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シェリング

2014年03月23日 | サ行
 01、「同一性と非同一性との同一性」という表現は、ヘーゲルが『フィヒテの哲学体系とシェリングの哲学体系との差異』(1801年)で最初に使った表現である。彼はこの論文を、フィヒテの哲学体系を批判し、「同一哲学」とよばれるその当時のシェリングの哲学体系を支持する目的で書いたのであるが、しかしこの論文でヘーゲルはシェリソグと全く同じ見解をとっていたのではなく、すでにシェリングの立場を超える独自の哲学的見解をも述べている。──

 絶対的なものは同一性であり、同一性においては主観と客観との区別(非同一性)は揚棄されている、といっただけでは、同一性に主観と客観との非同一性が対立させられ、この対立によって同一性が相対化されて、絶対的なものではないことになるから、この対立をふたたび揚棄して、「絶対的なものそのものは同一性と非同一性との同一性(die Identität der Identität und der Nichtidentitätである」といわなければならない、というのが彼の論旨である。──

 なお彼は『一八〇〇年の体系断片』とよばれている手稿では「結合と非結合との結合(die Verbindung der Verbindung und der Nichtverbindung)」という表現を使っている。(寺沢訳「大論理学1」以文社、384頁)

 02、シェリングの同一哲学における「べき(Potenz)」という概念の使用法が念頭におかれている。「定量」の章の訳者注で述べたように、シェリングはその著『私の哲学体系の叙述』(1801年)において、主観と客観とのあいだにはいかなる質的差異も存在しない、と主張した。このようにして「絶対的同一性」として「絶対者」が定立されるが、哲学体系である以上は、たんに絶対者をいうだけではなくて、この絶対者から一切の多様なものがどのようにして導きだされるかが述べられなけれはならない。ところが前述のように質的差異が否定されているので、絶対的同一性から多様性へと導く道は、主観性が優勢になるか客観性が優勢になるかという・二つの方向への量的差異の展開しかないことになる。シェリングはこのどちらか一方が優勢になっている状態のなかでさらにまた一方が優勢になるという量的差異の重層化をおこない、その区別を第一次のべき・第二次のべき・等々と名づけたのである。(寺沢訳書1、429頁)