春夏秋冬・・・晋作と龍馬 ④
「人間は、誰も春夏秋冬を持っている」は、高杉晋作の師吉田松陰の言葉。人生を穀物の収穫に例えて、仮に十歳で死んでも十歳の四季があり、花も種も残すものだ、の意。
松蔭や晋作、龍馬など維新の志士は、多くが早過ぎた一生だった。
しかし、それぞれが今日につながる立派な種子を残している。晋作は、師の松蔭の教えを受け継ぎ「狂」の人生を生きた。
いや、幕末当時の状況からすれば「長州」を基盤に活動する以上、狂わざるを得なかったかもしれない。ちょうど「土佐」に固執した武市半平太が、ある意味で狂った生き方をしたのと同じように。
歴史に「イフ」はないが、仮に龍馬が長州に生まれて脱藩しなかったら晋作のように狂の人生を歩まざるを得なかっただろう。
龍馬のピストルは、晋作からのプレゼンとだと言われる。龍馬と晋作の交友はどうだったのだろうか。
竜馬の西郷隆盛評は、有名だが、優れた行動力や機略など共通点の多い龍馬と晋作が互いをどう評価していたのか聞いてみたいものだ。
「自然堂(じねんどう)」は、下関で身を寄せていた伊藤助太夫の部屋につけた名で、龍馬の号として有名。ネイチャーの翻訳語「(しぜん)」は、明治時代にできたもので明治以前の自然とは、含意は違う。
老子に「希言は自然なり。悠として其れ言を貴ぶ。功成り事遂ぐるも、百姓は皆我を自然なりと言ふ。」とある。
龍馬が、自然堂の号に込めた意味を考えてみる。
龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.159 より転載
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