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『フロイト、性と愛について語る』(読書メモ)

フロイト(中山元訳)『フロイト、性と愛について語る』光文社古典新訳文庫

フロイトが書いた7つの論文をまとめたものが本書。

非常にロジカルで読みやすく、フロイトが何を考えていたのかがスムースに伝わってきた。

議論のポイントは「エディプス・コンプレックス」(父親の代わりに母親を自分のものにしたいという願望(男性)、父親のために子供を産みたいという願望(女性))であり、これが実現できないとわかった時点で、エディプス・コンプレックスが崩壊し、正常な状態で成長するという。

そして、崩壊したエディプス・コンプレックスの跡継ぎが、道徳観・倫理観としての「超自我」である。

「エディプス・コンプレックスの崩壊という事態は、すなわち近親相姦からの防衛および良心と道徳の形成という事態は、個体に対する世代の勝利として理解することができる。神経症とは、自我が性の機能の要求に反抗することにあるのだと考えると、これは興味深い観点である」(p. 187)

フロイトは「世代の勝利」という言葉を使っているが、本書の後半部分では、文化と性について考察されており、これが深い。

「一般的にわたしたちの文化は、欲動を抑圧することによって構築されてきたものである。人は誰でも、自分の所有するものの一部、自分の絶対権の一部、自分の人格のうちに含まれている攻撃的で復讐的な傾向の一部を断念してきたのである。共同の文化的な財産は、物質的なものにせよ理念的なものにせよ、このような個人の断念の上に築かれてきた」(p. 203)

そして、性的な欲動を文化的活動に転換する手段が「昇華」である。

「人間の文化建設という仕事に大きなエネルギーを供給しているのが、この性欲動なのである。(中略)本来は性的な性格のものであった目標を、性的ではないが、心的には同じような性格を持つ別の目標に変えることができるこの能力は昇華と呼ばれる」(p. 204)

しかし、こうした「昇華」ができる人は限られているらしい。昇華ができない普通の人はどうなってしまうのか?

「性的な欲動を抑えて生まれるさまざまな代用現象こそが、わたしたちが神経質症の症状、特に精神神経症と呼んでいる疾患の本体なのである」(p. 211)

「昇華という道に進むことのできない大多数の人々は、神経症に苦しむか、あるいはその他の損害をこうむることになる」(p. 216)

エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』の中で、昇華の重要性に言及していたが、フロイトはより現実的であるといえる。

社会が発展し、文化が進展するほど、そこで生きる人間が苦しむようになる。そのメカニズムがわかったような気がした。



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