外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

ナビー・サーレハのデモ~毎週金曜日の小さなインティファーダ~(1)

2010-12-15 15:25:22 | パレスチナ


ビリン村のデモに参加した後、デモンストレーションの意義や(これ何の意味があるのん?)、非暴力の平和的デモにおいてパレスチナ人の子供が石を投げることの是非について(非暴力のデモで石を投げるのって反則なんちゃうん?)疑問を持つようになっていた私だが、その疑問はここナビー・サーレハですっきり解消した。

11月のよく晴れた金曜日(毎日晴れだったけど)に、ISM(パレスチナ支援の国際団体)の人達と連れ立って、ナビー・サーレハに向かった。初めて聞く地名だし、何があるのかもよく知らなかったけど、誘われるままついていったの。
ラマッラーからオレンジ色の乗り合いバスに乗ってやってきたが、町の入口をイスラエル軍が閉鎖していて入れない。しかたなく近辺で車を降りて、そのへんの農家の子供に案内してもらって、太陽の下、オリーブ畑のあいだの道なき道を30分ほど歩いて(公道を通るとイスラエル兵に見つかってつまみだされる可能性があるから)ようやく町の中心、モスク前の広場にたどり着く。最初から「占領されたパレスチナ」らしい展開である。

広場には仮設舞台が設置され、青い椅子が並べてあり、地元のおじさんたちが談笑し、子供たちがコーラスの練習をしている。女の人たちも座っておしゃべりしている。私は暑い中歩いたせいでへろへろ、デモの前に体力使い果たしちゃった、もう帰りたいなあ(弱虫)・・・などと考えながら日陰に腰をかける。

しばらくしたら「アラファト死去6周年記念会」なるものが始まった。おお、そんなイベントがあったとは。でもこのイベントは短かった。演説を予定していた政治家の大半が、イスラエル軍のせいで町に入れなかったからである。1人のおじさんが舞台でスピーチしている間に、子供たちが唐突にそばで行進を始め、その物音に負けじとおじさんが声を張り上げ・・・という感じで進行していった。子供達のコーラスも無事終了。子供たちはファタハのTシャツや、「I LOVE TAMIMI」というロゴの入ったおそろいのTシャツを着ている。後で分かったが、この町の人たちはほとんどみんな「タミーミ」という名字であるらしい。そういえば、ビリン村の人たちはみんな「アブー・ラフマ」であった。京都の私の田舎では「花田」と「大西」が多かったな、などと思い出す。田舎ってどこも同じですね。

記念会が終了し、いよいよデモ行進が始まる。始まる前から空気中にすでに催涙ガスのかぐわしい香りが漂っている。なんて不吉な・・・。
道路閉鎖のせいか外国人の姿は少ないが、地元の人は老若男女とりまぜて大勢参加している。若い女の子も大勢いるし、子供たちもその辺をうろうろしている。天気も良くてデモ日和である。でも暑い・・・ホントに今は11月なのだろうか・・・。

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