懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

ホタルブクロ

2015年06月30日 | 日記
岡山県真庭市落合町の普門寺にアジサイを見に行く。途中の山の斜面にホタルブクロとササユリが咲いていた。笹ユリは北側の斜面の草ムラに生えている。
強い太陽はきらう。南の斜面には少ない。あるとすれば木立のなか。最近イノシシの食害で数を減らしている。近づけないので遠くから撮影

ホタルブクロは道路脇で撮れる。関東のものは小豆色、関西は白い。分布は笹ユリと山百合の境界によく似ている。
ホタルブクロとはいい名前だ。
袋と言えば結婚式の定番のスピーチである。
結婚に大切な三ツの袋、お袋、給料袋、堪忍袋
何度も聞くまたかと思う。
日本語にはこんな三ツ並べた言葉がある。同じような言葉を三つ並べたのはなかなか思いつかない。
国会議員は地盤、看板、カバン(金庫番)
貯蓄の心得、日掛け、月掛け、心掛け
鳥取県では大山(だいせん) 温泉、貧銭(金のない県)

こんなのは何処で調べたらいいのやら、それとも自分で作るか




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岡山の茅葺き民家 岡山市南部の民家

2015年06月30日 | 茅葺き民家
岡山南部は干拓地がおおい。干拓地と用水に名前がついている。一蟠(ばん)から九蟠(ばん)
まで西から東に区番されている。
現在は宅地に変貌しているがこんな干拓の地番は使わず地名がついているが地元の人は未だに茅葺き民家は三蟠にあると教えてくれたりする。
三蟠に何軒か茅葺きがあった。岡山南部の民家らしく棟にがんぶり瓦、下屋は本瓦葺きである。

100年も前にこのあたりに軽便鉄道が走っていたそうだ。岡山と高松を結ぶ連絡船が三蟠港からでていた。それの連絡鉄道が敷設されたようだが宇野線、宇高連絡線の開通と岡山港が浅くなり運航が厳しくなり16年で廃線となっている。
今年は三蟠鉄道の記念イベントがあり例会や記念行事の案内を以前からおくってくれいた方がいた。私は車椅子生活のため参加できない旨を電話でお断りした。世の中にはこんな活動を根気強くやられる人がいる。
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茅葺民家 兵庫県旧千種町の民家

2015年06月29日 | 茅葺き民家
千種町は兵庫県の北西部の端にある。鳥取県と岡山県に隣接する。
千種川の源流域でもある。
最初は岡山県の東粟倉村から峠を越えて入った。
しかし、このエリアに何回か行っているうちに国道二号線で兵庫県に入り北上した方が早いのに気づく。
早いと言っても高速道は無かったし30分程度の短縮だった。
今だと高速道路を途中まで使えるので早くなった。
しかし、便利になり開発が進めば昭和以前の建物茅葺き民家は姿を消す。

初めて訪れた時は昭和が一杯残っていたので感動した。
カラーはカメラを持っていなかったので撮影していない。モノクロで撮れる風景だった。
モノクロ向きの風景だった。カラーでも昔懐かしい風景に写っていたと思う。

お婆ちゃんが孫かひ孫を連れて散歩していた。
撮影させてもらったので声を掛けていると思うがすっかり忘れている。
残念ながら撮った事も忘れている。
こんないい光景が残っていればすぐにまた来ればよかったと思うが行くところが他にもあり一度撮ったところは再びくる事は無かった。
次に訪れたのは10年も経過していた。茅葺は激減していたようにむ思う。

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日本茅葺紀行 NO,224 島根県旧広瀬町

2015年06月28日 | 日本茅葺紀行
島根県はく撮影に行った。まだ普通に斜面にも登れたし自分で運転して撮影に出かけていた。
田舎の風景が残っていた。茅葺のあるところは茅葺きだけ建っているいるのではなく。
茅葺きに合う風景がセットになっているようにおもう。
背景に山、林、田に畑、丘陵、人々の営みが作り上げた風景ともいえる。
しかし、人が減り家が減る今の過疎地の風景、20年30年後はどう変化するのであろうか
そんな思いで今の茅葺き民家のある風景を記録にとどめている。
家が建っているので電気は来ているが不思議と電柱が写っていない。電柱は避けて撮っているのであろうが電柱を外して撮れるのが茅葺き民家のいいところだ。

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蒸気機関車 D519

2015年06月27日 | 蒸気機関車
撮影場所 日豊線南延岡機関区

D51でも二桁の番号は抵抗を減らすため上部をカバーで覆った。
ナメクジに似ているのでナメクジと呼ばれていた。
D51は沢山製造されたので馴染みがあったがナメクジ型は数が少ないので愛好者もいた。
室蘭本線や函館本線で普通のD51は撮影しない者もいた。
私も普通のD51は何台か撮影していればよいと思った事もあった。
伯備線に沢山走っていたので関西線や中央西線などは撮影に行かなかった。
少ない機関車の走っているところに出かける傾向にあった。
蒸気機関車の走っている期間は数年で終わった。
えり好みせずなんでも何枚も湯水の如くフィルムを使い撮っておくべきだったと反省する。

日豊線にはナメクジが三両いた9号、12号、46号がいた、
全機撮っていると思う。この機関車は晩年まで残っていた。日豊線の電化前までいたようだ。
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岡山の茅葺き民家 旧大佐町大井野の民家

2015年06月26日 | 茅葺き民家
大佐町は現在、新見市に編入された。
大佐町も北部は鳥取県に隣接している。冬場は雪が積もる。
大佐から大井野経由で千屋に抜けた。
走っていない県道や市町村道をひたすら走った。
走っても茅葺き民家はほとんどなかった。
千屋なら残っていそうだがほとんどなかった。
訪れるのが15年遅かった。
しかし、大井野に一軒残っていた。
小学校帰りの女児が三人歩いて来た。民家と一緒に撮った。家の前に大きな松がむあった。
こんな風景は子供ながら記憶に残っているものだ。
声を掛けて民家の前で三人並んでもらい撮影したほうが良かった。
時代の変化が大きく大井野に小学校は残っているのであろう。たぶん児童数の減少で学校の統廃合があったのではないか

何かカメラを持ち同じ物をひたすら撮っていたら20年、30年経過すれば社会の変化が読み取れる物である。それが写真のもつ記録性であろうか

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茅葺民家 京都府旧京北町の民家

2015年06月25日 | 茅葺き民家
京都府京北町は現在、京都市に編入された。
初めて訪れた時は茅葺き民家もあり杉の山の光景が落ち着いた風景だった。
民家も端正でどの家も周りは塀で囲まれていた。
民家の気品を感じたものだ。
十数年ぶりに京北町を訪れた。
いろんな施設が出て買い物のできるスーパーもできて町らしくなったてきた。
それに伴い茅葺きも減ったように思う。
それでも撮影できる程の茅葺き民家は残っている。

表紙の民家は息子が買ってくれた「日本の民家」の本に載っていた。
また綺麗な民家で残っていた。



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日本茅葺紀行 NO,223 山形県白鷹町

2015年06月24日 | 日本茅葺紀行
山形に五月に出かけた。
去年は私も家内も入院で旅行はお預けだった。
猫も飼って泊まりがけで出かけにくくなった。
息子に猫の世話をお願いして出かけることとした。

あと何回旅行が出来るだろうか
撮ってきても写真の整理も終わっていない。
生きているはみんな頑張って膨大な写真を撮っても作品にしないとみんな捨てられるのだろうな。
生きているあいだ本人が楽しければいいとおもう。
私は茅葺きを見て楽しいかもしれないが家内は運転はさせられるは撮影はさせられるは私の人生はなんなのよと言われそうだ
実はこの写真も家内に撮ってもらったもの。

山形県、五月は高い山には雪が残り茅葺きも残っていて素晴らしいところだ。
いつまでこんな風景が残るのやら
山形に行った時にスーパーでサクランボを注文していた。
昨日それが届いた。サクランボ道路の両脇にはサクランボ畑がずっと続く



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懐かしい物  軽便鉄道の走っていた頃

2015年06月23日 | 懐かしい物
岡山県は軽便王国とよばれていたそうだ。
私は岡山県で生まれ育った人間ではなく転勤で岡山住んだ人間なので昔の事は写真で見るしか知らない。
軽便はどこも車社会になり姿を消した。
この井笠鉄道も廃止後、井笠バスとして地域を走ったがそれも倒産して別の会社に買い取られた。
地方の人口密度の少ない地域の公共交通は運営が難しい。
市町村の運用するコミュニティバスを運用するしかない。

軽便の走っている路線はのんびりしている。都市部の電車のような騒がしさも賑やかさもない。昭和の情景だらけなのに撮り方が下手である。写真を撮影する技術と企画構成する能力がないといい写真が残せない。
NHKの番組にドキュメント72という番組がある。金曜23時
鉄道や古い町並みを撮るときもこんな考えで撮るべきだっと思った。
同じ場所で72時間来る人や周辺の変化を撮影していく。人間模様や人の悩みやつながり暖かさが見えてくる。


先頭車の後ろの客車や貨車はみんな木製である。
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岡山の茅葺き民家 旧吉永町の民家

2015年06月22日 | 茅葺き民家
吉永町は現在は備前市に編入された。
吉永町はレンガの町、茅葺き民家では八塔寺の茅葺き集落が有名だ。
八塔寺以外で茅葺き民家を探す何年頃まで残っていたか不明だが20年前までは5軒はあった。情報もなく集落から集落へ車で走った。
何も発見できなければガソリン消費の虚しいドライブになる。
自分一人では観光地や花を見に行かないので家内と一緒にドライブがてらに田舎道を走って見る事が多い。最近はいくら走っても人の住む茅葺き民家に出合うことはない。

寄棟造りで箱棟の民家だ。

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