猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

リバティーでお茶した日の前橋の路地第11回は『才川通りに抜ける路地』です

2017-10-21 05:25:22 | 前橋の路地

昨日も雨、困ったもんです。

 でも朝ごはんは、惣菜を仕込んだので、伯母さんと一緒に食べていた朝食の形に戻しました。伯母さんには「松の実入りの舞茸のきんぴら」を進ぜて。このおかずだと…
サトイモ、シイタケ、マイタケ、松の実、レンコン、麩、クルミ、金時草、ショウガ、カブの葉、ニンジン、ダイズ、ヒジキ、シイタケの石突き、コブ、15種類の野菜が使われています。野菜をあんまし食べない伯母さんに少量多品種の野菜を食べてもらうために始めたことだったんです。

 それから、ユキ子さんが外出している間に、スズラン百貨店の外商の玉川さんが打ち合わせに来てくれたり、お線香をあげに来てくれるお客さんがいたりして、昼食後にやっと自分の時間がきたんです。それで、広瀬川河畔のリバティーへお茶しに行って、名前忘れちゃったんですけどバニラの花の香りがするお茶をいただきました。

ということで、のんびりしちゃったんで、撮り置きの写真使って前橋の路地第11回をやります。

 

 

若宮町を流れる佐久間川です。才川通りと呼ばれる通りと国道17号の間を流れています。佐久間川は桃ノ木川から分水している小河川、もともとは小出村から一毛村にかけての農業用水でした。その後、国領から才川にかけて立地した中小の製糸工場の用排水路として利用された川なんです。

  今ごろはさ、水路の石積の間や堆積土砂で暮らしているミゾソバの花がきれいな時期なんです。前橋のまち中でこんなにたくさんのミゾソバが暮らしているのはここだけみたいです。

 そんな通りを上流に向かって行くと、川の上のほとんどが住宅の入り口や駐車場に使われている一角に出ます。この辺りにね、獣医の原先生の家があったんです。私が初めて一緒に暮らした犬、クマという名前だったんですけど、彼の体調がおかしくなったとき父が紹介してくれた獣医さんなんです。当時はさ、ペットのための病院なんかなくて、普段は牛や馬を診ている原先生に診てもらったんです。診察室なんかなくてさ、玄関先で診察してもらって…

そんな家並の間に才川通りへ抜ける路地がありました。クマを抱えて通った路地なんです。

   
前橋の路地 第11回 才川通りに抜ける路地

 路地の入り口は、佐久間川に蓋するように設えられた駐車場の脇、道とは思えない狭い通路だ。診察を終えたクマを抱えてこの路地に入りこんだのは中学1年生のころだった。

  路地の両側は今はブロック塀、鉄格子の門の内側にはいろんな植物を植えこんだ庭がある。昔は、ここに井戸端があって、水を飲ませてもらった記憶がある。

  この路地は直ぐに終わって、東側の狭い市道に出てしまう。でも、ちょっと南、駐車場の見えるところに路地の続きがある。戦災復興前は一続きだったのかもしれないし、クランクになっていたのかもしれない。

   こんな路地が続いている。
路地に入って最初の家には小さな庭がある。バラの花が咲いてた。バックの板壁が素敵だ。

 コンクリート製のゴミ箱、上の蓋は木製にトタン張り、前の扉は純木製、今はあんまし見なくなった昭和20年代のゴミ箱だ。

クマを抱えて小走りで抜けた道なのだけど、当時の記憶はほとんどない。
今、この先のところで犬が飼われている。よく吠える。今回も吠えられた。

 そして、才川通りに出る。出たとこの店屋は何だったろう、これも記憶がない。すぐ北隣が『田島』という薪炭屋だった。風呂釜で炊く薪や、七輪や炬燵で使う炭や練炭なんかを配達してくれていた。その後、風呂の燃料は亜炭に代り、更に灯油に変わった。薪炭屋の『田島』、今はプロパンガスを商っている。

それにしても才川通りのこの建物、今は使われていないのだけれども、往時は何だったんだろう…、思い出せない。

 「場末」みたいに呼ばれる才川通り、製糸業が盛んだった戦前には、劇場もあった繁華街、前橋市で一番のガールハント場所だったと、90歳を迎えたジイさんの話だ。清王寺町で暮らしてた子どもの頃、日常のお使いは、ほとんどこの通りの商店であった。

  
            前橋の路地 おしまい

 

 という訳で、リバティーでのんびりして出てきたら朔太郎記念館のとこで文学館のTさんが生け垣をいじくっていました。
「何、壊してんの…」
「壊してなんかいません、少し直してるだけです」
「だって、塀との間に隙間が出来ちゃったじゃない…」
「今度ここへ、昔の形の赤いポストをもってくるんです」
「朔太郎記念館なら、赤じゃなくて青の方がいいやいね…」

 てなこと言ってたら、文学館のガラスにも『質問があります』があって、「あなたはどうして今日のあとに明日が来ると信じているのですか?」だってさ。「決まってらあな、明日が来なきゃ赤いポストも来ないだろう、そうするとTさんが生け垣壊した意味がなくなるじゃあねえかよ」、なのであります。そうだいね、Tさん…

 ついでだからさ、パーラーモモヤのとこにも『質問があります』があったんです。「お金がなくなったらどうします?」だって。「和子さんに借りるからあんじゃあないやいね!」なのです。

 <かなりの程度に作家の意図を無視してくだらない反応をしていると思わないのですか?>、近所の顔見知り猫に厳しい質問を浴びせられちゃいました。ごめんなさい…

 

 夕飯はね、前日に引き続き小松菜一束ととミズナ一束を平らげることでした。勢多農の生徒から買ったんだもんね。
そいで作った、小松菜と油揚げの煮びたしなんです。

  それと、ミズナと小松菜をたっぷり入れたはりはり鍋、高山製麺の太い「お切込み用」のうどんを煮ながらいただきました。
はりはり鍋ってさ、本来はクジラ肉とミズナの鍋だというのですけど、その本来のクジラ肉を使ったのを食べたことはありません。昨日のも、鶏の手羽先で採ったスープで鶏肉を使って作りました。これでいいですよね。

 

 直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の二代目吉駒の下で修業して参りました。
初代吉駒が始めた美登利会は、来春で75回目の節目を迎えます。予定通り、4月8日に開催いたします。
亡くなりました二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、これからも引き続きよろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。

今春の第74回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

 

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