夏休み旅行2日目。1日目の松島と同じく、有名だがこれまで行く機会がなかったところへ行く。今日は平泉。
仙台から一ノ関までは東北新幹線。都合のよい時間の列車を探したら、昨日、東京から仙台まで乗ったのと同じ列車を続きの区間、乗ることになった。
一ノ関で在来線に乗り換え平泉へ。
平泉駅。
Googleマップで中尊寺通りという旧道らしき道があるのを調べ、ストリートビューで敷石風舗装がされていることを知る。その中尊寺通りの入口。
案内版では中尊寺まで約1.6キロだが、それは中尊寺参道入口までの距離。お寺の中心部までではない。
町の雰囲気も旧道らしいが、人が多いわけではなかった。
歩いて行くと、池に出くわす。
案内版があり無量光院跡ということ。かつて存在した寺院を発掘調査し、遺跡として保存されているようだ。そして、春・夏・秋に池に水を張り、かつての庭園風景を再現しているとのこと。
思わぬ発見があるもので、やはり旧道は歩いてみるものだ。
そして、もうひとつ、脇へいく道の入口に高館義経堂入口の案内版を見つけた。名前から見て源義経にかかわるもののようだ。そこへ行ってみることにする。
途中から丘を上る。
上った先に事務所があって、拝観料(300円)が必要だった。
義経堂。ここが源義経終焉の地とのこと。
義経堂のところから北上川が眺められる。なかなか風光明媚。
中尊寺通りへ戻り、またしばらく歩いて中尊寺参道入口に到達。
中尊寺の本堂や金色堂まではまだけっこう距離がある。
しかも丘陵の上にある中尊寺への参道は、月見坂という坂道。上りきるまで約250メートル坂が続く。
月見坂は最初と最後が急で、中間が少しなだらか。上りきると平坦になる。
平坦になってすぐ脇の小高いところに弁慶堂がある。高館義経堂も行ったのだから、家来の弁慶のほうもと行ってみる。これが弁慶堂。
弁慶堂脇からの眺め。
進むといろいろなお堂があるが、時間の関係もあるので、次は中尊寺本堂へ。
本堂。
さらに奥へ進み金色堂のところに来る。
拝観料はここで払う。つまり、拝観料がいるのは金色堂だけ。
この鉄筋コンクリートの建物が金色堂なのではなく、中に金色堂がある。
なお、内部は撮影禁止。
金色堂は金箔を張り巡らした建造物で、風雪にさらされて劣化するのを防ぐため、シェルターというべき建物に収められている。そのシェルターは覆堂という名前。今の鉄筋コンクリートの覆堂は昭和30年代に作られたものという。それまで金色堂はむきだしだったのかというとそうではなく、それ以前も覆堂に収められていたそうだ。古い覆堂も少し離れたところに移築して保存されている。
この建物の前にある案内版によれば、最近の調査で金色堂ができて(12世紀初期)から50年程度あとには、覆い屋根が設けられ、その後、13世紀に鎌倉幕府によって保護されるようになってから覆堂の形になったとのこと。
しかし、そんな古い時代から金色堂の保全が行われてきたことには驚きを感じた、というか、少しばかり感動した。
最後に中尊寺の一番奥になる野外能楽殿と白山神社へ。
手前が野外能楽殿。奥が白山神社。白山神社へはお詣りしてくる。
参道を戻り、月見坂を下って参道入口へ。脇の駐車場の周りに店が並ぶ。ここで昼飯にする。
食べ物屋といってもそば屋ばかりだが、その中の泉橋庵支店へ。
”支店”というのは、平泉町の中心部に総本店があるので、中尊寺前が支店のようだ。
弁慶(餅入り)そば。
餅入りのそばやうどんを、力そば、力うどんということもあるが、やはり、暑い中をまだ歩くのだから、エネルギー補給で餅入りを食べる。他の店の店頭お品書きにも同じようなメニューがあったが、”弁慶力そば”と書いてあったりした。
次は丘陵のふもとを通る道で毛越寺を目指す。途中にあった平泉文化遺産センター。ここは入場無料。
ロビー。この先の展示室内は撮影禁止。
展示室では中尊寺、毛越寺、無量光院跡の3ヶ所について、ビデオ説明を見ることができた。いずれも2分半~3分で手短にまとめたもの。興味深い話を聞くことができた。
平泉は初めて来たが、「平泉」から思い出す言葉というと、「中尊寺」、「金色堂」、「奥州藤原氏」ぐらい。つまり、小中学校の社会科で勉強した以上の知識を得る機会が、これまでなかったということ。今回の旅を計画をするまで、これから行く予定の毛越寺のことは知らなかった。無量光院跡は午前中に中尊寺通りを歩いて遭遇しなければ、知らないままだっただろう。高館義経堂も同じ。だから、程よい分量にまとめられた資料を見ることができる施設は、自分にはありがたい存在。
文化遺産センターを出ると向かいにあるのが熊野三社。きれいに整えられた神社。
平泉駅前の観光案内所で貰ったガイドマップには一応、名前は載ってはいる。しかし観光スポットという扱いではない。ここは地域の鎮守なのだろう。
鳥居をくぐりお参りしてくる。朝は雲が多めだったが、きれいな青空が広がり、遠くには入道雲が見えた。
また歩いて毛越寺に着く。読みは「もうつうじ」。
このお寺もほとんどの建物は失われ、今あるのは後に再建されたもの。本堂もそうしたもののひとつ。
また、発掘調査で得られた成果をもとに、かつての庭園が再現されている。その庭園の中心が大泉が池。
2艘の船が浮かべられているが、龍頭鷁首の船とのこと。前側の船が龍頭、うしろ側が鷁首(ニワトリの首)。
建物はほとんどないが、芝生が植えられた庭園になっている。
そして、かつて建物があった場所には、その建物名を記した柱が立てられている。
次の写真は大泉が池に水を張るための遣水(やりみず)。湧き水を池に注ぐためのもので、古い時代に作られたものとしては貴重なものだということ。
一部には古い建物もあったが、案内板によると平安時代のものではなく、江戸時代中期に再建されたもの。
毛越寺まで一通りみたところで平泉駅へ戻り、今日の宿を予約してある一ノ関へ。
一ノ関駅。
今日泊まる蔵ホテル一関。
温泉ではないが大浴場がある。旅の2日目だといい加減疲れてくるから、ゆっくりと湯船につかれるのはよい。
晩飯はホテル内のお食事処(外からも入れるようになっている)で、蔵大黒へ。
午後6時ちょっと前に入るが、全然空いているので、奥の2人掛けの落ち着く席に座る。
今日は居酒屋的に飲み食いするつもり。明日は帰るだけだし。最初は生ビールを注文。それとアルコール類注文で付いてくるお通し。
つまみはまず、お刺身の盛り合わせ。
そして牛タンつくねを2本。
昨日の仙台でも牛タンのつくねは食べていなかった。
次は日本酒にするが、ホテルのお食事処で飲み食いすることにした理由がこれ。
一関の酒造会社の銘柄が2つあること。たまの旅行なら、やはり行った土地の銘柄を飲んでみたい。
一ノ関駅周辺にある居酒屋もGoogleマップで調べてみた。料理がいけてる感じの店はいくつかある。でも、投稿されている飲みもののお品書き画像を見た限り、地元の銘柄は見当たらなかった。
街の居酒屋は旅行者だけを相手にしているわけではないし、やはり商売なのだから人気のある銘柄を揃えたいだろう。また、地元の人が地元の酒ばかり飲むわけでもないだろう。かえってホテル併設の店のほうが、旅行者向けに地元のものを置いていたりする。
4年半前の2019年2月に福島県・須賀川の円谷英二ミュージアムへ行ったときも、泊まったホテル併設の居酒屋へ入った。すると福島県の酒で、おそらく東京圏ではほとんど出会えないだろう銘柄がいくつかメニューにあって、それを飲んだのだった。
最初の日本酒は両磐酒造の関山。
次に世嬉の一酒造の手造り。
お刺身と牛タンつくねを食べ終わり、次はおまかせおでん五種盛。
五種は、玉子、岩豆腐、つみれ、ちくわ、大根。
お酒も残り少なくなって、次は締め。宿泊者限定サービスでハーフサイズの冷やし十割そばがある。それを注文。
ハーフサイズの冷やし十割そば。
このホテルの名前は”蔵ホテル”だが、名前の元になっている”蔵”はホテルの建物のそばにある。そこが、改装され宿泊者専用のバーになっているということ。
蔵大黒で生ビール1杯と日本酒2合飲んだが、自分の居酒屋飲みのパターンだと、このあとチューハイ1杯ぐらいはいけそうだ。なので、その蔵バーをのぞいてみることにする。
お食事処の脇からホテル裏側に出ると確かに蔵があった。
バーの名前は蔵BAR EBISU。入ったらカードキーを見せて宿泊者であることを示す必要がある。
たしかに蔵を改装したものらしく、天井が高い。
カウンター。
サービスでスパークリングワインを1杯出してくれた。そして、この1杯で自分の居酒屋飲みでの分量に達したので、飲み終えたら部屋に帰ることにする。このバーを楽しむとしたら、食事では飲まずに、ここで飲むようにするのがいいだろう。