mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

【東日本大震災:薬の遅配】現地での総べての知は結集されているか?

2011-03-20 20:50:00 | 地震・津波・震災

 東日本大震災発生当初から耳にする、
 “薬がない!”
 東北地方で一番の問題点は、
 薬を必要とする方の手に薬が行き渡らない事。

 今日のニュースでは、
 “郵便局員”が郵便配達をしている映像が流された。
 バイクでの身軽な移動と地域の地理を知り尽くした人達(プロ)。
 ~彼らが果たすべき役割は大きい。

 彼らに、
 
地域の居住情報”を管理させる事は可能だろうか?
 何処の住宅は留守で何処の住宅が避難所にいて、
 何処の住宅が自宅で待機しているのか?

 避難所生活が23万人と言われるが、
 インフラ整備のない“自宅避難者”は含まれているのか?
 本当の生活困難者の実数は倍近く存在するのではないか?

 その時に、
 郵便配達局員は自宅生活者の情報の伝達係にはなれないか?
 郵便は緊急を有さないが医薬品や食料・飲料j品は命に係わる。
 避難所に入ることのできない家族の情報収集と、
 各自治体・市町村の医療センターにあると思われるカルテの照合。
 郵便配達員から連絡を受けた、
 “渡されていない薬”の有無を調べ、
 郵便配達陰に自宅へ配達させる事はできないか?
 ~おそらく薬を郵便で配達する事は違法だろうが。
 
 医療機関で診療する事が困難でも、
 カルテの照合と必要薬の備蓄状況を鑑み、
 ガソリンがないために来院することができないなら、
 郵便配達員にその役割を委任する事はできないか?
 ~診療を必要としない生活習慣病の患者さん限定。
 
 法律の問題があるとしても、
 自動車数十台で医療センターに駆けつける燃料の無駄を、
 バイク1台で補える現実的なアイディアとはならないか?
 ~早く国会を開いて緊急に必要な法律の改正(期限付き)が望まれる。

 車1台に一人が乗るのではなく相乗りは地域で行われているか?
 どうすれば少ない燃料を使わずに出すべき同じ答えが出せるか?

 総べての知を集めろ!
 時間がなさすぎる。

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東日本大震災:東北地方の燃料不足を考える(平成23年3月19日)。

2011-03-20 20:13:00 | 経済・産業・mono

 とにかく不思議なことが起きている。
 西日本から大量に送られているはずの、
 ガソリンや灯油が被災地だけでなく、
 東北地方全体に届いていないようだ。

 昨晩震災から1週間経った事で、
 秋田県男鹿市にいる友人に物不足の状況を教えてもらったら、
 灯油やガソリン等の燃料や電池が入りにくいとの話だった。
 ~大きな横揺れがあったけど実質的な被害はないとの話に安心。

 岩手県北上市でもガソリンがないために、
 青森県八戸市に帰りたくても帰れないとのコメントをいただいている。

 10万人を超える自衛隊車両や緊急車両の移動が優先される事は当然として、
 福島県、山形県、群馬県でもガソリンは不足は続いている現状は不思議。

 ブログ検索(個人情報)から分かる事は、
 特に被災地区では通電していないガソリン・スタンドも多く、
 店を開ける事ができない地域も多々ある。

 *Google:ブログ検索の仕方
  “○○市 ガソリン”または“○○市 不足”と入力して、
  24時間以内や1時間以内を選択=確認。

 つまり、
 燃料をどれだけ送っても給油できる可能性がない地域もあるかも知れないし、
 阪神大震災との“圧倒的な違い”は膨大な地域の情報を通信や電力なしに、
 どのように国(政府)は調査し平等分配の配給が行われているのか?
 その疑問が生じる。

 電気も水道も通信手段もない地域で、
 ガソリンがない事実は私には想像もつかない。

 例えば新潟県での中越地震では、
 自動車の中で暖をとり情報収集している方々が多くいた事実は、
 狭い地域での直下型地震であったことで可能だった。

 M9.0のプレート型地震の広大な範囲への物流の困難。
 情報のない中で政府(中央行政)は何を理解しているのか?

 大震災から9日間が過ぎても物流が被災者の手に渡らぬ現実は、
 何処かで何かが間違っているとしか思えない。
 
 今回の巨大地震を見誤り直下型地震と同じ対応をすれば、
 必ず遅延が生じ“人々の心の不安は憤りに変わる可能性”を秘めている。

 解決策として考えられる、
 移動を可能にする巡回バスと個人行動の制限。
 …。
 数が足りない。

 道路整備がある程度復旧しているなら、
 民間企業が本気になれば直に解決できる問題(物資の配給)が、
 予算のない行政は躊躇し自分達の力だけで解決しようとしていないか?

 <情報>

 *ヤマト運輸=20日より宮城県、岩手県、福島県を除く、
           全国への荷物の発送や受け取りが可能。

 *佐川急便=東北6県で営業店止めサービスを再開。
         =20日より栃木県や茨城県宛ての時間帯指定サービスを再開。

 ~上記:優良2社は“日本海ルート=なぜ?”で7日間ほどの遅配もありうるとのこと。

 *ゆうパック(日本郵便)=東北6県や茨城県の荷物の受発送を停止中。

 民間企業が正義心で独自で行動するには法的手続きが必要なのだろう。
 ~被災の状況を見ながら何かをしたいと考えている人は無数に存在。
 インフラ整備の整った地区でのガソリン不足はやがて解消するだろうが、
 インフラ整備の整っていない地域の給油の困難は想像を絶する。

 人を助けろ!

 行政は恥や外聞を捨ても民間企業の力に頼るべきだ。
 すがってでも民間企業(バス・トラック・船舶)に力を借りなければ、
 広大な東北地方に起きている問題の解決はできない。

 とにかく遅い!

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福島原発事故:東京消防庁ハイパーレスキュー隊員の記者会見に思う。

2011-03-20 13:30:00 | 政治・社会・時事

 今日(3月19日)の午前中は、
 お彼岸と言う事で父方と母方のお墓参りに行った。
 昨夜(3月18日)、
 居酒屋に入ると開口一番奥さん(ママ)が、
 「お墓参り行ったか?」
 地震や原発事故の大きなニュースに心を奪われ、
 お彼岸に入ったことに気がいかなかった。

 ママ曰く、
 「来る人みんなに言ってるんや、
 ほとんどの人が自分を見失ってる。」
 お墓の前で“念仏”を唱える。

 墓参りをしながら“参るべき墓”すら失くしただろう多くの人達や、
 墓に入ることもできないだろう多くの行方不明者の方々に心が移る。

 平常心を取り戻す。
 小心者の自分達に迫っているかもしれないと感じる恐怖。
 その恐怖の最前線で戦っている男達が大勢いる。

 昨夜(10時30分頃)の、
 東京消防庁・ハイパーレスキュー隊の方々の、
 緊張感に満ちた会見に感動しなかった者はいない。
 ミッション(任務)の遂行の困難は、
 “家族への思い、部下への配慮、国民の期待”
 を背負いながら、
 自分達のの生命の安全を危険にさらし行われた消防行動。

 最前線で戦う者。
 困窮の中で喘ぎ苦しむ者。

 そんな方々の窮状を知りながら、
 “比較的安全な場にいながらの不安からの自己防衛行動”
 否定はしない。
 しかし、
 最前線で戦っている者達の“守るべき者”と、
 “守られている者”の心のあり方の違い。

 平常心を取り戻す。
 安全な場所で“朗報を待つ小心者達”にできることは、
 平常心を取り戻す事しかない。

 私達に何ができるかの前に、
 私達は何を我慢すべきか?

 最前線で戦っている男達がいる。

 心の平安が保たれなければ、
 情報ばかりに気をとられないで、
 お墓参りにでも行けばよい。

 ~以下Web記事転載。

 東京電力福島第1原発3号機への放水をした東京消防庁の緊急消防援助隊の第1陣が19日夜に帰還。
 総隊長の佐藤康雄消防司監ら3人が東京都千代田区の同庁で記者会見し恐怖と緊迫の状況を報告した。
 同庁によると現場の路面状況が悪く予定になかった車両外での作業を強いられるなど難航。
 隊員も防護服着用に普段より手間取るなど緊張し絶えず放射線量を測定しながらの作業だった。
 白煙が上がっていた場所を目掛けて放水したところ直後に放射線量がゼロに近い値に低下したため、
 燃料プールに命中したと判断したという。
 佐藤消防司監は、
 「隊員の安全を確保し連続して大量の水をプールに放水するミッションを達成できたと思う」と語った。
 さらに、
 「放射能という見えない敵と戦う恐怖心を克服した隊員に敬服の念を抱いている」と振り返った。

 「福島原発に行ってくるよ」。
 佐藤消防司監は派遣要請を受け妻にメールを打った。
 返信は1行で、
 「日本の救世主になってください」だった。
 「帰ったら、ゆっくり寝たい」。
 涙を浮かべ笑顔でつぶやいた。

 特殊車両で放射線量を測定した冨岡豊彦隊長は、
 「大変だったのは」と問われ「残された家族」と答えて沈黙。
 目を真っ赤にし頬を震わせ、
 「隊員は士気が高く一生懸命だった。残された家族におわびとお礼を申し上げる」と言葉を絞り出した。

 3号機の間近で放水をした高山幸夫隊長は、
 「仲間のバックアップがあったからできた」と断言。
 「出発前“必ず帰る”とメールをしたら妻から“信じて待ってます”と返信があった」
 と明かした。
 (2011年3月20日01時29分:時事通信)


 東京電力福島第一原子力発電所の事故で3号機の使用済み核燃料の一時貯蔵プールに、
 19日未明に放水を行った東京消防庁の緊急消防援助隊の総隊長ら3人が、
 同日夜に東京・大手町の同庁で記者会見を行い、
 「恐怖心を克服しミッションを達成できた」
 などと振り返った。

 会見に出席したのは、
 現場に行ったハイパーレスキュー隊の冨岡豊彦(47)、高山幸夫(54)の両隊長ら。

 オレンジ色の作業服姿に黒いブーツを履いた、
 冨岡隊長は大変だったことを尋ねられると
 「隊員の士気が高いので……」と切り出し絶句。
 しばらく声を詰まらせた後、
 「家族ですね。本当に申し訳ない。この場でおわびとお礼を申しあげたい」
 と唇を震わせながら目に涙を浮かべた。

 高山隊長は、
 「(放射能という)目に見えない敵との戦いだった。
 短い時間で活動を終了するのが大変だった。
 仲間のバックアップがあったから良かった」
 と話した。

 会見に同席した同庁警防部長の佐藤康雄総隊長(58)の説明によると、
 同隊はまず18日午後5時過ぎに同原発の正門から中に入った。
 当初の予定では3号機そばの岸壁から直接海水をくみ上げることになっていたが、
 がれきや流木が現場に散乱して大型車が通行できなかったためいったん撤退した。

 同日午後11時30分に隊員約40人で再び敷地内に入った。
 そのうち20人が約350メートルにわたって手作業でホースをつなぐなどし、
 19日午前0時30分に屈折放水塔車の高さ約22メートルのホースから、
 3号機に向かって20分間、毎分約3トンを放水した。

 放水前の現場の放射線量は約60ミリ・シーベルトあったが、
 放水を終えた段階でほぼ0ミリ・シーベルトに。
 佐藤総隊長は、
 「(使用済み核燃料プールに)命中しているなと思った。
 139人の安全を確保しつつ連続して大量の水を注入するミッションを達成できた」
 と笑顔で語った。

 2度の活動に従事した約50人のうち、
 最も被曝(ひばく)量が多かった隊員は約27ミリ・シーベルトで、
 14~15ミリ・シーベルトが3人、
 10ミリ・シーベルト以下が45人いた。

 同庁は原子力災害の現場での被曝量の基準を30ミリ・シーベルトと設定しており、
 佐藤総隊長は、
 「基準を満たすことができた。放射能の危険を熟知しているので恐怖心を克服できた」
 と述べた。
 活動には本人が承諾したハイパーレスキュー隊員を充てた。
 (2011年3月20日01時28分  読売新聞)

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