懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしの蒸気機関車写真展 その50 「走行 2」 宗谷本線

2013年11月30日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 北海道和寒村 塩狩峠

塩狩峠は宗谷本線の蘭留(らんる)と和寒(わっさむ)間にある峠
アイヌ語の地名が多い。
塩狩峠は雪の峠だった。木々はクリスマスツリーになっていた。
線路脇の雪の少ないところを撮影場所まで歩いた。

塩狩峠は三浦綾子さんの小説で有名になった。
昭和41年から連載されたようだ、小説の内容についてはネットで検索ください。
私が訪れたのは連載が終わって三年程経ったときである。

実際あった事件をモデルに小説にしたようだ。事実と異なると異議を唱える人もいるがあくまでも小説である。列車が塩狩峠の頂上に差し掛かった時に列車の最後部の連結が離れ乗客を乗せたまま峠を下り始めたので青年が身を挺して列車を止め殉死したという物語
小説の時代の列車は連結器でつながりブレーキは機関士のみが操作できた。機関車にしかブレーキがなかった。

トンネルの中で機関士助手とも煙で窒息し気を失い暴走転覆事件もあった。
車掌室にもブレーキを付けた車両もある。現在は各車両にブレーキがついているしエアーホースが外れるとブレーキがかかるようになっている。
常にブレーキは加圧されてブレーキが外されエアーがなくなるとブレーキがかかる。
エアーレスシャットの安全サイドにできている。



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茅葺民家 島根県広瀬町西谷の民家

2013年11月29日 | 茅葺き民家
撮影場所  島根県広瀬町西谷(現在は安来市)

国道脇にあった茅葺民家、苗代の準備をしていた。
入り口の石段が味があったので撮影した。
このあたりの農家は牛を飼っている家が多かった。
現在も牛は飼われているのか久しく訪れていないので気になるところだ。
TPPが実施されれれば日本の農業も変革されるのだろうか。
農村集落や地域のコミュニティがどう変わるのか注視していきたいものだ。




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懐かしい物 ボンネットバスとDISCOVER JAPAN

2013年11月28日 | 懐かしい物
撮影場所 徳島市 徳島駅前

駅前にボンネットバスが停車していた。この当時でもボンネットバスは少なかった。
しかし、どこのバス会社でもボンネットバスは車庫に一台くらいはいたのであろう。
鉄道ファンは多いがバスファンはどれくらいいるものだろうか
昭和30年代のバスや停留所での乗降風景を撮っていたら貴重だ。

ボンネットバスのついでにボンネットトラックの話
NHKのラジオで土日の夕方に地球ラジオというのがある。海外で暮らす子供たちの作文が読み上げられる。2013.9.14に放送された「ぼくの友達ボンネットトラック」は大変反響があった。
書いたのは小学4年生、村上遼君、タイに住んでいてタイには日本製のボンネットトラックが現役で頑張っている。30パーセントがボンネットだそうだ。
早朝や学校の休みの日に市場に集まるトラックを撮影に行く。お父さんに連れられてチェンマイまで撮影にいく。
古い車のため部品がなく廃車トラックを「にこいち」にして組み立てるそうだ。
解体屋のオッサンの話す「にこいち」の言葉を知っているのがおもしろかった。
自分の好きな事を自信をもって話す村上君に逞しさを感じた。
絵本も発行したそうだ。小学4年生で自分の好きな事を発見し行動し本まで作る才能に驚いた。大人になっても自分の感動するものを見つけられない人も多いのに素晴らしい。

Discover Jappanは国鉄が昭和45年10月から始めたキャンペーン
日本再発見としとて古い町並みや日本古来の風景が見直された。
環境に対する国民の意識も厳しくなる。屋久島の屋久杉の伐採も昭和45年に中止された。
昭和30年代後半から高度成長期はスクラップ&ビルドの時代だった。
それに危機感を抱き古い建物や町並みを保存する運動が活発になった。
このキャンペーンで高山や倉敷、木曽路に若い女性がどっと訪れた。
「遠くへ行きたい」「私の城下町」「いい日旅立ち」のキャンペーンソングもみんなの記憶に残るものになった。

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日本茅葺紀行 その96 山梨の養蚕農家

2013年11月27日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山梨県山梨市

私の所からだと山梨は縁遠いところである。
山中湖など裏から富士山を観光で行くくらいの事である。
私も余り行く機会がなかった。
茅葺民家の本に出ている山梨の豪壮な養蚕農家を見てみたい。
まだ残っている民家があるとの事で山梨の茅葺民家探しに出かけた。
養蚕は日本から消滅して40年以上経過する。細々なりにやってはいるが
養蚕を知る人も少ない。私も実際の養蚕は見たことがない。
子供の頃に桑の木は残っていた、実を食べた記憶がある。

21世紀の現在にも養蚕農家が残っているのは文化財ものだと思い撮影した。
この家から富士山がはっきり見える。ここに住む人は毎日富士山を眺めて暮らしているのだ。この家はブドウやリンゴの栽培をしていた。

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懐かしの蒸気機関車写真展 その49 「走行」 室蘭本線

2013年11月26日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所  室蘭本線沼ノ端

今回からは走行についてお送りします。
蒸気機関車の走行と言っても色々な風景、季節の中、列車の編成の違いいろんな角度から撮れたと思うが最終作品を考えて撮ったわけでなかった。
走行写真を撮るにしてもいろんなシーンをリストアップしておいてそれに沿って撮影しシナリオを作り上げた方が内容が深いようにおもう。
撮影にしても行きあたりバッタリだったように思う。
もう一度若い頃の、あり時代の人生がやり直せるならいつも反省ばかりだ。

室蘭本線が勇払平原の中を走る。湿地帯で冬には白鳥なとの鳥が飛来する。
初夏には水芭蕉がさく未開の原野を石炭列車が走る。石炭運搬の専用貨物列車である。
1500馬力の蒸気機関車が1500トンの石炭を運搬した。一馬力一トンの荷物を運ぶのは鉄道ならではである。トラックの10倍運べる。摩擦係数の差であろう。
まだ辛うじて炭鉱では石炭の採掘がおこなわれていた。
この沿線には美唄、夕張の炭鉱を有していた。
炭鉱、石炭列車、蒸気機関車、昭和の風景そのものであった。
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茅葺民家 滋賀県永源寺町君ヶ畑の民家

2013年11月25日 | 茅葺き民家
撮影場所 滋賀県永源寺町君ヶ畑(現在は東近江市)

永源寺町の政所や君ヶ畑は木地師の里として知られている。
平安時代の藤原氏の勢力の強い時代、天皇の長男でありながら藤原家の娘の子を天皇にするため暗殺の危機にあった。それを逃れこの地に幽閉したといわれている。
政所の地名残るように歴史の地にはちがいない。
君ヶ畑の「君」は幽閉の惟喬親王を指すといわれている。

政所からいくつかの集落がある。深い谷沿いの細い道である。
その一番奥に君ヶ畑はある。昔はその奥に蛭谷という集落があったが廃村になっている。
その時に廃村になった状態をみてくればよかったとおもう。
政所から君ヶ畑まで20戸程の茅葺民家が残っていた。土地が狭く大きな民家はすくない。
そりから7年ほどして再び訪れたが君ヶ畑の茅葺き民家はなくなっていた。
それでも何軒か茅葺民家は残っていた。
わたしが永源寺町を訪れたかったのは川島宙次氏の茅葺民家の本を見てからである。
山間部の茅葺民家に心動かされた。川島氏の写真はほとんどモノクロであるが日本に数多くの茅葺民家が残っている時代に撮影されているので貴重である。
大手建設会社の部長をされていて出張に合わせ休日に各地を訪れていた。
出張旅費で旅行もするので公私混同だと批判もあったようだ。

畑の付く地名に何かときめくのである。不思議と茅葺民家が残っていた。
千ヶ畑、土ヶ畑、十年畑、女子畑などなど









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懐かしい風景 茅葺民家と稲架

2013年11月24日 | 懐かしい物
撮影場所 鳥取県日南町

稲架と茅葺民家を撮った。稲架で稲を干し脱穀するのが少なくなった。
稲架で干した米は美味しいという。逆さに干すことにより葉や軸の栄養が実に環流するとまで言う人がいる。
穀類は干す事によりでんぷんが糖質にかわり甘みを増す事はあるかもしれない。
もち米は三週間は乾燥させないと乳白色にならない。すぐに脱穀精米をするとうるち米のような透明感のある餅になり有難くない。
サツマイモなど掘ってすぐ蒸して食べても甘みが少なく感じる。
10日ほど土つきのまま感想させると甘みがでてくる。
ニンニクも掘り上げてすぐに食べても臭みも弱いしおいしくない。
乾燥するする事に味が熟成され旨みが濃縮するのでないか。

余談だがイモ類は土付きのほうが保存状態がよい。
土はイモ類の基礎化粧品、これをドロホルンリンクルというのかな

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日本茅葺紀行 その95 京都市右京区越畑

2013年11月22日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 京都市右京区越畑

越畑は棚田もあり茅葺民家も残っているし○○百選に登録されているので訪れる人も多い。
しかし、道は狭いところもあり山の中に開けた集落である。
京都市内といえ左京区久多同様に隠れ里のひとつである。
山間部の中にポッんと集落があるのはよい。
その中に一軒大きな角屋造りの立派な茅葺民家がある。
大きな銀杏の木があり紅葉のシーズンには絵になるなる写真が撮れる。

ここの撮影の後は京都市内に降りてみた。地元に人に「道が狭いのでやめときなはれ」と言われたが行ってみる事にした。
本当に道は狭い。茅葺民家探しにこんな道は仕方ない。
集落がなく山道ばかりでは不安になる。保津川駅の手前の集落にはユズを作っている集落があった。しかし、茅葺民家は無かった。若い人はこんな山間の集落も記録に残しておくとライフワークになりそうだ。
以前の保津川駅は谷底にあったのが今は高い位置にルート変更されて新しい駅舎になっている。
以前の駅はトロッコ列車の駅になっていた。以前の駅の周辺はまったく集落がなく徒歩しか行けず秘境駅だったのだ。
ここからまだ京都の街中までは山道の細い道が続く、そうして降りたところが茅葺民家の何軒か並ぶ北嵯峨野だった。初めてにしてはなんか見たことのある風景だと思った。
雑誌やネットでよく見る風景だった。
いつも観光地には関係ない旅であるが嵯峨野と聞いて家内は喜んだ。
はずれに車を無料で何台か置くところがあり車椅子を押してもらいぶらりと下って見物した。坂道なので登りはきついので家内に車で迎えにきてもらう。

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懐かしの蒸気機関車写真展 その48 「急行安芸-2」 呉線

2013年11月21日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 広島県三原市糸崎駅

安芸は急行であったがヘッドマークを付けていた。ヘッドマークは普通、特急列車につく。
ヘッドマークが付くと列車の格が高くなるようにおもう、有難かった。
イベント列車のヘッドマークは付けない方がよいと思う。
山口号などヘッドマークがないほうが普通列車に見えようでよいと思うのだが。

機関区に停車していた時もヘッドマークは付けたままである。
ヘッドマークは結構な大きさであるが盗まれた事があるそうだ。
急行ニセコのサボ(行き先表示板)など何度も盗られプラスチックになりそれでもむ盗られ最後は厚紙にマジックペンで書かれる事もあった。
どんな世界でもブームになりマニアが増えれば金になると思い悪い者も増えてくる。
ヘッドマークやサボなどそっくりしたものをつくり差し替える人がいると写真展の時に教えてくれた。私は骨董や古い物には興味がなく鉄道部品も買いに行ったことはない。
管理が出来ないがわかっているので埃をかぶりゴミ芥の類になるので初めから集めなかった。

糸崎機関区から見えた工場の煙突も今は消えてない。
電気機関車や客車も沢山停車していたがそれには目に行かず写真が残っていない。
いろんな昭和の風景を撮らなかったのは残念である。





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茅葺民家 少女のいる風景

2013年11月20日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県篠山町(現在は篠山市)

茅葺民家の店の前で少女が二人遊んでいたので写真を撮らせてもらった。
一輪車の練習をしていた。
村雲小学校に四年生と言っていた。村雲といえば私の働いていた会社に村雲三次(むらくもさんじ)という人がいた。みんなから泥棒の親分のような名前だといわれていた。
ひどい事をいうものだと思った。
雲が付いている事から雲助を連想したのか、三次というのも雲助を連想したのかもしれない。私も50年も前の事だが未だに忘れもしない。

少女たちと話をする時に何を話すか、好きな食べものは何か、歌手や芸能人は誰が好きかが無難なところか
家族構成を聞くと親が喧嘩ばかりしていて離婚したという子もいた。
こんなのは子供を傷つける事もあるので難しいところだ。
ちなみに彼女たちの好きな食べ物はハンバーグ、嫌いな物はピーマンだった。
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