懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

私の昭和鉄道遺産 その49  南延岡機関区

2017年11月03日 | 昭和の遺物たち写真展
宮崎県の南延岡機関区の給炭風景

了解を取って機関車のテンダーに登り撮影している。こんなのを投稿するとバッシングされそうだ。
蒸気機関車も電化している所に乗り入れるので架線のあるところは感電するので大変危険
給炭はユンボでやっているのか人力でやっていたのだうか、どうも人力のようだ
蒸気機関車はいろんな設備がいるし缶の掃除も毎回必要である。
効率は悪く人手を喰う機関車である。
旧態以前の機関車である。

延岡で暮していた頃に撮った写真だがカメラはもっていたが活動的でなかった。
暮らしや付近の風景も撮って置けばよかったのに余り撮っていない。

人間としての成長もないまま過ごしていたように思う。何を撮ったらいいのかわかっていない。直ぐに行動する積極さもない。
趣味も自己の確立が出来ていないと駄目である。
死ぬ時に自分の人生はこんな事をやりましたと子や孫に残さないとと思う。



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私の昭和鉄道遺産 その48 岡山機関区

2017年10月26日 | 昭和の遺物たち写真展
伯備線のD51型蒸気機関車がターンテーブルに乗っている。
毎日何回も方向転換の作業は行われていた日常の一コマ。
機関車の操作をしている横で危ないのにカメラで撮影する。
私は撮影していた頃は工場で働いていた。
工場では安全靴、ヘルメット着用で部外者の立ち入りは一切禁止されていた。
その当時の国鉄は立ち入りに関してはおおらかであった。
ましてや子供は大変危険だ。

機関車を間近で撮影できたのは有り難い。
機関区など一度行けばもう良いと思っていたが、行く時間があれば機関車も変わるので頻繁に通うべきだった。今思うとそんな時代には戻れない。
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私の昭和鉄道遺産 その38 岡山機関区

2017年08月04日 | 昭和の遺物たち写真展
岡山機関区に並ぶD51やC11の機関車

かって山陽線を走っていたC62.C59,D52は知らない。
岡山に住んでいなかったし中学生でそんなのに興味もなかった。
みんなが蒸気機関車を追いかけ初めて撮影を始めた。
岡山機関区は伯備線や津山線、吉備線の機関車が給水、給炭、方向転換、掃除やメンテナンスに立ち寄った。

岡山機関区には10回は通ったか。
撮影は二.三度通うと別のところへも行きたくなり飽きてくる。
今になって思えば飽きることなく4.5時間の時間があれば機関区巡りをすべきであったかと思う。毎日来ても機関車や構内の風景も違うし古い電気機関車も沢山いた。曇っていようが少しの雨ならば通う根性が必要だったかもしれない。い
何回か通っているうち停車中の機関車に乗せてもらった。そのまま倉敷まで機関車に乗せてもらった事がある。駅を通過の時には顔を出すなの条件だった。

蒸気機関車はあんなに振動の大きいものかと思った。機関助手は立ったまままで大変だ。
蒸気機関車本体にはスプリングを入れられないのでレールと車輪の振動を直接うける。
鉄道はレールと車輪の鉄と鉄の接触で緩みや破損を起こさないものだ。
蒸気機関車はボイラーを載せて線路の上を走るのには感心する。

機関車に乗せてもらい喜び勇んでいたが倉敷駅で降りてどうする。切符を買っていない。
駅構内で列車の撮影をしながら徐々に駅から遠ざかり柵の間からすり抜けて逃げた。

長い人生には叩けばホコリのでてくる事が数多くある。
人生の埃(ホコリ)をネタに記事を書く。

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昭和の遺物たち  懐かしい物 古い公民館

2016年07月31日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 岡山県旧芳井町

古ぼけた公民館と地神の立っている風景を撮影する。
公民館壁のコマイの竹が見えるのに補修されていない。
過疎化、人口減少で補修費の募金もままならないのかと思わせる風景だ。

山間部の公民館に敬天愛人館の看板のかかっていた。
パートナーがここは老人がイチャイチャするところかといった。
愛人館の所だけが目にはいったのであろう。
これは敬天愛人の言葉から引用している。天を敬い人を愛すの意味でよその人には言わないでと言った。

公民館の横に立っている地神の碑、岡山ではよく目にする。
信仰心の篤い田舎や山間部に見られる。地域の守り神として今も守られている。


昭和の遺物は今回で終了します。昭和の時代にこんなテーマに気付いていればもっといろいろな角度の写真が撮れたと思う。人生を生きている時は世の動きに注意を払わないといきませんね。必要な情報を整理し自分の趣味なりライフワークにすることでしょうか
何もしなければあっという間に何もない年寄りになる。

九月に入ればまた写真展をやります。終了次第ブログに掲載します。 

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昭和の遺物たち  懐かしい物 ボンネットバス

2016年07月26日 | 昭和の遺物たち写真展
子供の頃はボンネットバスが多かった。昭和30年代になり観光バスはボンネットのない先切れタイプのバスになつた。ボンネットのないのが目新しくて新しい時代を感じた。

ボンネットバスは狭い山道には有利で昭和40年代はどこのバス会社にも残っていたようだ。
世の中にはバスマニアもいて観光バスや路線バスを撮っている人がいる。
バスの通過台数の多い停留場を調べるマニアもいる。一時間に100本も通る停留場があるのだ。
三路線が合流する区間に見られるようだ.
なんでも一つの事を長年追い続けるといい作品が生まれる。

駅前に停車のボンネットバスとdiscover Japanの看板を一緒に撮った。
高度成長期で食い物は豊かになりみんなが豊かになれる希望があった。
あの時点で現在を予測するのは難しかった。

野村元監督がTBS系のテレビであまりほめない人がイチローをしきりとほめていた。
実績が残れば何でも言える。結果が見えれば人間なんでも言える。
大リーグで通用しないと野村さんあんたは言ったと書き込みをされていた。

評論家でも時代の先読みはむつかしい。庶民はなにをすべきか趣味ならは一つの事を根気強くやる。カメラが趣味ならは消えるもの変化するものを撮り続けることか。


撮影場所 岡山県高梁市 池上醤油店 備北バス


撮影場所 徳島市徳島駅前 徳島市バス

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昭和の遺物たち  懐かしい物 土塀

2016年07月22日 | 昭和の遺物たち写真展
私の住む近くに土塀の民家があった。
民家も残っていたがかなり痛んでいた。
以前は大きな敷地の民家であったのだろう。
この土塀は写真に残しておこうとカメラを持ち撮影した。
土塀は下を石垣にしないと豪雨や長雨で土が水を吸い崩落する。
また土だけでは強度が無いので古い瓦を入れ練塀にしている。

その当時はこんなのを撮っても使う目的は無かった。
パソコンにスキャンした画像が取り込めるようになるとは思わなかった。
ましてやブログやフェイスブックで自由に写真が発表できる時代がくるとは想像できなかった。

今はだれでも撮影機材を持っている時代。
自分の街の懐かしい光景も散歩がてらに残せる。
世間遺産と称して自分の住む町を記録している人がいる。

地蔵や石垣の護岸、土塀や木の小屋、小川など自然のまま残っていればありがたい。
しかし、残念ながらそんな懐かしい風景がすくなくなった。

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昭和の遺物たち  懐かしい物 板壁倉庫

2016年07月18日 | 昭和の遺物たち写真展
三叉路に木造の倉庫があった。
日本瓦に焼板の板壁の倉庫だった。カメラを持ち散歩がてらに撮影した。
こんな写真は何に使う目的も無かったが子供のころはこんな風景ばかりだったなあと思い返す。

派手な色彩のない黒と茶色と漆喰の白の色合いだった。
通りに面した倉庫の壁にはポスターや映画の宣伝が貼られていた。
夜は外灯もなく怖いような倉庫である。

おかやまの中心地の電車通りに映画館のポスターが並ぶところがあった。いつか撮ろうとおもったが30年も経過してしまった。
時代を代弁する風景は次々と消えてしまう。公衆電話ボックスも姿を消した。

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昭和の遺物たち  懐かしい物 警察人形

2016年07月13日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 香川県東部 国道11号沿い

以前からこの警察人形が気になっていた。走行中に車を安全な場所に駐車して歩いてこなくてはならない。これは面倒くさい。しかし今思えば面倒くさいことの積み重ねが趣味であるともいえる。面倒くさいことをしなかった人は人生に何も残らないともいえる。、
みんなが車を持てた昭和50年代は交通事故で1万人が死亡
警察もあの手この手で交通死亡事故撲滅に力を注いだ。

この警察人形も注意喚起の一環で置かれたのか。
運転する人は警察を見たら減速したりする。夜中に警察人形を見るとドキッとする。
警察人形は別名ドッキリ人形と言われていた。

テレビである外人が私の国ではこんな警察人形を置いたらすぐにたたき壊さわされるといっていた。国民性のちがいを感じた。

今も警察人形は残っているようだデジカメ時代にはブログに掲載している人もいるのだろう。

現在はいろいろな物を撮りブログでたのしんでいる。
観光地にある顔ハメ看板に顔をいれて撮り続けている人もいる。
そんなのを見ると楽しいものだ。



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昭和の遺物たち  懐かしい物 廃校

2016年07月07日 | 昭和の遺物たち写真展
廃校の撮影場所 岡山県加茂倉見

倉見地区は昭和20代には300人が暮らしていた。
そのころの人口構成からいくと1/3から半数近くは未成年だったのかもしれない。
戦後の復興期は食べ物の豊富な農村にいれば食べるには困らなかった。

しかし、生活が豊かになり電化製品や車をもつようになったら農業所得では生活できない。
高度成長期が一番人口流出が大きかった。仕事をもとめて都会や工場地帯に働きに出た。
山から出た子や孫は故郷に帰ることなく都市部で暮らす。
年老いた親が高齢になり亡くなると集落の人口は一人減りを続けている。

かってこの小学校で学び遊んだ人も多かろう。
運動場の片隅に造られた象の像が寂しそうに見えた。
学校も統廃合で消えていく。木造校舎ばかり追い続けている人もいる。
これからの時代何が姿を消すであろう。
写真を撮る者は時代の状況を把握して記録していくことであろう。
誰かやっている人がいればやる気になるが一人では難しい。しかし、勝ち組はだれもやらない時にこれはというテーマに挑戦することだ。



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昭和の遺物たち  屋久島の記憶 その2混浴温泉

2016年07月03日 | 昭和の遺物たち写真展
屋久島には屋久杉の原生林あるということで楽しみに行った。
宮之浦岳は円形の中央部にあり海抜0メートルから頂上までなので時間が掛かった。
一回目に行った安房からのコースは散々だった、歩けど歩けど伐採された荒涼とした山だった。
まだ杉の伐採が行われていた、中腹の小杉谷には営林署も小学校もあった。
昭和45年に屋久杉の伐採の中止が決まった。
環境問題に国民が目覚めた時期でもある。

あの時の中止が無ければ屋久島は世界遺産に登録されていない。
あれから45年経過した。植林した杉も大きくなったであろう。

屋久島はかって火山であった。花崗岩が頂上まで盛り上がりできた。
火山活動後に植物は生えている。隣の口永良部島は昨年火山の噴火があったばかりである。
火山活動の熱があるのか平内には海岸部に温泉がある。
満潮になれば海中に沈む。満潮時にも入れる温泉もある。
地元のおばちゃんも一緒に入る混浴だった。
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