懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

干し柿を上手く作る気象条件

2019年11月07日 | 昭和の古い町並み写真展

干し柿を専門で作る農家は、大きな扇風機で空気をおくり乾燥させるが、家庭では天候次第である。30年干し柿を作って、一回だけカビが生えて失敗した。この年は県北の涼しい所でもカビを生やし廃棄していた。11月に入っても気温が高すぎたし雨も降った。
剥いた柿を熱湯に通したりアルコールや焼酎に漬けて干してもカビは生える。
 
干し柿を作る気象条件を、経験的に書き手出してみると。
1.最高気温 20℃以下が望ましい。最低気温10℃以下が望ましい。
2.雨は皮を剥き干して一週間は降らない時期を選ぶ
3.雨が三日続くとカビやすい。
4.風は吹いた方が乾きやすい。北や西からの木枯らしが吹くとよく乾く。
表面がジュクジュクになり小蠅が来るとカビ易い。
コバイは食物が傷み始めたら集まってくる、腐敗の目安にもなる。
表面が乾燥するとカビ難くなる。
 
今年は幸いに晴天が続き、気温も平年並みに下がり失敗のない年となろう。
干して10日間を乗り切れればうまくいく。表面が乾燥して軟らかく揉むと渋が抜けやすい。生乾きが好きな人は二週間で食べられる。水分を抜いるので冷凍しても味は変わらない。
冬の間に冷凍庫から小出しに食べる。

私の昭和鉄道遺産 その61 米子機関区8620型

2018年02月13日 | 昭和の古い町並み写真展
撮影場所 鳥取県米子市   米子駅のヤード

8620型蒸気機関車と駅のヤードを撮った。
別に2台の蒸気機関車から煙がでている。
ヤードには客車や貨車、気動車が並んでいる。
懐かしい昭和の風景だと思う。
ごく当たり前の風景で近くに行って写真も撮っていない。

8620型は構内の入れ替え作業や境港から貨物を運んでいた。

昭和の古い町並み写真展 その65 「水辺の民家 その2」 最終回

2012年09月22日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その65 「水辺の民家 その2」 倉敷市玉島

玉島の溜川沿いの水辺の民家をお送りします。
長屋風の民家に男性の上半身裸姿、標準レンズしか持たず狭い路地や民家の撮影には苦労した。今のカメラ機材は夢のよう。
溜川にかかる水門橋、私が撮影した頃でもなんとも古かった。骨董風景を気に入り撮影した。(水門橋は玉島はかっての高梁川の西の河口、低地の田に塩水が入らないように干満に合わせて水門を開閉して水位の調整をしている)
昭和23年に造られたそうだ、まだ25年しかたっていなかったのにこの古さ。
この古さはどこからくるのか考えられるのは川砂を使った。戦後の資材不足の折りセメントが少なかった事がかんがえられる。

昭和の古い町並み写真展は今回が最終回です。
写真展は定年後五回やる計画にしています。今回は茅葺民家に続いて二回目でした。こんな身体のため「目標と毎日やりたいこと」を持っていないと生きる希望が持てません。
写真展を開き多くの人と会話をして「いい話を聞かせてもらい」刺激を受ける事です。

1.ハイアマチュアの方が言っていました。岡山のアマチュアの人は写真家の石津良介氏の指導を受けた方が沢山います。先生が言うには写真展は団体でも個人でもテーマを持ち何年が追い求めたものを発表しないといけないと言われた。
2.昔からやっている人はモノクロに愛着があるがデジカメから初めた人はモノクロは写真と思っていないのがよくわかった。

次回からは「日本茅葺紀行」をはじめます。カラーでおおくりします。
消えてなくなったと思った茅葺民家、しかし、どっこい残っていた。
そんなのを追い求め全国を巡った旅です。




昭和の古い町並み写真展 その64 「水辺の民家 その1」 倉敷市児島下津井

2012年09月18日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その64 「水辺の民家 その1」 倉敷市児島下津井

港町は土地が狭いので石垣を積み宅地用の確保している。
現在ならばコンクリートで護岸をするがコンクリートのなかった時代は木杭を打つが捨て石で泥地を強化して石垣を組んだ。
江戸時代になり人口が増え洪積地に町を造る必要があった。
築城などの石垣を組む技術が都市造りに生かされる。
大阪も東京も泥の土地であったと言われている。
大阪の梅田は埋めたから埋め田、梅田に転じたと書かれている。
江戸城も湿地帯で石垣の基礎に木杭が打ち込まれている。

石垣は力のバランスで持ちこたえているが液状化などで地盤沈下すくと脆く崩れる。
この下津井の港は現在埋め立てられ沖にコンクリート護岸で造り変えている。
(瀬戸大橋の橋脚や橋の建設と引き換えに下津井の再開発がはかられ埋立地と広い道路ができた)
この港を満潮の時に撮影したが水面と舟で石垣が見えず再度干潮に撮影にきた。
水辺の古い民家と石垣が今もまだ残っていれば撮影に値する。


昭和の古い町並み写真展 その63 「下津井祭り 神輿」 倉敷市児島下津井

2012年09月14日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その63 「下津井祭り 神輿」 倉敷市児島下津井

下津井の祭りは梅雨明けの蒸し暑い時期だった。
秋祭りは豊穣を祝って農村部で行われる事が多いが港町は海のシーズンの夏に行われる事が多いのであろうか、夏祭りのひとつはお盆前後に行われる先祖を供養する盆踊りが多い。

下津井の町を神輿が回る、神輿はまず神社の階段をむ本殿まで担ぎあげ宮司が神輿に御神体を納める。その時、宮司は黒いマスクで口を多い御神体を人にみられないようにさっと納める。その早技は手品師のようでもある。
ご神体は何か菰であったり木や石だそうだ。余り大した物でないので人にみられないようにさっと納めるのかとも思う。

夏場の暑い時期ホースやバケツで水を掛けながら進む下津井の狭い路地を家に当てないように進んでいく。指揮役の人の案内で狭い路地を移動する。


昭和の古い町並み写真展 その62 「下津井祭り 水を眺める少女」 倉敷市児島下津井

2012年09月11日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その62 「下津井祭り 水を眺める少女」 倉敷市児島下津井

男どもの掛け声の神輿が通り過ぎた。
男の子は神輿の後を付いて歩く。大人になったら自分も担ぐんだという思いがあるのかもしれない。
男の声に恐る恐る隅で見ていた少女が出てきて水道からの放水を眺めていた。
祭りそのものより面白い光景だと思いシャッターをきった。

本瓦葺きの民家が続く広いように見えた下津井のメイン道路、現在走ったら車一台だけが通れる道路だった。


昭和の古い町並み写真展 その61 「下津井祭り 弁天を覗く」 倉敷市児島下津井

2012年09月08日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その61 「下津井祭り 弁天を覗く」 倉敷市児島下津井

祭りのダンジリの弁財天を覗く少年
子供にダンジリや山車の装飾や置き物は異様に見えるに違いない。
奇妙さゆえに神秘的だったり何か霊験があったり宿っているといると思うに違いない。
子供のころには怖いものがいないといけない。
お化けの話や戒めの話が一杯あった時の方が子供の教育にはよかったと思う。
悪い事をしたら天罰を受けるとか人をいじめたら夜寝てから妖怪に首をしめられるとか

世界では宗教が違えば戦争や紛争になる事が多い。
その点日本は宗教についてはおおらかである。ためになる物はなんでも取り入れた。
古来の神がありながら仏教、道教、儒教、ヒンズー教まで取り入れた。
弁財天はヒンズー教の女の神さんだそうだ。七福神は違った宗教の人が同じ船に乗っている。日本固有の宗教観である。
ただ一つキリスト教は迫害の歴史があった。しかし、結果的にみてキリスト教を迫害し鎖国をしたのま正解であった。
ヨーロッパ諸国の植民地にならず奴隷として虐げられず済んだのはよかった。
英国など紳士の国などと言っているが奴隷売買と植民地からの搾取で大きくなった国だ。
鎖国の時に日本独自の文化や技術が育ったのはよかったと思う。


昭和の古い町並み写真展 その60 「下津井祭り 大黒さん」 倉敷市児島下津井

2012年09月05日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その60 「下津井祭り 大黒さん」 倉敷市児島下津井


下津井の祭りの写真を撮った。ダンジリに七福神を乗せ子供が町内を引いてまわる。
わたしも子供の頃、楽しみで引いて回った。工場や商店を回ると小銭やお菓子がもらえるのが楽しみであった。
下津井もかろうじて祭りが残っていた感じだった。
それでも子供にとっては楽しみであったはずだ。
祭りの写真は写真展でもよく眼にする。
阿波踊りやよさこい踊りで笑顔で可愛くてパフォーマンス一杯の写真が多い。
現在のカメラは連続撮影が出来るのでまるでビデオのように撮影する。
見慣れた写真ばかりでまたか思う事がある。
人間はどうしても他人の作品やコンテストに当選した写真を真似る。
祭りはこのように撮ると言った思考がパターン化した写真はあまり面白くない。

祭りに限らず本番より片付けや準備の方が日常性がでて好きだ。
これは好みなので本人が決める事である。

今回の写真はダンジリに乗せた大黒さんを背負っている男性を撮影させてもらった。
重いのに引きとめたので怒り出し「早ようせんか」と怒鳴られながら撮影させてもらったのを思い出す。漁師町だけに気が荒い、それにしても人間の顔も文化財だと思う。
職業や生き方が時代とともに顔に刻みこまれる。

もう一枚はダンジリにエビスさんを乗せていたところを撮影、しかし、幼い子がダンジリに乗りたくて占領している。子供を全員降ろしてエビスを乗せればいいのに狭いスペースに乗せているのが滑稽だった。




昭和の古い町並み写真展 その59 「下津井祭り」 倉敷市児島下津井

2012年09月02日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その59 「下津井祭り」 倉敷市児島下津井

下津井の祭りを二年間撮影した。
下津井にターゲットを絞ったのは本四連絡橋の建設が年末から始まるのに伴い大きく変化するであろう人々の暮らしや風景を記録に残すことであった。(本四連絡橋は第一次オイルショックの超インフレでその年には起工せず五年間凍結された、起工式は昭和53年10月になった。)

下津井の人々が賑わう祭りを追った。
祭りといっても全くヤル気のない祭りであった。
昭和40年代は生活のスタイルが大きく変わった時代、昔からの伝統や、行事が消えた時代であった。多くの祭りが姿を消した。

そんなヤル気のないやっと維持されている祭りが気に入った。
写真を撮る人など誰もいないローカルな一地方の祭りであった。
いつ消えてもおかしくない祭りに親しみを感じた。
パフォーマンスばかりの格好をつけた祭りは撮りたくもないが細々とつつましい祭りはけなげでいい。

奴の行列が始まる。その前に全員で集まってもらい記念撮影をさせてもらった。
撮影場所の頭上には下津井大橋が架かる。橋脚のできる場所だった。
港町になんで奴の行列かと思ったこんな道具も長年使われてきたのだ。


獅子舞、下津井大橋の下になる。







昭和の古い町並み写真展 その58 「伊勢大神楽 家々を回る」 倉敷市児島下津井

2012年08月30日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その58 「伊勢大神楽 家々を回る」 倉敷市児島下津井

伊勢大神楽の一行が港町、下津井の狭い路地を訪問する様子をお送りします。
なんでも撮影しておくとその当時の町の様子や建物、服装がわかり面白い。

路地の中に子供相手の駄菓子屋がある。電柱が木柱である。
下津井地九の屋根は本瓦葺きが多い。
一行に付いて回る子供や会話を交わす老人
今はこんな昔から慣習を断る地域もあるそうだ。それも時代の流れであろうか
下津井にも今も残るかどうか知らない。