懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 モノクロ 兵庫県篠山市の民家

2017年09月25日 | 茅葺き民家
篠山市の国道372号線沿いにある茅葺民家。
この民家は屋根にアワビの殻を乗せているし破風には前垂れが付いている。
滋賀県の民家である。先祖が滋賀県の人かゆかりがあるのか聞いてみないと分からない。
この家の通りにもかやぶきは何軒もあったが一軒になってしまった。
塀も蔵もあり立派な農家だ。

残っていたのでデジタルカメラでも撮ることができた。
秋の篠山は黒大豆を干してある。
秋には黒大豆の枝豆を道路際で売っている。
私も黒大豆の種をまき栽培をしたが売っている枝豆のようには作れない。
黒大豆は普通の大豆より背丈が伸びる。放置していたら二メートルにもなる。
苗の時に旨く摘心をして間延びを抑えないといけない。

黒大豆の茹でたのは美味しい。栽培に時間が掛かるだけに味は旨み凝縮だ。
大豆ではこの豆が一番好きだ。
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日本茅葺紀行 NO,394 秋の夕暮れ

2017年09月23日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 京都府南丹市 旧美山町

秋の夕暮れはなぜか寂しい。
日没も早くなり夕暮れと共に冷気が降りてくる。
山の紅葉にも陽は次第にかけていく。
もう今日の撮影も終わり帰路につかなくてはの思いもある。
これから一般道で帰り着くまで五時間はかかる。
陽がタップリ暮れてからの車の運転が物思いにふける思考の時間でもある

茅葺き民家の近くでお婆さんが物を焼いている。
野焼きの風景も見ることが少なくなった。
小学唱歌に歌われた日本の風景が次第に少なくなる。
現代の子供でも日本の昔ながらの風景は日本人の中に残っていくと思う。


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私の昭和鉄道遺産 その44 C622号機

2017年09月22日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 北海道函館本線長万部

C622号機は蒸気機関車の中でもスーパースターであろう。
日本のプロ野球でいえば王貞治であろう。
イチローもスーパースターだがパワー不足である。

現在も梅小路で保存されていて人気がある。
東海道線で特急列車を牽引した実績とデフのスワローエンゼルが光る。
急行ニセコが無煙化でDD51に切り替わる前は小樽と長万部を先頭に付けて重連で走行した。
私のような者がカメラを構えて沿線にゴロゴロいた。
物凄い量のネガが残っているだろう。

撮った人々も高齢者の65歳を過ぎている。
そんな写真は後世にどのように残るのであろうか
私は整理下手て撮った写真のネガや集めた物はすべて残している。
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懐かしい物 寂れゆく民家

2017年09月21日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市玉島

昔からの古い街並み家が傷み住む人もいなくなりそのまま放置され解体される。
現代の生活をするには駐車場も必要である。
町家は道路一杯に家が建てられ隣とはくっついている家もある。
こんな家は外壁が痛んでも補修のしようがない。

建てられて100年も経過すると工法も材質もまるで違う。
100年前の材料と工法にするには職人がいないしコストも掛かる。
道路が狭く防災的に密集地は危険性がある。
都市計画の進んだ新興住宅地に住んだ方が便利で安全性が高い。

昔からの古い街並みは観光客を誘致できるところ以外、再開発は難しい。
別な地域に新興住宅地を造った方が効率的だ。
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茅葺民家 モノクロ 広島県高野町

2017年09月20日 | 茅葺き民家
高野町は現在、広島県庄原市になっている。
国道で峠を越えれば島根県
県境の町でもある。
現在は高速道路もできて随分はやくなった。
初めて訪れたのは一般道で四時間以上かかった。
途中に茅葺民家や木の橋や半鐘などがあれば撮影するのでどれくらいかかるのかは分からない。

初めて訪れた時は田舎の雰囲気を十分残していた。茅葺きも15軒はあったか
田舎の雰囲気を残している風景とは
1.川が自然のまま 石垣の護岸や自然のまま コンクリートでない。
2.鎮守の森が維持管理されている。
3.民家も日本家屋が多い プレハブメーカーの建物がすくない
4.田畑も山も手入れがされている
などであろうか

しかし何度が訪れていこる間に田舎の雰囲気が変質してきた。
過疎高齢化、若者の人口流出で活気が失われているように思う。
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日本茅葺紀行 NO,393 秋の新潟の民家

2017年09月19日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 新潟県旧大島村(現在は上越市)


岡山を早朝にでて新潟県上越市に着くのが14時くらい。
一般道で山間部に入る。茅葺民家のあるところまでは一時間はかかる。
秋の夕暮れ陽が暮れるのが早い。明るさのある時間まで撮っても二時間しかない。

それにしても台風18号は偏西風に乗ったら早かった。
寝る時は兵庫県にいたのに起きたら男鹿半島だった。
朝食後テレビを見ていたら北海道までいっていた。

高速道路より断然早い。最短距離で走るしトイレ食事休憩はないし早いはずた。
時速80km/hだと。オートバイでこの速度で走ると受ける風圧は凄い。台風の風速が加わり台風の威力は増したくらいだった。

夕方の光は赤身がかかり美しくないので好きではない。
デジカメになり調整ができるのが楽だ。
山間集落に少しは茅葺民家が残る。
新潟県特有の中門造りと壁は板張りである。豪雪地帯なので家の背が高い。
ススキが穂を白くしている。
ススキは9月では穂が出かけ、白くなるのは10月中旬、11月のススキが一番美しいか。


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蒸気機関車 伯備線総社郊外

2017年09月18日 | 蒸気機関車
伯備線の下りの線路を重連の貨物列車が走る。
しかし、場所が思い出せない。
伯備線は倉敷と高梁は複線で上下線が離れるところは何か所しかない。
どう見ても総社市郊外の井尻野あたりではないかと思う。

車など持っていなかった時代、総社駅から線路いに歩いてきたのだろうか

写真を撮って置けば日々の自分の行動の記録が残る。
しかし、撮るほどにコストが掛かる。今の時代は恵まれている。
今自分の生きた人生を振り返ると思い出の貯金を一杯持っている人はハッピーだと思う。

日々の行動を写真に残す。スクラップブックに資料を張り付ける。日記を書く。
俳句川柳を作る。コレクションをする。
自分の行動や思考が資料に残れば生きた人生の証だ。
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懐かしい物  郵便配達

2017年09月17日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市下津井

なまこ壁の蔵の続く通りを自転車に乗った郵便配達がくる。
郵便配達がバイクになって何十年になる。
平成も来年で30年になるのだ。平成にはバイクになっていたであろう。

昭和の昔からの街並みは美しいと思う。派手さ奇抜さもなく落ち着いた風景だと思う。
全国各地にこんな風景はひっそりと沢山残っていたと思う。
その美しさにどれほど人が気付いたであろうか
中には痛んだり壊れかけた民家も多かったのでこんなの取り壊して新しくしたら思う人も多かった。

高度成長期に日本の美しい建造物が壊される恐れがでて町並み保存の気運が生まれた。

今は観光地としての古い街並みが多い。金を落としてくれない事には建物の維持が出来ない、
しかし私のみたい古い街並みは普段着の街並みである。

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茅葺き民家 石垣の民家

2017年09月16日 | 茅葺き民家
撮影場所  兵庫県三田市

三田市の山の中に入る。篠山市の境まで登る。
山間集落が点々とある。
山際に石垣を積み宅地を得ている。
石垣に人々の長い暮らしの歴史が見える。

重機のない時代に地域の人々が協力して石垣を積み人力で宅地造成して家を建てたのであろう。
山間地で暮すのは大変も多いと思うが地域に住む楽しみもある。
山菜やキノコを採ったり猪を獲ったりと楽しみもある。

こんな石垣には蛇も沢山棲んでいそう。石垣から蛇が頭を出したり逃げてはいったりの子供ころの記憶が今も残る。



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日本茅葺紀行 NO,392 お富さん

2017年09月15日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 滋賀県

鼻歌交じりでお富さんの歌を歌っていた。
昭和29年の曲だが我々年代は誰でもしっている。
学校でお富さんを唄って先生に叱られた。
軽快な曲なので鼻歌に出てくる。
その歌詞と内容の理解が大誤解
この歳になっても知らない事ばかり。
粋な黒塀 見越しの松にを粋な黒兵衛 神輿の松にと思っていた。

お富さんもやくざな男とおもっていたら女だった。
粋な黒塀 見越しの松の写真を貼っておきます。
昭和の歌は難しい語句もある。

知恵袋にお富さんの歌詞の意味を教えてほしいと質問がありそのコピペを貼っておきます。
歌舞伎の演目を歌にしたようです。


唄っていて粋な黒兵衛さんの意味を教えて下さい

粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだ筈だよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エーサオー 玄治店


粋な黒塀 見越しの松にーーー源氏店の妾宅 松が黒塀から覗いている
仇な姿の 洗い髪------いまは別の男の妾になっているお富さん
死んだ筈だよ お富さんーー- 海に飛び込んで死んだ筈のお富さん
生きていたとは お釈迦さまでも-- 生きてたのかって与三郎もびっくり
知らぬ仏の お富さん ---こんなところで生きてたのかお釈迦さまでも知らぬ
エーサオー 玄治店 ----現在の日本橋人形町、昔幕府の医師の岡本玄治
の屋敷があった、その後、料亭浜田屋など粋筋の街になった


江戸の若旦那の与三郎は放蕩の結果、木更津の親類に預けられていました。
木更津の浜をぶらついていた与三郎はお富とすれ違い、互いに一目惚れしてしまいます。
ところが、お富さんは、地元のヤクザ赤間源左衛門の妾でした。
与三郎とお富さんとの浮気はバレて、その場を逃げ出したお富さんは赤間の子分に追われ海に飛び込みました。
木更津沖を船で通りかかった和泉屋の大番頭多左衛門に助けられ、保護されました。
与三郎は源左衛門と子分にめった斬りにされ、顔も体も切り傷だらけで、木更津の親類のもとへ担ぎ込まれ、強請りのタネにされました。

それから三年。
与三郎はどうにか命を取り留めたものの、家を勘当されて無頼漢となり、体中三十四箇所の刀傷の痕を売りものにする「キラレの与三」として悪名を馳せ、お富さんは多左衛門の妾となっていました。
与三郎は、ごろつき仲間の蝙蝠安に連れられて、因縁をつけて金をねだりに、洒落た構えの 黒塀から 松が覗く(見越しの松) 妾の家を訪れました。
そこに住む女の顔をよく見れば、なんとそれは三年前に別れたのお富さんだったのです。









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