懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

古い町並み  倉敷市連島西ノ浦 その1

2013年01月22日 | 古い町並み
撮影場所 倉敷市連島西ノ浦

私は水島の工場に勤めながら連島西ノ浦に古い町並みがあるのは知らなかった。
連島公民館でのカルチャー講座に通っていた。始業までに時間があったので附近を散歩していて古い町並みに気付いた。
しかし、その時は写真撮影に興味がなく、カメラを持って撮影に来たのは平成になってからである。三回程訪れたであろう。
昭和40年代の風景とは人々の服装も違っていたし散歩させる犬の種類も洋犬に変わっていた。
撮影したからと言って何に使う目的もななかった。平成の自分の目で撮影して見るのも面白いかと思った。それと昭和40年台との大きな違いはカメラのレンズがズームレンズになり狭い場所でも撮影できる事であった。昭和40年代は標準レンズだけで撮影してきたので撮影できるものが限られていた。

連島西ノ浦は連島の山際を理箆取神社を中心に東西1キロくらい町並みが続く、道は直線的でなく何度も曲がって続いている。かって綿花で栄え大きな屋敷の家が今も残っている。

千年も昔、岡山南部はほとんどが海で児島、連島も島であったようだ。洪積と新田開発で田地化された。
倉敷の阿智神社や葦高神社、箆取神社は船の航行を守る灯篭があり海の神様となっている。
連島一帯は三宅水軍の一族が住みついたといわれている。
瀬戸内海には村上水軍や塩飽水軍と遠い昔は海賊まがいの事をやり戦の時は水軍として活躍した一族がいる。
連島一帯は今も三宅姓が多く、石を投げれば三宅に当たると土地ではいわれている。
地元の小学校では三宅姓がひとクラスに五、六人はいるそうだ。
三宅の姓の元は屯倉に由来すると言われている。
屯倉(みやけ)は朝廷の直轄地を指し屯家、御家、三宅、三家に変化していったと言われている。







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