8月31日。ダイアナさんが亡くなって10年なのだそうだ。
ダイアナさんに、特別の思い出があるわけではないが、亡くなった日のことは覚えている。
8月の最後の日曜日。奥能登にドライブに出かけた際に、車中で偶然つけたラジオから
このニュースは流れた。
この事件は、パパラッチなる言葉を日本に定着させた。
ダイアナさんが、亡くなった時に強く感じたことは、平等教育が生み出す人々の心理の中に、
王族や皇族も下世話なネタのひとつに過ぎなくなったと言うこと。
庶民にとって井戸端会議としてのネタが、公共のネタとして扱われはじめた王族。
これまでの王族としての威厳や尊厳が喪失して久しい世の中で、王室に起きた様々な愛人ネタ等
のスキャンダル報道と、皇太子妃としての象徴的な立場の間で、皇太子妃ダイアナとして、
振舞わなければならない心中に焦燥感を感じていたことだろう。
その後、離婚。
一般人としてどのような活動をするのか興味があったが、
この事故ですべてを失ってしまった。
かつては権威と権限を同時に所有した王室が、象徴という曖昧な存在の中で
*尊敬と軽蔑。
*憧れと哀れみ。
の両面を自身に感じながら生きていかなければならない現実に、
シンデレラ・ストーリの真実があったように思う。
・・・たぶんあの頃にこんなことを考えていた。
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