薬屋のおやじのボヤキ

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働くことは、卑しい?美徳? 年金制度を考える

2011年12月20日 | よもやま話

働くことは、卑しい?美徳? 年金制度を考える

話題の年金制度。どっか、なんか、間違っていません?
(この記事は、当店「生涯現役新聞」2004年2月号を一部改変したものです。)
 いっとき騒々しかった年金問題も自然鎮火。一件落着したような感がありますが、若干くすぶり続けているようで、本邦初公開のニュースが時折小さく取り上げられています。
 マスコミは、“もっと早くこの情報が手に入っていれば大ニュースにしたんだが…。ボツにするのは気が引ける。少しだけ知らせようか。”という具合ですから、大半の人は知らずに終わってしまい、本当のことは残念ながら分からずじまいになってしまいます。

 年金問題が華やかりし頃、政府の試算からして“団塊の世代もけっこうな年金がいただける”と錯覚を受けた方が多かったかと思います。でも、そんな甘いものではありません。鉛筆を舐め舐め、死亡率を多く見込み、出生率の落ち込みを小さく見て、ソロバンを弾いたものであることが発覚したのです。(たしか先月の新聞に小さく出ていた記事。)
 話題沸騰中には、出生率の落ち込みをどの程度取るかが大きな議論になったものの、死亡率については全く話題に上りませんでした。ところが、死亡率は巧妙に操作されていたという内容のものです。

 マスコミは、これを大きく取り上げるべきですが、熱しやすく冷めやすいことといったら、そりゃあ酷いものですから、時機を逸すれば、何ともなりません。
 団塊の世代の我々は、かなり丈夫な体にできていますから、滅多に死にませんよね。皆、長生きするに決まっています。よって、“年金がもらえる予定の年齢になっても先延ばし。やっともらえる年齢になったら予定の半分。待ちくたびれて悲観し、ご臨終。”
 結末は、まあ、こんなところでしょう。

 でも、必ずしもそうはならない。案外、年金はいただける計算になるという、常識では考えられない試算もあります。その詳細は、小生の友人のブログ「田中伸一のブログ」の「経済の常識の落とし穴(7)年金問題(後篇)」(2011、10、06)に詳細に書かれています。ただし、完全雇用の状態が続くという経済情勢になればという条件をクリアする必要がありますが。小生のような経済オンチでも納得がいく、優れた記事です。クリック→
 http://ameblo.jp/cogito-ergo-scribo/entry-11039843020.html#main
 一度ご覧になってください。できれば、(前篇)も併せてお読みください。

 さて、そもそも年金とはなんでしょう。
 西欧で始まった、この制度。根っこに“労働は卑しい”という欧州に特有の文化があります。民主主義の最先端を行っているやに思われる西欧ですが、根強い身分社会です。
 上流階級は、働かずして遊びに熱中。やっている労働らしきものは、資産管理だけ。
 その妬ましさから、働かざるを得ない中下層の者たちが、労働時間の短縮、休日増、定年制度などを強く要求して実現させ、ついには、高額な年金を得て、“卑しい労働からの解放”を勝ち取っただけのことです。
 そして、定年後は一切の労働を止め、年金生活で上流階級の一員になったつもり。
 その果てが、アルツハイマー、ボケ、さらには、年寄りの自殺です。
 その点、米国は、いまだにフロンティア・スピリット=開拓者魂のもとにアメリカン・ドリームの文化を持ち、幾つになっても勤労意欲旺盛です。

 日本は、また、事情が違います。戦後しばらくの間までは、“働くことは美徳”とされていました。小学校には、二宮金次郎の石像があり、親からそれをしっかり教育されました。
 ところが、子供に働かせるのは児童虐待とかで、小学校の二宮金次郎さんは“処刑”されてしまい、跡形もありません。あったとしても目立たない場所に追いやられています。
 日本ほど身分制度のない平等な社会で、なぜに“労働は卑しい”と思わせるような教育をせねばならないのでしょうかね。
 何でも米国に追従する日本が、こと社会福祉に関しては、“米国は遅れている。先端を行く西欧を見習うべし”と豹変する不貞節。
 これじゃ、欧米の悪いところだけを真似することになりませんか。

 「年金は当てにしねえ。生涯現役で働くぞ!」という職人さんが多いです。毎日毎日の積み重ねで営々と培ってきた頭脳、技は、決して若者には追い越せません。
 また、70代で亡くなられる方は若死にと言われる時代です。よって、70代、80代であっても、その体力に応じてということになりますが、けっこう働くことができます。
 農業とて、そうです。農作物の生産は基本的に年に1回です。いくら経験を積んでも数十回で、その積み増しの中から、付加価値の高い農作物が生産できるという、職人技の世界です。よって、高齢者が実力を発揮します。
 TPPがやってきた今日、ここは、お年寄りのお百姓さんに踏ん張っていただくしかないです。そして、より高度な生産技術を築き上げていただきたいと願っています。その技を、いつの日にか新しく生まれるであろう後継者にお伝えいただきたいものです。
 “働くことは美徳である”と心得ておられる、定年のないお百姓さんですから、90になろうとも100歳になろうとも、“生涯現役”でお暮らしいただくことが、日本の農業を救う唯一の道ではないでしょうか。

 薬屋稼業と野菜作りという二束のわらじを履いている小生。どちらも中途半端になりはしないかと、ちと心配ですが、両方とも職人技を身に付けんと、生涯現役で、そこそこ頑張ろうとしている、還暦過ぎのおやじです。
 “働くことは、美徳であり、ハタをラクにする”ことであると考える小生です。

 関連記事: “働く”とは“ハタをラクにできて、うれしい” 


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