懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺民家写真展 - 59   こりゃあ古い  その2

2014年11月30日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県奥津町

奥津町は苫田ダムで水没するところもあり最初に撮影を始めたところである。
茅葺き民家も残っていた。
いい光景は沢山あったが撮り方に根性が入っていない。
二枚ほど撮って終わりである。持っていくフィルムの数も少なかったのも一因である。
手探り状態で始めた趣味であったのが情熱のない写真になったのかもしれない。

長い時間使われてきた民家には味わいがある。
綺麗な民家もいいが、朽ちるまで生きてきた民家には鬼気迫るものがある。いつ取り壊されるのかわからない。
今撮らないと次に来た時は姿を消す事も多い。

鬼気迫る民家に出合うとつくづく茅葺きを撮って良かったと思う。
蒸気機関車もそうであるが心の琴線に触れるものを見つけることが趣味をやる上で一番大切である。本人が感動しない物を他人に見せても他人は感動しない。


茅葺き民家 兵庫県篠山市の民家 モノクロ

2014年11月29日 | 茅葺き民家
篠山市の茅葺き民家に以前は干し木に使っていたと思われるクヌギが植えてある。
今は木の枝も生え放題だが使っていた頃には刈り込まれていた思われる。
木の間に丸太や竹を渡し豆や稲を干していたとおもわれる。
昔の暮らしとと茅葺きが一緒になった風景は嬉しい。昭和の時代の写真や絵を見るとこんな光景を目にする。
篠山地方は昔の風景を残していたが時代とともに何処にでも地方の町になっていっている。




日本茅葺紀行 NO,176  兵庫県千種町

2014年11月28日 | 日本茅葺紀行
千種町は現在は宍粟市になっている。
兵庫県の西北部にあり岡山県や鳥取県に隣接している。
播磨の5大河川のひとつの千種川の源流部でもある。
私が初めて訪れたのは岡山県の東粟倉村から峠越えで入った。
その頃は結構、茅葺き民家は残っていたがモノクロしか残っていない。
カラー写真はカラー用のカメラを買って以降しか残っていない。

日本の農山村の風景が残されていた。棚田や畑あり山あり森林あり川があり集落があるどこにでもある日本の風景である。ごく見なれた風景があとで写真で見ると愛おしい。
最近は10年間訪れていない。10年前にもほとんどの茅葺き民家は姿を消していた。
茅葺き民家が無くなると私はハイキングを出来もでないし何もする事がない。

この民家はまだ残っているかもしれない。
立派な造りの家である。




懐かしい物 漁港風景

2014年11月23日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市下津井

昭和40年代の漁港の風景
夜に釣りに出るので昼間にはえ縄の準備をしている。
この頃、糸には天然繊維を使う人が多かった。
天然繊維のため強くするために柿渋で煮詰める釜があった。
化学繊維もあったのに天然繊維を使ったのであろうか
からみにくく扱いやすかったのであろうか

はえ縄のエサはイカナゴを付けていた。イカナゴは多くの魚に食われる食物連鎖の魚の下位にいた。
夏場は岩陰に隠れ夏眠をする。夜暗くなると出てきて栄養補給はするのであろう。
ナマコなども夏眠する生き物である。
ナマコもイカナゴも夏場は漁獲できず冬の食べ物だ。

昭和の風景は懐かしさを覚える。それも人が入る事により時代の服装や生活レベルもわかり時代の流れをみるためには欠かせない。
今思えばタダ単純に目の前の風景を撮っただけだなあと思う。時代を記録するためにはどんな風景や光景を撮るべきだったか反省させられる。

このあと水島コンビナートで石油のタンク流出の大事故があり瀬戸内海は死の海となる。
漁の出来ない年が何年か続いた。それでも自然の浄化力は凄いものだ。10年で元通りに復元した。


岡山の茅葺民家写真展 - 58  こりゃあ古い  その1

2014年11月22日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝山町古々呂尾中

今回から三回にわたり「こりゃあ古い」を投稿します。

勝山町のこの一帯の集落はほとんどが行き止まりの道である。背後に深い山が控えている事もある。大きな平野もなく川筋にわずかな集落が続く
こんなところには何十年も変わらない風景のままで残されていることがある。
私が訪れたのは平成になってからだが20年前の昭和の風景のままだった。

人は民家が時間の長さと風雪に耐え残る姿に感銘を受けるものだ。
よくぞ今まで残ってくれたという思いが募る。
こんな風景がいくでもあった時代に気づきもしなかったのに無くなる頃にやっと気づいた嬉しさもあった。
この民家に出合って凄く感動したのを覚えている。
お爺さんの一人暮らしであった。
留守で話が出来なかったのが残念だ。
しかし、そんな集落も10年もすると高齢化、過疎化も進み最初の面影は消えていった。


茅葺き民家 岩手県北上市の民家 モノクロ

2014年11月21日 | 茅葺き民家
秋田で午前中まで撮影して岩手の遠野に移動した。
観光半分、茅葺き撮影半分の旅だった。
遠野に行く前に役場に茅葺き民家の所在を確認したら個人が住居にしている民家はありませんとの返事だった。25年ほど前に行った人はいい茅葺きの家が残っているの期待を持っていただけにがっくりきた。
私が遠野に行ったのは10年前、15年の時間差は余りにも大きいとおもった。
その途中、北上市で一軒あったので撮影する。家の周りは屋敷林が囲んでいた。

遠野周辺は細かく探せば一軒や二軒はあったかもしれないが観光で時間もなく探しもしなかった。
岩手はまだ茅葺きが残っていそうだがこの周辺には茅葺きりありそうな気配もしない。
現役で仕事をしながら東北の旅はそう頻繁にはできなかった。
私のように鉄道を使えない者は車でひたすら走るしかないので時間がかかる。


日本茅葺紀行 NO,175 大分玖珠町の茅葺き民家

2014年11月20日 | 日本茅葺紀行
大分県玖珠町周辺も火山が多い。屋島を何倍か大きくしたような平らな万年山(はねやま)もある。
鶴見岳から由布岳、九重山、阿蘇山へと九州の火山帯が遥か続く
それでも火山帯の山には杉などの植林をしている。小さな噴石は水はけはいいし水を保水するので木は育つのであろうか。
近くの日田などは杉の産地でもある。
それに引き換え火山岩の花崗岩地帯は植林に向かないようだ。広島から岡山、兵庫南部は花崗岩地帯、巨岩のあるところは土地がやせている。乾燥に強い黒松などの灌木が続く。

玖珠町の民家は杉皮で葺かれている。黒くて乾いていても黒く写る。雨の日には暗すぎて上手くとれない。
そにしても山麓の斜面に集落が広がり長閑な風景である。
どこにでも見られる日本の風景である。



蒸気機関車 C59162

2014年11月19日 | 蒸気機関車
撮影場所 岡山機関区

呉線が電化前に点検のために岡山機関区に糸崎機関区の機関車が来ていた。
糸崎は広島県だが岡山鉄道管理局管内だったため岡山で点検を受けていた。、
ネットも携帯電話も無かった時代にC59が1来ているという情報がどこから流れたか不明だが鉄道ファンがカメラをもってきていた。
中学生と思われる男子二人に機関車に乗ってもらい撮影する。
こんな写真も何にかの思いでなるだろうと撮ったとおもう。
中学生でもしっかりと目的を持ち行動しているのは偉いと思った。
しかし、その後も活動を何らかの形で継続しネガもちゃんと管理していたが問題だ
蒸気機関車の写真は撮ったが捨てたり紛失した人が多い。
私がよくお邪魔する鉄道サイトの「なめくじ会」のホームページの管理者は50年以上鉄道趣味を続け今も各地にカメラを持って走り回っている。
中学生で自分の生涯を通して楽しむ趣味を見つけ挫折や投げ出しをせず50年も継続するところが凄い。普通は定年になり時間が出来て誰でも扱え綺麗に獲れるデジカメに目覚める人が多い。しかし、被写体の宝庫だった昭和を撮っていないのは悔やまれるところだ。

C59形蒸気機関車は最後に呉線で三機残った。C59161-162-164
私は山陽線や鹿児島本線を走行していたのは知るよしもない。
岡山でオーバーホールしたC59機関車は軸重が重いので山陽線しか走れず万富までの走行テストだった。








糸崎機関区



岡山の茅葺民家写真展 - 57 めわらの乗る屋根 その3

2014年11月18日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県賀陽町

めわらの乗った屋根の最終回、昭和48年に撮影した清音村の茅葺き民家にはめわらが乗っていた。メワラの乗った民家はどこ範囲にあったか昔の写真を参考に調べてみたいものだ。
昭和40年代ならば茅葺き民家は沢山残っていたと思う。
田舎の集落もそれなりに維持出来ていたと思う。しかし、人々の生活が豊かになり農業所得だけでは暮らせなくなった。
家の持ち物を撮った写真集がある。東京は住むところは狭いが電化製品などは沢山もっている。中国の山間部の暮らしは貧しく電化生活はほとんどないが生活は豊かで満足していると言っていた。10年後、中国の山地にも文化的な生活が押し寄せた。電化製品も生活に入ってきた。同じ人に今の生活を聞いたら不満だという。金を稼いでいい暮らしをしたいという。

私が撮影した集落はいまはどうなっているであろうか地方創生と言っているが地に着いた施策が行われるか注目したいところだ。