福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

地方新聞を読む楽しみ(1) 秋田魁新聞 & 岩手日報

2017年01月14日 04時02分46秒 | コラム、エッセイ
 新聞の地方紙は県単位のエリアで読まれているのが多い。
 私は、地方紙は県民のスタンスを確立するためにとても有用な存在と考えている。新聞社も地方紙の存在意義は何かを常に問い、地域に密着した情報を提供してほしいものである。

 地方紙は決して全国紙のミニ版であってはならない。
 地方で起きた大事件や選挙などのときは一面記事として報じて県民に情報を伝達するのは当然であるが、充実した地方関連記事を通じて、県民としての自覚を促す資料となる。そこに地方紙の存在意義がある。

 新聞の発行部数は減じているがその原因を、スマフォやネットの普及によるとする意見が聞かれる。それは正しい分析であろうが、それでも私は、より読者が求めるような、読者の視点に立つ地道な報道を紙面で続けていくことで地方紙の存在は大きい、と思っている。スマフォやネットの無味乾燥な情報は、有用ではあるが新聞以上のものではない。

 秋田魁新聞には秋田を知るための情報の提供を広範な視点で続けて欲しい。秋田は経済的には厳しい状況にあるが、秋田の地は決して捨てたものではない。豊かな文化の歴史があり、芸術の蓄積、優れた県民性もある。これらの紹介を通じて魁新聞は地方紙の意義を十分に果たしている。

 私は東日本大震災を機会に2年ほど岩手日報、福島民報、河北新報の三紙を追加購読していた。全国紙、魁新聞だけでは震災の被害状況、原発事故の被害状況をよく読み取れなかったためである。中央紙の報道は記者も読者も地域との関連が薄いことに関連するのか隔靴掻痒の感が否めなかったからである。

 私自身岩手生まれ、岩手育ちであることから郷里に関する情報が継続的に欲しかった。それで岩手日報のみを今も継続している。

 秋田魁新聞、岩手日報は共に国内や世界に関する情報、芸術文化欄の記事などの情報は共同通信社から提供を受けている。だから両者の紙面の3割近くは大同小異であるが、そのほかのオリジナルな編集部分は各々特徴があって面白い。

 秋田魁新聞、岩手日報社共に十分に存在意義は大きい。今後も、両県民に根差した記事を県民に向けて、国内外に向けどんどん発信して欲しいと思う。
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