福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

生物は、人も含め、みんな、ちがった世界で生きている(2) オーディオ、音楽の場合

2012年02月18日 15時16分28秒 | コラム、エッセイ
 私は音楽を聴くのが好きで10数歳から現在に至るまで飽きもせず聴き続けてきている。それなりの再生装置を用いて来たが、私の聴力の衰えと共に、今聴いている音は、同じ音源、装置であっても昔とは別なふうに聴こえているという事になる。
 聴覚が鈍くなってきていることはよほどの障害でも来たさない限り自覚することはない。現に、私は聴力に自覚症状はなく、自信を持って検査を受けたのであるが、13.000Hz以上の高音域は全然聞こえずショックであった。

 私は一時オーディオ装置に凝ったことがあるが、30代で撤退した。当時高額で評判の高かったYAMAHAのプリアンプC1が故障した際に、代用とした廉価のテクニクスのプリアンプとの間で音質の差を聴き取れなかったからである。両者の値段の差は5-6倍もあったのに・・・・である。で、機器に投資することに空しさを感じ、以降、針はDL-103、プリは最安価テクニクスに米国製管球アンプ、英国製スピーカーGRF memoryで、いずれも30年以上前の製品だから音域もDレンジも狭いと思うが、音楽を楽しむのに問題は一切無い。

 先日、オーディオの専門誌なるものを手に取ってみた。組めば簡単に500万円超になる製品が多数掲載されて、老練の評論家達、いずれも中年以降の方々が高く評価し、熱っぽく語っていたが、彼らの衰えつつある聴覚で音の微妙なニュアンスは聴き取れているのだろうか、と思った。評論家の方々の聴力を確認したいものである。

 音楽家のうちで、指揮者は細かい動きを必要としないだけ演奏家としての寿命は長い。70歳代どころか90歳近くまで現役にいる指揮者も希ではない。何度も録音を残している指揮者の場合は、加齢と共にテンポは確実に遅くなり、きらびやかさが乏しくなる。これを枯淡の境地と称して崇める向きもあるが、老人の音楽であって私は楽しめない。時間感覚が鈍化して遅くなり、演奏もろくに聴こえないから大雑把になっているのだろう。加えて、用いる装置による減衰、部屋の音響効果の影響、個々人の聴覚の衰退など考慮すれば、個々人が聴機能に応じて少しずつ異なっている音を聴いている事になる。尤も、それぞれにどのように聴えているのかなど確かめようもない。演奏会やオーディオなど、音楽は楽しめればそれで良いのだが、何が何だか分からない世界である。
 ちなみに、私が所持している音源はカラヤンとBPOの演奏が多い。同じ曲の録音も何種かあるが、80年代後半ころの優れた録音よりも、録音は劣るが1960年代の旧い盤を私は好んで聴いている。

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