第86代後堀河天皇陵も泉涌寺に隣接して存在する。
泉涌寺仏殿手前の砂利道参道を、歩くこと数分で後堀河天皇御陵前に至る。
敷かれた砂利が結構深く歩き難い。
上り坂の途中、目立ち難い場所にお馴染み、宮内庁の案内板があった。
戦国時代のお城への登城路のように、不規則な階段となっている。
階段を伸びりつめた処に、石の玉垣と神明鳥居がある。
脇には後堀河天皇御陵と示されていた。
背後は深い森の状態で、墓の形状は分からない。
勿論人の踏み入れた様子はなく、墳丘状の形状がそれとなくわかる。
説明では円墳(円丘)であるとされている。
10歳で践祚(即位)、23歳で崩御された。
僅か2歳の四条天皇へ譲位し、院政を引こうとしたが願いは果たせず、若くして崩御された。
鎌倉幕府執権:北条義時が対立する後鳥羽上皇勢力を、承久の乱で破って擁立した天皇だが、若くして崩御された。
怨霊に祟られたと言う説もある。
後堀河天皇の御陵印である。