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根木勢介 さんの記事・・・天文①:夜空を仰いで 数える星も・・・

2012-12-30 | 根木勢介 さんの記事
根木勢介 さんの記事・・・天文①:夜空を仰いで 数える星も・・・
 
 
 
 テレビでは、9月15日より封切りの「天地明察」の予告がよく流れて
いますね。
 
 
面白そうなので映画を見ようと思っています。
映画には、登場しないようですが、主人公の保井算哲(さんてつ)と
土佐・谷秦山とは、大いに関係があるようです。
 
 
 
<高知市歴史散歩:広谷喜十郎著・高知市文化振興事業団刊60pより>
 
★第27話 星空の狩人  1984年10月
 
  最近、ハレー彗星の再来について、とかくマスコミで話題になっているが、
 江戸初期の「桂井素庵記」は、彗星が出現して高知城下の人々が騒然と
 している生々しいニュースを伝えており、それが二代藩主山内忠義の逝去と
 重なったために人々を不安に陥れている。
 
  高知県立図書館蔵の「天柱(てんちゅう)密談」(9巻)は、儒者谷秦山(
 じんざん)が師匠保井算哲(渋川春海・はるみ)に送付した暦学に関する
 質問状の書簡を集録したもので、秦山の質問に対して算哲の返答が朱でもって
 書き込まれている。
 それに、谷秦山が暦学研究のテキストとして使用した「貞享歴(じょうきゅう
 れき)もある。
  この暦は江戸の歴学者保井算哲が作成したもので、平安時代以来の宣明暦
 (せんめいれき・中国伝来)の誤りを天体の長期観測結果、修正した日本人の
 手になる最初の暦である。
 
  秦山は、天体観測をして、高知の緯度を三十三度と推定しており、土佐天文学
 の祖であるといえる。
 「地球三十三番地」の標示塔が昭和37年に、高知市弥生町の一文橋近くの
 江ノ口川南岸に建てられた。
 なお、秦山が晩年住んでいた土佐山田町には住居跡記念碑があり、その台上に
 かって渾天儀(こんてんぎ)の模型が置かれていた。
 秦山の天文観測図としては「貞享星座」、「日月会合図」(谷垣守写)、「日出
 日没観測図」などがある。
 
  天体の運行を観測する器具を「渾天儀」といい、川谷薊山が制作して藩主へ献上
 したものが土佐山内家宝物資料館に収蔵されている。
 高さ四十センチで球体部分の直径が三十一・五センチである。
 薊山は谷垣守から天文学を学び、江戸に出て算学を究め、帰国後は暦学に
 精進した。
 従来の官暦の誤りを指摘したり、宝暦十三年九月一日の日食の予測が見事に
 あたり、国外にまで彼の名が知られるようになった。
 なお、彼の作成した「星図」が高知市民図書館に保存されている。
 
  秋は、夜空の星がきれいに見える時なので、子どもたちと一緒に星空を眺める
 心の余裕を持ち、また、高知市在住のコメットハンターとして著名な関勉さんの
 「星空の狩人」(筑摩書房)を読んで、はるかかなたの宇宙のドラマにも目を
 向けたいものである。
 
 
★最近、雨が多くて、夜空も見えませんが、たまには、夜空も眺めてみますか?★
 
 
 
根木勢介  携帯:90-2825-2069
 
 

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