懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺き民家   旧旭町の民家

2015年08月31日 | 茅葺き民家
岡山県の中央部には棟飾りを茅で束ねてのせる。
数は他のカラスオドシと同じく奇数である。めわらと呼ばれている。
現在は茅葺民家も減りめわらは腐れやすいので絶滅したのではないか。

しかし、動植物のように絶滅危惧種扱いもされず消え去ったようだ。。
これは茅葺の職人や器用な人ならばいつでも復活できる。
茅はいくらでもあるし再生ができないものではない。

私も岡山県の貴重な茅葺と思い撮影した。


茅葺民家 京都府旧知和町の民家

2015年08月30日 | 茅葺き民家
知和町は現在、京丹波町になっている。
丹波の国は兵庫から京都にまたがっていたので京をつけている。
私が平成に入り初めて丹地方を訪れた時にも落ち着いた日本の風景に感動した。
美山町への入口の知和町に懐かしい風景の民家があった。

画家の向井潤吉氏は国鉄の山陰線の下山駅周辺の茅葺風景を描いている。
ほど近い知和の風景も蒸気機関車の走っていたころはあんな風景であっただろう。
山陰線に乗る機会はあったが自分に発見する能力や撮影する技量があったかはわからない。
20代に来てもいい写真が撮れたかどうかわからない。
自分には50歳近くにならないとそれが備わってこなかったように思う。



日本茅葺紀行 NO,237 山口市仁保の茅葺民家

2015年08月29日 | 岡山の茅葺民家写真展
山口市の東部、仁保周辺の茅葺を求めて走る。
片屋根の茅葺民家があった。滋賀県にも半分茅葺き、半分は瓦屋根の民家に何軒かであった。
接合部の雨仕舞がうまくいくのであろうか

瓦屋根は島根、広島で見られる釉薬瓦である。
地区によって瓦も、色も違う。
石垣を積んだ上に建っていた民家は嘉村礒多(小説家)の生家だそうだ。
どんな小説を書いたかしらない。石賀は素晴らしい。




懐かしい物 国鉄倉吉線関金駅

2015年08月28日 | 懐かしい物
撮影場所 鳥取県倉吉市関金町

倉吉線は国鉄の一次廃止対象路線で昭和60年3月末に廃線となる。
廃止される前に撮影にきたと思う。
家族と一緒に鳥取に海水浴にいくついでに撮ったのであろう。
この時期はほとんど写真を撮っていない。
昭和50年代、60年代の写真がほとんど残5っていないのが痛い。
家族と一緒では家族の写真が中心で自分の捨身など撮れない。
家のローンもあり新しいカメラを買う余裕もなかった。ガタの来ているカメラを使っていた。
家族写真はカラーで自分の写真はモノクロを使っていた。

山守駅と関金駅を撮っているが片手間で撮った写真で根性が 入っていない。
廃線反対の立札が立っていた。
関金にくるには蒜山から犬挟峠を来たと思う。犬も挟まれるほどの狭い峠の名の通り狭い悪路だった。今は素晴らしい直線の下り道路になっている。すぐに100キロを超過する。

岡山の茅葺き民家   旧阿波村

2015年08月27日 | 茅葺き民家
岡山県の茅葺き民家は阿波村、加茂町、奥津町に沢山残っていた。
阿波村に小屋も茅葺のの茅葺き民家があった。
山の斜面の杉林の間から撮った。
蛇や蚊のいないシーズンに行った。
植林をしているのでころげ落ちることはないと思ったが枯れ葉で何度も滑った。

杉林の間から民家が見えた。
遠い大正、昭和から変わらぬ生活に見えた。
映画のワンシーンのように過去に戻った光景に見えた。
パッと開けた光景ならばそうは感じなかっただろう。
杉の間から見るだけで印象が違うのだ。。


茅葺民家 里芋のある風景

2015年08月26日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 兵庫県小野市

里芋は葉が大きいのでモノクロで茅葺き民家と一緒に撮っても存在感がわかる。
都市部に住む人の中に里芋の葉も知らない人がいる。
田舎に住むゲームばかりやっている若者も知らないであろう。
40歳も50歳もなっても知らないのは恥ずかしい。
子供のから栽培や収穫を見せておく必要がある。
自分が食べるものがどのように栽培されどこで作られているか最低限知っておくべきだろう。

里芋はジャガイモやサツマイモよりずっと前に日本に渡ってきている。
米より早く縄文時代に渡ってきていたそうだ。
人類が餓えないため芋の果たした役割は大きい。食糧になるものはなんでも食べて広がった。アンデスの高地から世界中に広がっジャガイモ。、里芋とサツマイモは米食文化圏で広がりとどまったようだ。

煮物にすると里芋が一番すきだ。
山形の芋煮には里芋は欠かせない。愛媛の大洲にも芋炊きの行事がある。  

  

日本茅葺紀行 NO,236 大分県天瀬町の民家

2015年08月25日 | 日本茅葺紀行
大分県天瀬町は川ぞいの小さな平野に町がある。
農業や林業は山の中腹や頂上付近の斜面や平地の田畑で農作物を作っていた。
集落を結ぶ道は狭くいっぱい脇道があるのでどこを走っているのか全く分からない。
茅葺き民家探訪は適当に走ることである。走っているうちに土地の特徴や集落の形成がわかってくる。五感を生かしありそうな場所を探した。
茅葺き民家も発見できないとこんなアホな事をやってと思う。
こんな趣味は元々適当に楽しむ趣味で厳格に行動管理をするひとには向かない。
今は茅葺きも減り、航空主写真やストリートビューを駆使してさがしているようだ。

天ヶ瀬町の山の上には茅葺がありそうな気がした。
杉皮で葺いた民家と茅葺民家が混在していた。
九州特有の棟飾りのダゴ飾りに出会えたのは収穫だった。
ダコ飾りは茅の軸だけを束ね棟飾りに乗せたもの。
茅のため腐り易いので原型が残っているのは少ない。


蒸気機関車 腕木式信号機

2015年08月24日 | 蒸気機関車
蒸気機関車の末期の頃は腕木式信号機は残っていた。
日豊線や伯備線、播但線にも残っていた。
いずれ姿を消すであろうとは想像できた。
しかし、腕木式信号機だけは撮っていない。
列車あっての信号機、必ず列車をいれて信号機を撮った。
まさしく昭和の風景である。
今度、昭和の遺物のテーマで写真展をする。
平成の時代になり昭和を撮っていない事に気付いた。
昭和の時代にちゃんと撮影テーマを決めて撮り残さなかったかとくやまれる。
人間は年齢を重ねるに従いいままで趣味らしいこともせず何も人に自慢できるものもない事にに気付く。言葉としては60の手習いという言葉がある。もてあます時間と金も持っている、健康で体力もある人は失われた過去を取り戻そうとする。リタイア組の行動力はすさまじいものがある。

しかし、テーマによっては過ぎ去った過去の30年、40年はあまりにも大きい0.800メートル競走で一周遅れでスタートするほどの差がある。

写真は日田英彦山線の後藤寺駅、線路が分岐しているので信号機も多い。

岡山の茅葺き民家   旧落合町の民家

2015年08月23日 | 茅葺き民家
落合町は岡山県の中央部、この民家は町の郊外の平野部にある。
現在も残っていて人が生活している。
よく茅葺き職人もいたものだ。

聞くと医師で病院を経営されているそうだ。
今は茅葺の南に家を建てて正面から撮りにくくなった。
落合町は山も多く山間部の集落には茅葺民家も残っていた。
しかし、現在はもうなくなったであろう。
岡山の道はすべて走ってみようと思ったが走って国道、県道レベル
までだった。

茅葺民家 兵庫県三木市の民家

2015年08月22日 | 茅葺き民家
三木市は隣が神戸市、山陽自動車道がはしっている。
郊外を走っていると茅葺の匂いがする。平成まで茅葺が残るにはその理由があるように思う。
古い町並みや家屋にしてもそれを残す雰囲気がある。
里山の風景にしても池や川、神社や寺院、信仰の石仏や森や林、祭りや行事が伝統的にのこされているように思う。
しかし、次第に伝統を残すことも行事も建物を残すことも難しくなってきた。

我々は写真で残すしかないと思っている。
写真に残す事が自分史であると思う。自分の思考であり行動記録であると思う。

写真 耕された畑、あぜ道、人が日々働き毎日のように歩いたあぜ道に人間の目は人がいなくても暮らしを感じるものだ。