マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

活動報告、2015年06月28日

2015年06月28日 | カ行

・「小論理学」(未知谷版)の翻訳は終わりました。「関口ドイツ文法」の出版の前にした「見直し」(「小論理学」鶏鳴版の見直し)部分の再度の見直しが終わったということです。

「聴講生への挨拶」には、印刷されていない草稿が続いていて、ズーアカンプ版「全集」の第10巻(精神哲学)の巻末に「挨拶」と共に、それの後に、405頁以下に掲載されています。今回はそれも訳しました。これまでにこの部分を訳したのは宮本・真下訳『小論理学』(岩波書店)だけではないでしょうか。

残っている仕事は「付録」に載せる論文の完成です。これも、これまでに発表したものの再掲と書き下ろしとですから、前者は出来ています。後者の執筆が残っています。現在は例によって少し「休憩」をしていますので、この休憩が終わりましたら、新たな決意を持って取りかかるつもりです。

・この間、多分お気づきと思いますが、6月から「マキペディア」にドイツ語での論文発表を始めました。まずは6月2日に「弁証法の弁証法的把握(2014年版)」の独訳を発表しました。

 ドイツ語の言い回しには不適切な部分も多々あるだろうと思いますが、論旨が誤解される心配はほとんどないと思いますので、始めることにしました。

 その目的は、世界の哲学界で認めて貰おうという事ではありません。日本語で発表された学術文献は外国人でも日本語で読む努力をするべきだと思います。しかし、それはいっぺんに実現される事ではありませんから、先ずはドイツ語で、というのは哲学の場合はドイツ語が共通語だと思うからですが、日本の水準の高さを「察して」貰おうという事です。

 この事は最初は関口文法について感じた事です。関口文法は、それが「ドイツ文法」だという理由からでしょうが、国際的な場面では、無反省に、ドイツ語で議論されています。かつて日本で行われたシンポジウムなどでも、ドイツ語で議論が為されたようです。この夏にも中国で国際ゲルマニスト連盟の総会(5年に1度?)が開かれるそうですが、日本の関口派の人もそこでドイツ語で何かを発表したいと思っているようです。私は、こういうやり方に反対なのです。

 そもそも言語ないし個別言語について議論をする場合は、何語で議論をするかが問題です。ドイツ文法について日本語で議論する場合は、当事者双方に、ドイツ語と日本語の同程度の理解が求められます。しかるにこの前提条件を満たす事が難しいのです。ここに言語についての議論の難しさがあるのだと思います。関口は「冠詞論」のどこかで、「この本はドイツ語で書こうかと考えたが、こういう事があるから、やはり日本語で書くことにした」と書いていたはずです。こういう本をドイツ語で理解し、議論をすることは、無意味ではありませんが、「本当の事」ではないと思います。

 最近、ドイツ語と英語とフランス語それぞれのウィキペディアでHegel, Marx, Engels, Lenin(仏はLenine)の項を見てみました。それは中々充実していて感心したのですが、その終わりの方に掲載されています「研究文献」欄に日本語で書かれたものは載っていませんでした。つまり、「無視されている」あるいは「知られていない」という事だと思います。この現状は是正しなければならないと思います。

 もう一つ。例によって「ラジオ深夜便」で得た知識ですが、外国での日本語学習のレベルが急速に非常に上がっているらしいという事です。聞いたのはウィーン大学の例とワルシャワ大学の例とカイロ大学の例ですが、この三例だけでも「世界の趨勢」を推測するには十分だと思います。

 機は熟していると言って好いでしょう。理想ないし目標としては、問題提起者の使った言語で議論するべきだと思います。私はこういう考えでまずはそれに向って第1歩を踏み出した訳です。7月には「マルクス主義」(『西洋哲学史要』第二版に掲載)の独訳を載せるつもりです。

6月28日、牧野紀之