松尾睦のブログです。個人や組織の学習、書籍ならびに聖書の言葉などについて書いています。
ラーニング・ラボ
『ばいにんぶるーす』(読書メモ)
大学生の頃、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』を読んで感動したのを覚えている。しかし、なぜ麻雀もわからないのに感動したのか不思議である。たぶんそれは、賭け事と人生が似ているからなのかもしれない。
本書は、競輪、競馬、ルーレット、ポーカーなどなど、賭け事に狂った男たちが織りなす物語である。中でも存在感があるのが、刑務所から出てきたばかりの大物ギャンブラー・鉄五郎。彼の人生哲学は、なぜか心に響いた。
「わしはばくちを業にしてきたよ。だから、ばくちでは、負けられない。けれども勝ったり負けたりでなければ人生は保てないんだから、どこかで負けなけりゃならん。そこで、他のところで不幸を背負うんだ。ばくちで勝つのとちょうど見合うくらいの、まァ少し差引プラスになるくらいの不幸をな。こいつァなかなかむずかしい」(p.387)
この本を読んでから少し考え方が変わったのは「嫌な出来ごと」の意味である。普通であれば、嫌な出来事があれば、嫌な気持ちになる。しかし、鉄五郎さんの哲学からすると「嫌なことを貯めておけば、それだけ良いことがある」といえる。
嫌なことというのは少し語弊がある。自分の得にならない事と言い換えることもできるだろう。自分にとって得になることと、得にならないこと。このバランスを保たなければならないのではないか。そんな気がした。
「面倒くさいな」とか、「なんでこんなことしなきゃならないの」と不満を感じてしまうことがよくあるが、それは進んでやらなければならない事なのかもしれない、と感じた。
なんだか打算的な感じもするが、人生そんなもんじゃないかな、と思った。
同行で人を育てる
先週紹介した「残業食」の話をしてくださったマネジャーの話。
製粉会社に勤めていた頃、5−6人のチームをつくり営業活動をしていたそうだ。チームリーダーはアカウントを持たずに、部下と同行しながら育成に責任を持っていたらしい。
ただし、教育のために同行するということではなく、一緒に営業をした結果として人が育つという感じである。
新人の頃はずっと同行するというから、かなり濃厚だ。新人は運転手として、神奈川や静岡のクライアントに行くため、一日中同行しているとのこと。
そして、車の中で上司といろいろな話をするが、それが仕事のリフレクションになるという。
「自分の話ばかりする人いませんか?」と質問してみたところ「さすがに一日中自分の話しをする人はいません。そのうち疲れてくるので、新人も話すことができます」ということだった。
長時間一緒にいることが大事なのかもしれない。
「しょうもない話をする人いませんか?」と聞いてみたら「スポーツ新聞や週刊誌の話をずっとする人もいるのですが、そういう雑学的知識は得意先での会話に役立つ事が多いんです」とのこと。
どんな話でも、どこかで役に立つということか。この方は、転んでもただでは起きない人である。
ただ、その会社では、現在、同行が減っているらしい。マネジャーもアカウントをもつようになり、余裕がなくなったとのこと。
共に働くことで人が育っていった時代が過ぎ去り、バラバラに仕事をする時代になってしまったということだろうか。どんどん人が育ちにくい環境になっているような気がした。
製粉会社に勤めていた頃、5−6人のチームをつくり営業活動をしていたそうだ。チームリーダーはアカウントを持たずに、部下と同行しながら育成に責任を持っていたらしい。
ただし、教育のために同行するということではなく、一緒に営業をした結果として人が育つという感じである。
新人の頃はずっと同行するというから、かなり濃厚だ。新人は運転手として、神奈川や静岡のクライアントに行くため、一日中同行しているとのこと。
そして、車の中で上司といろいろな話をするが、それが仕事のリフレクションになるという。
「自分の話ばかりする人いませんか?」と質問してみたところ「さすがに一日中自分の話しをする人はいません。そのうち疲れてくるので、新人も話すことができます」ということだった。
長時間一緒にいることが大事なのかもしれない。
「しょうもない話をする人いませんか?」と聞いてみたら「スポーツ新聞や週刊誌の話をずっとする人もいるのですが、そういう雑学的知識は得意先での会話に役立つ事が多いんです」とのこと。
どんな話でも、どこかで役に立つということか。この方は、転んでもただでは起きない人である。
ただ、その会社では、現在、同行が減っているらしい。マネジャーもアカウントをもつようになり、余裕がなくなったとのこと。
共に働くことで人が育っていった時代が過ぎ去り、バラバラに仕事をする時代になってしまったということだろうか。どんどん人が育ちにくい環境になっているような気がした。
『みんなとちがっていいんだよ』(読書メモ)
旧名「ローリー寺西」のROLLYさんが、自分の人生を振り返って、子供(小・中生)向けに書いた本。
三歳の頃、女装しているのが家族にバレて「カズオは変態だ。大人になったらきっと性犯罪者になるだろう」と言われてしまった、というエピソードから始まる本書は、ぐいぐいと読ませる内容である。
スポーツが苦手で太っていたROLLYさんは、小学校三年のときにイジメにあう。悩んだ彼が相談したときのお母さんのアドバイスがすごい。
「あんた、もっとアホになりなさい。なにくそ!ってムキになるんじゃなく、いじめてくれてありがとう、キミたちのおかげで僕はすごく心が強くなったよ、と思えるようになりなさい」(p.38)
その後、セミの抜け殻を見て「僕は今、セミの幼虫で、羽化する前の長い長い準備の時間を過ごしているにちがいない」(p.44)という「セミの法則」を発見する。
そして、次のように考えた。
「やりたければやればいいさ!いつか僕にも「小太りで、メガネで、シャイで、運動の苦手なカズオ君」から変身し、このいじめられた体験を自分史のドラマティックな出来事のひとつとして、人に語ることのできる日が来るはず。それどころか、「どうせやるなら、もっと面白いイジメ方をしてみろ!」とさえ思ったね。そのほうが、大人になってから語るべきドラマが増える」(p.43.44)
結局、その通りになったわけである。
つらいことは誰にでもある。このセミの法則は、子供だけでなく、大人でも使えるかもしれない、と思った。
残業食
昨日、ある会社のマネジャーの方にインタビューしていて、興味深い話を伺った。
その方が、食品メーカーの営業をしていたときのこと。仕事が終わって会社に帰ってくると、若手社員達が出前を取って職場で一緒に食事をすることが常だったという。
なぜ一緒に飯を食うのか?
それは、9時以降の残業時の食事代が会社から支給される制度があったからだ。それを「残業食(ザンギョウショク)」と呼んでいたらしい。
皆で飯を食いながら、「あんなことがあった」「こんなことがあった」「やってられないよ」など、ダラダラと1時間、2時間と過ごしていたようなのだが、この時間は、先輩方の営業スタイルを盗んだり、自分の営業活動を振り返る上でとても役に立ったということだ。
まさに知識共有型のコミュニティである。
しかし、彼らは知識を共有したいと思っているわけではなく、単にタダで飯が食えるから遅くまで残っていたのだ。それと、不満をぶちまけたり、自慢をしたり、アドバイスをもらえるなど、自分のためになるから続いていたわけである。
いろいろ工夫する必要はあるだろうけれども、高いコストをかけて研修するよりも、ずっと効果があると感じた。
その方が、食品メーカーの営業をしていたときのこと。仕事が終わって会社に帰ってくると、若手社員達が出前を取って職場で一緒に食事をすることが常だったという。
なぜ一緒に飯を食うのか?
それは、9時以降の残業時の食事代が会社から支給される制度があったからだ。それを「残業食(ザンギョウショク)」と呼んでいたらしい。
皆で飯を食いながら、「あんなことがあった」「こんなことがあった」「やってられないよ」など、ダラダラと1時間、2時間と過ごしていたようなのだが、この時間は、先輩方の営業スタイルを盗んだり、自分の営業活動を振り返る上でとても役に立ったということだ。
まさに知識共有型のコミュニティである。
しかし、彼らは知識を共有したいと思っているわけではなく、単にタダで飯が食えるから遅くまで残っていたのだ。それと、不満をぶちまけたり、自慢をしたり、アドバイスをもらえるなど、自分のためになるから続いていたわけである。
いろいろ工夫する必要はあるだろうけれども、高いコストをかけて研修するよりも、ずっと効果があると感じた。
右脳と左脳
一原さんの版画には、登山と俳句が強く影響しているらしい、ということを昨日紹介した。
登山で体験したことを版画で表現するというのはわかるが、「俳句と版画の関係」はいったいどうなっているのだろうか?
そのこたえは「空間性」にある。
俳句も抽象的な言葉で表現される空間的表現であることから、俳句と版画が結びつくというのだ。ただし、空間性という共通項はあるものの、俳句と版画では使う脳がが違うと一原さんは考えている。
「一原の言い方に従えば、知覚をつかさどる左脳を使っての創作活動である俳句に煩わしさ感じ、感覚をつかさどる右脳を使って製作する版画に心を寄せていったという。一原は思考することの苦悩からの解放感を感じていたのであろう」(p.102)
右脳と左脳の両方を使うときに、何か新しいものが生まれるのかもしれない。
出所:光岡幸治『一原有徳:版の冒険』北海道新聞社
登山で体験したことを版画で表現するというのはわかるが、「俳句と版画の関係」はいったいどうなっているのだろうか?
そのこたえは「空間性」にある。
俳句も抽象的な言葉で表現される空間的表現であることから、俳句と版画が結びつくというのだ。ただし、空間性という共通項はあるものの、俳句と版画では使う脳がが違うと一原さんは考えている。
「一原の言い方に従えば、知覚をつかさどる左脳を使っての創作活動である俳句に煩わしさ感じ、感覚をつかさどる右脳を使って製作する版画に心を寄せていったという。一原は思考することの苦悩からの解放感を感じていたのであろう」(p.102)
右脳と左脳の両方を使うときに、何か新しいものが生まれるのかもしれない。
出所:光岡幸治『一原有徳:版の冒険』北海道新聞社
『一原有徳:版の冒険』(読書メモ)
100歳まで生きた世界的な版画家・一原有徳さんの評伝である。
小樽にある貯金事務センターで公務員として働いていた一原さんが版画を始めたのは47歳。それは偶然であった。
「一原は油絵を描くため、割れた小さな石版石をパレットがわりに使っていた。(中略)石版石に盛った絵具をパレットナイフで練っていたところ、偶然に現れた映像が一原の琴線に触れ、何とか残せないかという思いから紙をあてバレンで刷り取った。これが版画家・一原有徳の原点となった」(p.85-86)
一原さんの作品は、機械の部品や鉄くずが集積した未来都市や、未知の生命体を表したような抽象的なものが多い。金属板を腐食させたものや、オブジェやモニュメント的なものまで、80歳を過ぎても、数々の実験を繰り返してきた。
そうした実験精神を支えてきたものは何か?
それは、俳句と登山である。
一原さんは、十代の頃から俳句を、二十代の頃から登山をしており、それらの経験が版画と一体化しているのだ。「俳句は創作の心をつくり、山は未知の魅力を教えてくれました」(p.148)というコメントにあるように、版画、俳句、登山が三位一体となっている。
「ある深い岩の谷底のことでした。狭い青空から大きな水滴が、ゆっくりと落ちてきて飛散し、その周辺だけに日が当たり、なんともいえぬ美しさでした。こんなイメージが版に・・・・いや、それには及びませんし、作るときには忘れていたことです」(p.112)
やはりイノベーションというものは、異なる世界が結びついて統合されるときに生じるのだな、と思った。
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