mimi-fuku通信

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【平成23年:東北地方太平洋沖地震(東日本巨大地震)】に思う事 13。

2011-04-05 22:22:22 | 地震・津波・震災

 2011年4月5日。
 今朝は放射冷却の影響で思いのほか冷え込み、
 石川県加賀南部地方では氷点下の気温となった。
 ピンク色に色付いた桜の蕾も、
 “咲いてよいか”の様子見の状況は、
 晴天でも肌寒い一日だった。

 4月1日だったと記憶しているが、
 IAEA(国際原子力機関)による土壌検査から、
 “人体への影響”についての報告があった。
 日本国内の検査では、
 空気中の放射性物質の量から換算するために、
 異なる評価に福島県内の該当地域に混乱が見られた。

 土壌検査の意味について文字にすると、
 4月4日に発表された文部科学省の報告では、
 福島第1原発から北西約30キロの一部地点で、
 累積放射線量が3月23~4月3日までで、
 10・34ミリシーベルトに達し、
 屋内退避の目安となる、
 10ミリシーベルトを超えたと発表。
 
 水素爆発以後は大きな放射性物質の拡散はないものの、
 土壌に残る放射能力を持つ放射性物質から放射される、
 放射線量の累積であり土壌汚染地周辺では、
 長期に渡り放射線を出し続ける可能性がある。
 つまり、
 同一箇所に留まる事は累積量が増え続ける可能性も示唆されるが、
 今後の降雨や土壌に潜む放射性物質の半減期等も考慮に入れながら、
 人体にどのように影響があるのかを注視したい。
 また、
 地域全域の土壌が均一に汚染されているわけではなく、
 水素爆発時の風向きや斜面の向きなども関係していると見られ、
 今後も詳細な調査が必要なことに変わりはない。

 と、
 今日一番強く印象に残ったニュースを文字にしたが、
 *放射能とは放射能力のことであり、
 *放射性物質とは放射能力を持つ物質であり、
 *放射線とは放射性物質から放たれる線量(エネルギー)のこと、
 と認識している。

 福島県での事例は言葉に置き換えると、
 非常に難儀(厄介)な事態ではあるが、
 広島(ヒロシマ)の惨事を調べてみると、
 爆心地から北北西に約30kmで降り注いだ黒い雨は、
 放射性降下(フォールアウト)による、
 急性放射性障害(急速な被曝)をもたらし、
 今後100年は草木が生えないだろうと言われた。
 ~その後65年の結果は誰もが周知の通り。 

 ただし、
 福島第一原発周辺では予断が許せぬ状況に変わりはなく、
 放射性物質が散布された土壌検査と放射線量の調査。
 空気中の放射性物質の数値だけでなくIAEAの調査基準を参考に
 土壌調査にも目を向けるべきかも知れない。

 ~今夜はタリス・スコラーズのバードを聴きながら。 

 4月4日付の朝日新聞朝刊で気になる文字が目に付いた。
 「膨大な数の遺体を運び若手を中心にノイローゼになりかけている。」
 遺体収容に当たる自衛官の言葉である。

 “どの時点でどの言葉を文字にしていくか?”
 多くの方々に読んでいただいている事実を前提に、
 私が一番悩むことである。

 個人のブログだし自分の思いを文字にするだけで良い様な気もするが、
 事象(現実に起きている事)に合わせた順序だてをせずに、
 不適切な事例や言葉を選択する事は不快感を与え避けたいと思っている。

 *下記文書は、
 自衛隊員の方々の労苦を知る上で重要と思い文字にするが、
 強烈な文書転載のため読む前に心して欲しいと前置きする。

 「膨大な数の遺体を運び若手を中心にノイローゼになりかけている。」

 手元にある、
 山下文男著:『津波てんでんこ』(新日本出版社)に記された、

 「津波の死者は溺死と思われがちだが死者の多くは打撲による者が多く、
 “死者は頭脳を砕き、あるいは手を抜き足を折り、実に名状すべからず”
 “頭足、所を異にするに至りては惨のもっとも惨たるものなり”
 “累々たる死体の中には(中略)腐乱して誰かを見分けかねる者”」
 とあり、さらに、
 「死体は何れも痛みが激しく、
 砂をかぶって手と足だけを出している者もあれば、
 つぶれた家の下敷きになっている者もある。
 火葬と言うものは簡単なようで手間ヒマがかかる作業から、
 死体の痛みが激しく2日も経つと腐んでくるので、
 終わりには精根尽き果ててしまい、
 周辺の麦畑に穴を掘って埋めてしまった。」
 とある。
 
 
 また、
 山下文男著:『津波の恐怖』(東北大学出版会)に記されている、
 「津波における“引き波”の猛威は、
 死者と行方不明者がほぼ半数になり多くの遺体は海の藻屑と化す。
 その理由として引き波の激流にさらわれたまま海に運ばれてしまい、
 たえず潮が流動する広くて深い海中の(痛んだ)遺体を捜査する事は、
 (時間が経つにつれ)困難極まりない作業になる。」
 ~以上は明治と昭和の三陸沖地震の記録から。
 
 私が言いたい事は、
 被災された方々にとって冷淡で非情なようだが、

 <作業限界と作業効率×自衛隊員の活動制限>
 を考慮し、
 遺体捜索作業の撤退準備の時間は、
 間近に迫っていると考えている。

 本当に冷酷な言葉になるが、
 作業する方々の限界を超える労働を強要する事は、
 これもまた残酷な話だと思う。

 “期日のある我慢”
 は覚悟があれば精神力
で乗り越えられる。
 だが、
 “期日の見えない我慢”
 は不安と苛立ちから精神への負荷が大きい。
 ~相手のいる戦時においては…。
   だが今は戦時ではない。

 戦士の休息。

 今日はそんなことを文字にした。

コメント
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