなくなったことです。但し、これも表面的なことで、各国の物価・経済水準、賃金制度等々の違いがあるまま通貨だけ共通になっている矛盾をはらんでいます。

以前にも書きましたが、もともとイギリスは微妙な存在でした。「イギリスはアメリカに近いか?ヨーロッパに近いか?」というジョークもあるほどです。そのイギリスは今や欧州連合を脱退しようとしています。しかし脱退(ブレグジット)に関するイギリス国内の賛否は殆ど半々です。しかし現在の趨勢からは、延期を繰り返した末、10月に欧州連合を脱退する予定です。それでも、まだ連合内なので今回の欧州議会選挙は行われています。なんか変

鉄のカーテン消滅後、旧東欧圏の国々はこぞって欧州連合に加盟したがりました。加盟するだけで突然飛躍的に裕福になるというような幻想を抱いていたのかもしれません。他方、もともとの西側諸国でも「欧州連合への拠出金を出すのは嫌だが助成金はもらいたい、自国のことは自分で決めたい」というワガママが蔓延しています。
冷戦時代は色々な食い違いがあってもソ連圏への対抗という点で団結できた国々で自国最優先のナショナリズムが台頭しています。

しかし、今の欧州連合の出発点は「平和を守る」ということでした。2つの世界大戦でヨーロッパにおける2つの主要な交戦国であったフランスとドイツが「この2国が友好関係を築き維持していかないとヨーロッパの平和は保てない」という考えで歩み寄り、やがて諸共同体が発足。それが紆余曲折を経ながら発展し今日に至ります。経済共同体は「経済的な利害が共通していれば敵対できない・協力しなければならない」という発想に基づいています。


えー、長くなりましたが、今の欧州連合は、天国でも地獄でもなく、せめて煉獄・・・だと思いたいです







聞くも涙語るも涙

2019-05-24 | その他


ニャン友さんの「お尻あい」は、ウィキ・フリー画像で、今回も「賑やかし」です

但し本文からは「ああ、いやんニャっちゃった」というふうにも解釈できます





既に多かれ少なかれ世界中で報道されているオーストリアの政界メガスキャンダル

「聞くも涙語るも涙」というのは「あまりの馬鹿馬鹿しさに笑いすぎて涙が出る」という意味でございます
書くのも馬鹿馬鹿しい、不愉快、というほど呆れた話なのですが、世界的事象になっているので、最大限省略して書きます。


2017年夏、イビサ島のフィンカ(色々な意味がありますが、ここではプール・庭園付き貸し別荘)で、近づく選挙で入閣をめざす極右政党党首が、自称ロシアの新興財閥の姪と名乗る女性に、政治献金してくれたら入閣後には政府の大口注文をすべてそちらに回す、オーストリアの大手大衆紙の株51%を買ってくれたら、批判的な記者を解雇し、自党に有利な記事だけ載せられる、その他あきれ果てた提案をし、政治献金を税務署が嗅ぎ付けないよう、慈善団体への寄付という形でカネを動かそうという話までしているのです。

ところが、これは隠し撮りされドイツの週刊誌「シュピーゲル」と日刊紙「南ドイツ新聞」に提供されたのです。そして2年後の5月17日両メディアで隠し撮りビデオの一部が公表されました。両メディアは守秘義務としてニュースソースを明らかにしていません。入手後も、様々な機関に照会し、ビデオの信憑性を確認したということです。
隠し撮りの後の選挙で実際に副首相となった当人は「酒の上の大言壮語に過ぎない、誰かのワナにはめられた」と弁解しましたが、発言内容はあまりにも無残に低劣なので、結局辞任しました。その後もFacebookで盛んに「自分は無実の犠牲者だ、悪いのは隠し撮りした連中と他の政治家だ」というキャンペーンを繰り広げているようです。

ファン・デア・ベレン大統領
は声明の中で「オーストリアはそんな国ではない」と語っていますが、ビデオの内容からは「オーストリアって、そんな悪質な人間が政治をやっている国なのか」と疑われても仕方ありません。

更に問題なのは、何者かが周到な準備をして隠し撮りしたという事実です。もちろん「これからビデオを撮りますので、本音を話してください」などと言われて本音を明かすほど馬鹿な政治家はいないでしょう。しかし、党首の発言同様、卑劣な手段と批判されても仕方ないでしょう。
他方で、世界中どこでも政治家というものは皆こんなに卑しい連中なのかという危惧を抱かせます。まあ、1万人か10万人にひとりくらいは例外的に清廉潔白な政治家がいるかも知れません。それ以上多いことを祈らずにはいられません。



日本のどの新聞のHPにも記事があると思いますが、一応、日経にリンクしました。
記事の下に関連記事へのリンクもあります。








がじぇ

2019-05-21 | ことば

多分「がじぇ」と発音するのだろうと思います。猫(Katzeカッツェ)の俗語ですが、聞いたことがないので発音は推定です





出典であるこのサイトの説明によると、ヨーデルで使われる言葉で猫だけでなく犬も意味するそうです。
いや、動物一般が「ガジェ」のようです。

ズムガジェはハチさん(ハチさんの「ブンブン」が「ズムズム」)
フルークガジェはカモさん(フルークは飛行で「空飛ぶガジェ」)
テェテェガジェはゾウさん(テェテェは、ゾウさんが鼻を鳴らす音?)
ベルガジェは犬さん(犬が吠えるという動詞原形が「Bellenベレン」)
シンプルなガジェは猫さん
ムーガジェはウシさん(分かりやすい)
ベーコンガジェはブタさん(これも分かりやすい)


以上、ヨーデル地方の牧場の(ほぼ)オールスターキャストでございます
(南方からのゲスト出演の方がおひとり)







聖堂の05

2019-05-18 | その他

シュテファン寺院の西側外壁に「05」の文字が見られます。
これは法的に定められた歴史的記念物で、4隅を鋲で留めた透明のプレートによって保護されています。





これは第二次大戦中ナチス・ドイツに併合されたオーストリアにおける反ナチ・レジスタンス・グループの「シンボルマーク」です。
Oは文字通りアルファベットの「オー」、5はアルファベットの5番目のEで、合わせてOE。これはウムラウト記号を使わない場合の「オーストリア」の最初の文字で、つまりオーストリアを意味します。つまり、このグループは「独立した自由なオーストリア」の再建を目標としていました。

反ナチスの立場から投獄されていた人が出獄してからレジスタンス・グループを組織し、「05」のマークはメンバーのひとりが考案しました。このマークは1944年から主にウィーンとインスブルックを中心とするオーストリア各地で、レジスタンス運動の存在を証明するため建物に書かれるようになりました。そのひとつがシュテファン寺院外壁のものです。

前回書いたシュテファン寺院の火災の頃は、西からの連合軍も東からのソ連軍もベルリンやウィーンの目前に迫り、レジスタンス・グループは存在証明のマークを、あちこちに書いて回るし、ナチスの幹部は狂気の状態だったことでしょう。

当時オーストリアでは多くのレジスタンス・グループが結成されましたが、「05」グループは元貴族から共産主義者までを含む幅広い超党派のグループで、しかも中心人物のひとりは前線から脱走してイタリアのパルチザンに合流し、更にスイスで連合軍幹部の信頼を獲得しました。こうして「05」は連合軍と連携するレジスタンス・グループとなり、戦争末期に重要な役割を果たしました。

しかし戦後まもなく「05」は消滅し、独自の政治組織とはなりませんでした。極めて幅広く様々な思想潮流を含んでいたため、終戦まで一致団結していた夫々の潮流が別々に活動するようになったからです。

「05」を含むオーストリアでのレジスタンス運動の経緯は、かなり複雑で、以上はごく簡略化してまとめたものです。
出典:ドイツ語ウィキ05

シュテファン寺院外壁の05は塗料で書かれたものでした。歳月と共に色が薄れてきたので、石に05と刻み込まれ、透明プレートでカバーされています。
これはオーストリア第二共和国成立の歴史を伝える極めて重要な「証言」だからです。


第一次大戦後、王朝の終焉と共に成立した第一共和国は、ナチス・ドイツによる併合で消滅しました。








聖堂は蘇る

2019-05-15 | その他

パリのノートルダム火災から1ヵ月経ちました。必ず見事に再建されると信じて疑いません


第二次大戦末期、ウィーンのシュテファン寺院も焼けました。


燃えるシュテファン寺院



鎮火後の内部



これまで私は、シュテファン寺院が焼けたのは爆撃か砲撃によるものと思っていましたが、改めてウィキを読んで、全く違う事実を知りました。
今頃になって漸く・・・


戦争中から戦争末期にかけて、多くの空爆や砲撃にもかかわらずシュテファン寺院は殆ど被害を受けることなく終戦を迎えようとしていました。
1945年の4月といえば、大勢は決しており、ナチス・ドイツの敗戦は時間の問題でした。
また、ウィーンでの市街戦を避けるため、反ナチスのレジスタンス・グループも活発に地下運動を進めていました。そうした文脈からは、ある意味当然ですが、1945年4月10日、シュテファン寺院の塔に、降伏を意味する白旗が掲げられたのです。

ウィーン市管轄の司令官は、シュテファン寺院と周辺を管轄していた将校に、手榴弾100発でシュテファン寺院を完全に焼失させるよう命じたのです。100発で足りなければ、更に砲撃を行えという命令でした。これは狂気の沙汰です。シュテファン寺院のような貴重な文化遺産は保存すべく最大限努力すべきもので、しかも歴史的な教会建築をひとつ焼失させてもナチス・ドイツの敗戦は覆りません。白旗が掲げられたというだけで、シュテファン寺院を連合軍と思い込んだのでしょうか。

しかし、シュテファン寺院と周辺を受け持っていた将校ゲルハルト・クリンキヒトは、この命令を実行しませんでした。命令不服従は発覚すれば銃殺刑に違いありませんから、この人は決死の覚悟でシュテファン寺院を守ったといえるでしょう。彼の勇気ある不服従を記念する銘板があるそうですが、まだ見たことがありません。今度探してみましょう。

ところが翌日4月11日から12日にかけての夜間、シュテファン寺院は火災で大きく損傷しました。火災の原因は今日に至るまで確定されていません。最も広く信じられているのは、戦乱に乗じて寺院周辺の店舗の品々を奪った人々が店舗に放火し、その火が寺院に延焼したというものです。他にはナチス親衛隊の砲撃、進攻してきたソ連軍の砲撃という説もあります。


再建は終戦直後から始まり、再鋳造されたプンメリンの完成とともに1952年から再び一般公開されました。


関連記事
汀のマリア
西洋除夜の鐘


英語ウィキ:Pummerin
日本語ウィキのシュテファン寺院記事では大戦末期の出来事は全く触れられていません。
ドイツ語ウィキ
に近く詳しいのは英語ウィキです。







勝平とライワ

2019-05-12 | ことば





写真はウィーンの地下鉄通路で、現代画家の作品が展示されています。
本題とは全く関係のない「賑やかし」でございます


子供に名前をつけるとき、親は何かを記念したり願望を込めるものです。著名な人物の名前をつける場合もあります。世界中共通だと思います。
顕著な例のひとつは、ナチス時代のドイツで、ヒトラーにあやかろうと多くの男の子がアドルフと名付けられたことです(じきに後悔することになる)。

名前に願望を込めた著名な例は坂本竜馬でしょうか。ドラゴンホースですね

何年も前に長引く下痢をして以来止めてしまいましたが、それ以前は定期的に市営プールで泳いでいました。
泳ぐというのは、本当に、それだけに集中しなければならず、泳ぎながらできるのは、あれこれ考えることくらいです。
ある日は、泳ぎながら人名の「翻訳」をしていました。上記の「ドラゴンホース」方式で訳せる名前は色々あります。

知り合いのひとりはジークフリートです。ジークは勝利、フリートは平和なので、日本語にすれば「勝平」さんだな、と思った途端、ガハハと笑ってしまい沈没しかかりました。
泳ぎながら笑ってはいけない、という貴重な教訓を得ました


      


ドイツ語では「ei」を「アイ」と読みます。それで、ニュースでも新元号の令和を「ライワ」と発音していました。
平成は「ヘイセイ」と発音していましたから、そのうち「レイワ」に改められると思います。








ゴージャス

2019-05-09 | かりねこ

猫さんもインテリアもゴージャス





猫さんはサバンナで、色々な猫さんサイトを「放浪」していて発見したものです

毛皮の美女あすこっときゃっととともにゴージャス猫さんと言えますが、「高価な商品」とするため野生種(サーバル)とイエネコさんを交配するというのは賛成できません。サーバルそのものが絶滅危惧種なのですから、サーバルとイエネコの交配種を売り出すより、サーバルそのものの保護のほうが大切だと思います。

サーバルもサバンナも後肢がかなり長いようです。トガリネズミの棺にアップした後肢の長い猫さんは親族かもしれません。

高度に進化した動物に共通のことですが、猫さんも固体ごとの性格、個性が千差万別です。どの猫さんも唯一無二で、二度と同じ仔は登場しません。保護猫さんでも素晴らしいパートナーになることは某猫学文献が証明しています。








これも誇大妄想?

2019-05-06 | その他

クラシック音楽に関心のない人でも、学校で習ったか、どこかで聞いたことのある知名度の高い曲、それが「モルダウ(チェコ語ではヴルタヴァ)」。

スメタナの連作交響詩「我が祖国」の2番目の曲です。YouTubeで検索すれば、いくらでも演奏例が見つかるので曲のアップ省略


子供の頃この曲を初めて聞いて感動して以来、広大でダイナミックな流れを想像、曲の最後の部分は、下の写真のような光景だと思っていました。




チグリスユーフラテスが合流したシャットゥルアラブ川ペルシャ湾に注ぐ前の下流です。
雄大ですね~~


そしてウィーンに住むようになってから4回ほどプラハへ行きました。





プラハも大変気に入り、細い裏通りなども歩き回りました。が、同時に音楽の「ヴルタヴァ」に違和感を感じるようになりました。
プラハは確かに素晴らしい芸術的な街ですが、言わば箱庭的な精巧さ、ヴルタヴァ川も箱庭の中を流れる川です。
こんな「小川」を、あんな壮大な曲にするのは誇大妄想じゃない?と思い始めて暫く曲が嫌いになりました。

しかし、その後、反省し始めたのです。スメタナが「我が祖国」を作曲した時代、19世紀後半のヨーロッパは各地で民族主義が台頭し、諸民族の入り組んだ中欧やバルカン半島で各民族の独立への機運が高まっていました。とりわけ皇帝という君主のもとに統合された「多民族の寄り合い所帯」であるオーストリア・ハンガリー帝国では、ハンガリーが王朝内での独立を認められた(アウスグライヒ)のに対し、独立を認められなかったチェコでは一層民族主義が高まったのです。

スメタナはヴルタヴァ川の水源からエルベ川(チェコ語でラベ川)に合流するまでの風景を熟知しており、それを民族主義的に情熱を込めて描写したのでしょう。

シャットゥルアラブ川下流のような光景を想像した私の方が誇大妄想だったのではないかと思います。









もうひとつの500年後

2019-05-03 | その他

以前に今年が神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世の没後500周年にあたることを書きました。500年後の光芒


この方も今年が没後500年に当たります。しかも5月2日が、きっかり500年目の命日でした。
いずれもルネサンス期を象徴する人物と言えましょう。


ダ・ヴィンチの自画像



馬の習作


競馬用の競走馬ではない、当時の軍馬の理想の姿と言えるでしょう。


実はラジオのニュースで聞くまで、2019年5月2日がダ・ヴィンチ没後500周年などとは全く知りませんでした
いつもの新聞HPにもマクシミリアン1世のときと同様、記念記事がありました。

いつものHPの記念記事


ダ・ヴィンチは猫の人でした。以前の記事れおねこ


同じく、いつものHPには、ここらでアヤトン・センナと発音されるレーシング・ドライバーの没後25年という記事もありました。

いずれも、ちょっと見たところ日本の新聞HPには載っていないようです(見落としの可能性あり)。多分、平成から令和への代替わりという大ニュースがあるためで、他に何もなければ、日本でもダ・ヴィンチやセンナがニュースになったか・・・な


いつものHPには、記事ごとに読者のコメント欄があります。新天皇即位の記事のコメント欄には「何だか服装が古臭いんじゃない?」という書き込みたありました。きっと神官の衣服のことだと思いますが、続くコメントには「モダンな服装ってなに?パーカーに作業ズボンでゴムサンダル履けばいいの?」とありました


追記:今年は日墺修好通商航海条約150周年で、ウィーンのラジオ放送局では、1週間にわたり記念特別番組が放送されています。この条約は幕末から明治初期に相次いで締結された不平等条約の締めくくりとも言える最も不平等な条約で、それが後倒しに他の国々にも適用されました。でもまあ、不平等条約は克服されたので、一応めでたし、めでたし。現在、東京で記念の特別展開催中とか。ウィーンではワールドミュージアムで特別展開催中。
以前アップした大名屋敷は細川家のものでした。また行ってみようかなと思っています。

条約改正
陸奥宗光