松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍、映画ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい
あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい
(申命記5章33節)
(申命記5章33節)
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『いつか読書する日』(読書メモ)
『いつか読書する日』(2005年、緒方明監督)
しぶい映画だった。
美奈子(田中裕子)と槐多(カイタ)(岸部一徳)は高校時代につきあっていたのだが、美奈子の母親と槐多の父親が不倫しているときに事故死して以来、別々の生活へ。
50歳になっても、美奈子は独身で、朝早くから牛乳配達した後はスーパーのレジ打ちで働き、夜は読書する毎日(まるで苦行僧)。
槐多は、末期がんの妻・容子(仁科亜季子)を看病しながら、市役所で淡々と働いている(ロボットのよう)。
しかし、言葉を交わすこともない二人が、今でも愛し合っていることが伝わってくる。はたして二人の恋はどうなるのか?というストーリー。
田中裕子と岸部一徳の地味な演技力に引き込まれた。
見どころは、二人の愛に気づいている末期がんの容子と美奈子のやりとり。
抑えきれない愛、倫理感、嫉妬がせめぎ合う。
ラストはもうちょっと工夫してほしかったが、悪くはなかった。
しぶい映画だった。
美奈子(田中裕子)と槐多(カイタ)(岸部一徳)は高校時代につきあっていたのだが、美奈子の母親と槐多の父親が不倫しているときに事故死して以来、別々の生活へ。
50歳になっても、美奈子は独身で、朝早くから牛乳配達した後はスーパーのレジ打ちで働き、夜は読書する毎日(まるで苦行僧)。
槐多は、末期がんの妻・容子(仁科亜季子)を看病しながら、市役所で淡々と働いている(ロボットのよう)。
しかし、言葉を交わすこともない二人が、今でも愛し合っていることが伝わってくる。はたして二人の恋はどうなるのか?というストーリー。
田中裕子と岸部一徳の地味な演技力に引き込まれた。
見どころは、二人の愛に気づいている末期がんの容子と美奈子のやりとり。
抑えきれない愛、倫理感、嫉妬がせめぎ合う。
ラストはもうちょっと工夫してほしかったが、悪くはなかった。
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渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい
渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい
(ヨハネによる福音書7章37節)
(ヨハネによる福音書7章37節)
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『菊と刀』(読書メモ)
ベネディクト(角田安正訳)『菊と刀』光文社古典新訳文庫
文化人類学者であるルース・ベネディクトが、第二次世界大戦中に、米国戦時情報局の依頼を受けて書いた報告書が本書のベース。
日本は「菊の栽培にあらん限りの工夫を凝らす美的意識」を大事にする一方、「刀をあがめ武士をうやうやしく扱う」文化を持つ、という点がタイトルの意味である(p. 15)。
本書の目的は、第二次世界大戦が終結した際、あっさりと負けを認めてアメリカを受け入れ、「軍国主義」から「平和国家」に大きく舵をきった日本の「変わり身のはやさ」を分析すること。
その答えは「文化の型」にある。
欧米がキリスト教の原罪をベースにした「罪の文化」を持つのに対し、日本は世間の目を気にする「恥の文化」を持つ(p. 352-353)。
「恥は周囲の人々の批判に対する反応であり」、「日本人はだれもが自分の行いに対する世評を注視する」(p. 354-356)、「日本では、個人にかかる社会的圧力が非常に大きい」(p. 495)とベネディクトは分析する.
だから、明治維新後も、「日本人は、世界の中で尊敬を集めたい」(p. 275)という焦燥に駆られて軍事力を強化したが、もともと原理原則があったわけではないため、戦争に負けると、あっさりと方針を切り替えた日本。
ベネディクトは言う。
「日本は、平和国家として出直すにあたって真に強みをそなえている。それは、ある行動方針について「あれは失敗した」と一蹴し、エネルギーを注ぎ込む経路を切り替えることができるということだ。日本人の倫理は、方針転換の倫理である」(p. 478)
印象に残ったのは次の箇所。
「現代の日本人が自分自身に対して行う攻撃的な行動はさまざまであるが、その最たるものは自殺である。日本人の物の考え方によれば、しかるべく自殺すれば、汚名はすすがれ、個人は立派な人だったという評判を取り戻せる」「日本人は自殺に対して敬意を払う。したがって、自殺は立派な、甲斐ある行為となる」(p. 264)
この点は今でも色濃く残っているように思う。
なお、本書を読んで一番驚いたのは、ベネディクトが日本を一度も訪れたことがなかったこと。米国戦時情報局が集めた大量の情報を分析し、日本からの移民にインタビューしたベネディクト。
こうしたアプローチをとったほうが、主観を交えず、客観的に分析することにつながったのかもしれない、と思った。
文化人類学者であるルース・ベネディクトが、第二次世界大戦中に、米国戦時情報局の依頼を受けて書いた報告書が本書のベース。
日本は「菊の栽培にあらん限りの工夫を凝らす美的意識」を大事にする一方、「刀をあがめ武士をうやうやしく扱う」文化を持つ、という点がタイトルの意味である(p. 15)。
本書の目的は、第二次世界大戦が終結した際、あっさりと負けを認めてアメリカを受け入れ、「軍国主義」から「平和国家」に大きく舵をきった日本の「変わり身のはやさ」を分析すること。
その答えは「文化の型」にある。
欧米がキリスト教の原罪をベースにした「罪の文化」を持つのに対し、日本は世間の目を気にする「恥の文化」を持つ(p. 352-353)。
「恥は周囲の人々の批判に対する反応であり」、「日本人はだれもが自分の行いに対する世評を注視する」(p. 354-356)、「日本では、個人にかかる社会的圧力が非常に大きい」(p. 495)とベネディクトは分析する.
だから、明治維新後も、「日本人は、世界の中で尊敬を集めたい」(p. 275)という焦燥に駆られて軍事力を強化したが、もともと原理原則があったわけではないため、戦争に負けると、あっさりと方針を切り替えた日本。
ベネディクトは言う。
「日本は、平和国家として出直すにあたって真に強みをそなえている。それは、ある行動方針について「あれは失敗した」と一蹴し、エネルギーを注ぎ込む経路を切り替えることができるということだ。日本人の倫理は、方針転換の倫理である」(p. 478)
印象に残ったのは次の箇所。
「現代の日本人が自分自身に対して行う攻撃的な行動はさまざまであるが、その最たるものは自殺である。日本人の物の考え方によれば、しかるべく自殺すれば、汚名はすすがれ、個人は立派な人だったという評判を取り戻せる」「日本人は自殺に対して敬意を払う。したがって、自殺は立派な、甲斐ある行為となる」(p. 264)
この点は今でも色濃く残っているように思う。
なお、本書を読んで一番驚いたのは、ベネディクトが日本を一度も訪れたことがなかったこと。米国戦時情報局が集めた大量の情報を分析し、日本からの移民にインタビューしたベネディクト。
こうしたアプローチをとったほうが、主観を交えず、客観的に分析することにつながったのかもしれない、と思った。
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『ザ・コントラクター』(映画メモ)
『ザ・コントラクター』(2022年、タリク・サレ監督)
米国陸軍の特殊部隊に所属していたジェームス(クリス・パイン)は、膝の怪我のためにクビになってしまう。
家族を養うために民間軍事会社に入り、ベルリンのミッションに加わるものの、どこからともなく敵が現れ、部隊は壊滅の危機に陥る。果たしてジェームスは生き残れるのか?というストーリー。
「ハラハラドキドキ+意外な展開の連続」で、かなり見ごたえがあった。
まず、仕事上の負傷にもかかわらず、ジェームズが除隊させられる場面に驚いた(かなり冷たい)。
印象的なのは、民間軍事会社で働く元軍人の姿である。
家族のために戦う姿が切なすぎる。
ただのアクション映画ではない。
この手の映画にしては珍しく、ラストシーンも良かった。
米国陸軍の特殊部隊に所属していたジェームス(クリス・パイン)は、膝の怪我のためにクビになってしまう。
家族を養うために民間軍事会社に入り、ベルリンのミッションに加わるものの、どこからともなく敵が現れ、部隊は壊滅の危機に陥る。果たしてジェームスは生き残れるのか?というストーリー。
「ハラハラドキドキ+意外な展開の連続」で、かなり見ごたえがあった。
まず、仕事上の負傷にもかかわらず、ジェームズが除隊させられる場面に驚いた(かなり冷たい)。
印象的なのは、民間軍事会社で働く元軍人の姿である。
家族のために戦う姿が切なすぎる。
ただのアクション映画ではない。
この手の映画にしては珍しく、ラストシーンも良かった。
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いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい
いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい
(コロサイの信徒への手紙4章6節)
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『道草』(読書メモ)
夏目漱石『道草』新潮文庫
漱石の自伝的な小説。
そこそこの給料をもらい、社会的地位も確立している主人公「健三」が、養父母、姉、義理の父からお金を無心される様子が延々と描かれている。
さらに、気持ちがかみ合わない奥さんとの会話がてんこ盛りである。
作品全体に「ネガティブな雰囲気」が漂っていて、正直言って、あまり面白いとはいえない。
あまりに暗いので、ちょびちょび読み進めて、読了するのに半年くらいかかった。
ただ、驚いたのは、相性が良いとはいえない奥さんの気持ちや、ひねくれた自分の気性を漱石が克明に理解していたこと。
つまり、自分たちの夫婦関係を俯瞰して、客観的に小説化しているところがすごい。
こんなに赤裸々に親戚や夫婦のことを小説にしようと思った漱石の動機はなんだったのか?
そこを知りたいと思った。
漱石の自伝的な小説。
そこそこの給料をもらい、社会的地位も確立している主人公「健三」が、養父母、姉、義理の父からお金を無心される様子が延々と描かれている。
さらに、気持ちがかみ合わない奥さんとの会話がてんこ盛りである。
作品全体に「ネガティブな雰囲気」が漂っていて、正直言って、あまり面白いとはいえない。
あまりに暗いので、ちょびちょび読み進めて、読了するのに半年くらいかかった。
ただ、驚いたのは、相性が良いとはいえない奥さんの気持ちや、ひねくれた自分の気性を漱石が克明に理解していたこと。
つまり、自分たちの夫婦関係を俯瞰して、客観的に小説化しているところがすごい。
こんなに赤裸々に親戚や夫婦のことを小説にしようと思った漱石の動機はなんだったのか?
そこを知りたいと思った。
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『アンデス、ふたりぼっち』(映画メモ)
『アンデス、ふたりぼっち』(2017年、オスカル・カタコラ監督)
アンデス(ペルー)の山奥で暮らす老夫婦のパクシ(ローサ・ニーナ)とウィルカ(ビセンテ・カタコラ)。
完全に自給自足である(数頭の羊、リャマ、畑あり)。
都会で働く息子の帰りを待っているが、ここ何年も帰ってこない。
ちなみに、山奥度合いが半端なく、村までマッチを買いに行くのも命がけである。
息子に捨てられたと嘆き、寄り添いながら淡々と生活する二人の様子がまるでドキュメンタリーのよう。
良く考えると、隣近所もなくて、本当に「ふたりぼっち」で生きているのがすごい。
ただ、パートナーがいることの有難さが伝わってきた。
しかし、後半になるとおじいさんのウィルカが病気になり、二人の生活が脅かされることに・・・
ラストシーンも良かった。
アンデス(ペルー)の山奥で暮らす老夫婦のパクシ(ローサ・ニーナ)とウィルカ(ビセンテ・カタコラ)。
完全に自給自足である(数頭の羊、リャマ、畑あり)。
都会で働く息子の帰りを待っているが、ここ何年も帰ってこない。
ちなみに、山奥度合いが半端なく、村までマッチを買いに行くのも命がけである。
息子に捨てられたと嘆き、寄り添いながら淡々と生活する二人の様子がまるでドキュメンタリーのよう。
良く考えると、隣近所もなくて、本当に「ふたりぼっち」で生きているのがすごい。
ただ、パートナーがいることの有難さが伝わってきた。
しかし、後半になるとおじいさんのウィルカが病気になり、二人の生活が脅かされることに・・・
ラストシーンも良かった。
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