海・・・鯨・ジョン万
根 木 勢 介
土佐沖を流れる黒潮は、別名黒瀬川ともいわれ、その流れは急流らしい。黒潮上には、鯨はいなくその流れの両側・外側に鯨はいるらしい。幕末前が、米国の捕鯨産業の絶頂期で黒潮辺りにも捕鯨船がたくさん出没していた。太平洋や日本近海の鯨を枯渇させたのは米国の捕鯨だといわれている。
「鯨」が明治維新を起こしたとの説がある。その論は、①ペリー艦隊が日本を訪れる起因となった太平洋上の米国の捕鯨、②倒幕の中心だった長州やそして土佐で捕鯨が盛んで捕鯨収入が藩の原資になったこと。「一浦が鯨一頭取れれば七郷(村)が潤う」と言われる。
江戸時代での経済的効果を試算した人によると鯨一党で250人の人々がい年間食べる米を購入できたことになるそうだ。
維新の志士の中で「海」といえば龍馬。龍馬は海のイメージで語られることが多い。実際にも船を最大限に利用して行動半径を広げた人。龍馬と河田小龍との出会いは、龍馬20歳の時といわれている。ジョン万次郎と龍馬は、出会ったのか。
龍馬が上海へ行った、とかと同じ類の話かもしれないが、ジョン万と龍馬の出会いは、あったか、なかったか、も興味深い。ジョン万が土佐に帰国したころの土佐人・そのころ18歳の龍馬などは、世界の最新情報をジョン万本人やその周辺の人々から入手できる恵まれた環境にあった。ジョン万の影響があって、龍馬は「世界の海援隊」を考えたかもしれない。
龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.158 より転載
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