mimi-fuku通信

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フェルメール「牛乳を注ぐ女」 mimifuku的評説。

2007-10-17 23:13:09 | 美術・芸術・創造


 *「牛乳を注ぐ女」
の画像へのリンク。
  http://www.rijksmuseum.nl/collectie/zoeken/asset.jsp?id=SK-A-2344&lang=nl
        ~ オランダ:アムステルダム国立美術館ホーム・ページ内

  *「青いターバンの少女」の画像へのリンク。 
  http://www.mauritshuis.nl/
        ~ オランダ:ハーグのマウリッツハイス美術館ホーム・ページ


 フェルメールの「牛乳を注ぐ女」を鑑賞して思いついたことを述べてみる。
 この絵の価値の高さをどこに求めるか?

 2007年9月26日~12月17日まで、東京六本木の国立新美術館で日本で初公開されたフェルメールの代表作のひとつ。
 美術史の専門書にもたびたび照会されるこの絵の価値を教科書とは違った角度で考えてみた。(ただし、あくまでも素人の想像なので真意は、教科書にそって学習して欲しい。)

 まず、フェルメールについての議論として、フェルメールは存命中どのような画家であったのかについて、現代のフェルメール論者は存命中も著名な画家としての認識で一致しているようだ。
 フランス人の絵画研究者のトレ・ビュルガーが自らをフェルメールの発見者と名乗り無名の忘れられた画家フェルメールを再発見したと言うことが、現代の研究者達にとっては容認できない史実らしい。
 現代のフェルメール論者の見解では、フェルメールは1653年にデラフトにある聖ルカ組合という画家の組合に親方画家として登録。1662年、1670年と二度に渡り組合の理事に選出。画家としてそれなりの地位にあったとしている。

 しかし、私達が現在のフェルメールの価値に対する認識は、レンブラントやルーベンスと並び、「青いターバンの少女」にいたっては、「モナリザ」と並ぶ美しさと表現する方もいるほどだ。
 それが、絵画組合の親方画家であると説明されたところで、当時の著名な画家のひとりであったとは私には思えない。

 その中で、おそらく地方画家であったと思われるフェルメールを世界的な画家に押し上げた最大の要因は、トレ・ビュルガーの審美眼なくしてはありえなかったように思う。

 1866年のパリで過去の巨匠達の作品を集めた展覧会でフェルメールを紹介した所、話題を集めた。
 この展覧会の主催者のひとりがトレ・ビュルガーだった。
 ビュルガーは、展覧会の直後に美術誌にフェルメール論を三度に渡り掲載。この記事が評判になり世間の関心を集めフェルメール熱が沸騰した。
 (この話には、ビュルガーが絵画の売買目的にフェルメールをあえて誇張して記事を書いたという記述もあるが、その絵画に好意を示したのは、展覧会を見ただろう多くの鑑賞者によってのものと考えられビュルガー批判は少し偏っているように思う。)

 では、なぜ多くの鑑賞者はフェルメールの絵画に魅了されたのか?
 そのことを書くには、時間が足りないので再び「牛乳を注ぐ女」の魅力について述べてみたい。

 この絵を見て、心の底から美しいと感じる人は少ないと思う。
 体格のよい質素な服装で陶器の鍋に牛乳をそそぐ女性の姿はごく日常の1コマに過ぎない。
  絵画の手法も1660年代以降(特に1664~66年頃)の緻密な描写とは程遠く、女性の表情のタッチも荒い。、
 
 国立新美術館のパネルの説明では、構成の素晴らしさについて強調し、この絵画の持つ美意識を説明している。
 特に前方の机の位置が不自然な形に切り取られているのは、絵画全体の構成を重んじているためとの説明も、私の目から見れば牛乳を注ぐのに机を壁に水平にした状態よりも、自分の方向に後側を斜めにずらしたほうが、注ぎやすいからとの見方のほうが現実的に思う。
 (そうすると、机の手前の部分の角度が不自然と感じるかも知れないが、フェルメールの描いた「ヴァージナルの前に座る女」ーロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵。の楽器の位置と角度は、この「牛乳を注ぐ女」の机の位置や角度と類似している。そのことから、この机は構成上切り取られたものとは考えにくい。)
 
 机の不自然な切り取りを、後年のセザンヌ~マチスの流れの先駆けのような論説を展開しようとするのには無理がある。
 また、パンの上の点描が新しい光の表現とするのも、後の印象派~スーラへの流れの先駆けのようなイメージを鑑賞者に持たせるような見解で抵抗を覚える。

 では、この絵のどこが素晴らしいのか?
 例えれば「牛乳を注ぐ女」「青いターバンの少女」を例に、どちらが好きかを比較すると10人中7~8人までが「青いターバンの少女」を選ぶだろう。
 それは、ひとつにモデルの美しさがある。
 少女の見つめる目が、鑑賞者の目を釘付けにする。
 しかし、「牛乳を注ぐ女」の目を見て欲しい。
 視点は、牛乳が注がれる陶器の壷にあり、鑑賞者は無視されている。
 実は、フェルメールの絵画の凄さをここにある。

 1866年の時代。フェルメールが世界に向けて脚光をあびる要因となった年は、同じフランスで開かれた1874年の印象派展の6年前。
 さらには、ミレーの「落穂拾い」が描かれたのが1857年。
 「牛乳を注ぐ女」の構図はミレーが描いていたとしても、なんの違和感もないように感じる。
 
 この時代(トレ・ビュルガーがフェルメール論を展開した時代)の画家の模索は、写真撮影の黎明期と重なり、忠実な模写の技量が画家の最大の使命ではなくなりつつあった。
 また、高貴な人々(富裕層)は実際の写真を見て、写真に対する興味も増大する頃だったのではないか。

 そうした時代にまるで、現代にも通用するポート・レートやスナップ・フォトのように、何気ない時間を切り取ったようなフェルメールの小さな絵画は人々の心を打ったのだろうし、その古い絵画に当時の人たちは先進性は見出し、何よりも新しい絵画表現のひとつに見えたのではないか。
 その証拠になるとは断定できないが、「牛乳を注ぐ女」の絵は、「青いターバンの少女」の数倍の価値で取引されている。

 その後、フェルメールの絵画は、時代々々の多くの著名な画家達の賛辞を受け現代の高い評価につながる結果となった。(例えばゴッホの書簡や、ダリの思う最高の絵画としての評価。)

 1658年という時代に於いて、神話でも貴族の肖像画でもない何気ない一枚の緻密な表現によって書かれたポート・レートやスナップ・ショット。
 群像表現でもなく、風俗画でもなく、何気ない日常の切り取りと、光と構成を取り入れた巧みな実験的絵画手法。
 フェルメールの絵画を見る時、そうした時代背景を想像することは何よりも楽しい。

(注)青いターバンの少女は、真珠の耳飾りの少女と同一作品です。日本名では後者の呼び方が一般的ですが、私自身が目にした2000年4月~7月に大阪で開かれた展覧会の名称を使用しました。ただし、英語名は、Girl with a pearl earring。
オランダ名が、Meisje met de parel。~なので、真珠の耳飾りの少女が、国際的な正式名称のようです。

 


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