マキペディア(発行人・牧野紀之)

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私のドイツ語教育

2013年12月12日 | タ行
 3年余り前に大学のドイツ語講師に復帰した。この間、私の授業はずいぶん変わってきた。変わった点と変わった原因とをまとめてみたい。

 変わった点の第1としては、文法を重視するようになったことである。その原因を考えてみるに、自分自身がこの間ドイツ文法を勉強し続けてきたことが前提としてある。それに、学生諸君が、音読はやらない人はいつまでたってもやってくれないが、文法ならやってくれることが分かったこともある。そして最後に、高田誠氏の『英語の学び方』(旺文社)を読んだことである。そこに書かれてある、文法と読解と作文とヒアリングとスピーキングの関係と順序についての説は、長年の教育経験に基づいたもので実に説得力があった。

 文法をしっかり教えるようになったということは、音読の「指導」をなくしたということである。音読主義を唱えているのだし、それはそれで正しいのだが、だからといって、「後に付いて読んで下さい」と言って学生を引っ張るような練習は無意味だということが分かったのである。復帰した年、前期の毎回の授業で音読練習に30分もかけたのは大きな間違いだった。音読は、音読主義の勉強法を示し、説明して、1回練習させるだけでお終いである。後は、やる人はやるし、やらない人はやらない。教師にはこれ以上どうしようもない、ということが分かった。

 そして、これと関係するが、やはり授業はやる気のある生徒の才能を出来るだけ伸ばすことを目標にしてやるべきだという考えに達したことである。下(げ)の人に合わせて授業をすると、上(じょう)の人の才能が十分には伸びない。これは国家的規失である。それに反して、上の学生に合わせて授業をすると、上の学生の才能が十分に伸びるのはもちろんのこと、中(ちゅう)の人も下の人もそれなりに勉強するし、下の人に合わせた時よりもよく伸びる。これが公正な授業というものである。

 授業の内容にも工夫をして、多様性を与えるようにしている、もちろん私の能力の範囲内でのことであるが。文法、読解、作文は多くの他の授業と同じだろうが、ほとんど毎回小テストをする。20問から成り、12問以上の正解をもって出席と認めることになっている。これは、すでに授業でやったことのテストではなく、予習のテストである。この事については毎年苦情が出る。「テストは答え合わせをしてからにしてくれ」というのである。しかし、予習能力こそその人の自立的学習能力だから、大学では予習のテストをすべきだと説明する。二人一組になっての簡単な会話練習との下手なドイツ語での雑談は特に人気があるようである。そして、最後の方で「言語学概論(もどき)」をやる時間を作れれば上出来である。

 こういうやり方に自信を持てるのは、1年に何回か取るアンケートで学生の意見を聞いているからである。「学生による授業評価」についてはすでに一文を草した(「鶏鳴」第132号所収)ので、繰り返さない。アンケートを読むのは一番の楽しみである。記名して書いてもらっているので、本当の事が書かれていないのではないかと思う人もあるだろうが、そう思う人は思ってくれてよい。私は、「大体」本当の気持ちが書かれてあると確信している。「大体」というのは、人間はそれほど全てを互いに言い合う必要がないと思うからである。つまり、必要なこと、そして書いて好いことは書かれているということである。最後のアンケートに「楽しかった」という言葉を読むのが一番嬉しい。

 これらの事を可能にした技術的な条件としてリソグラフの役割は大きい。理想科学のこの簡単な印刷機がここ3年くらいの間にほとんどの学校で導入された。かつて初めて教師になった頃、ドイツ文字の勉強をしようと思ってプリントを学校に頼んだら、「教材は学生に買わせてくれ。こういうのは今回限りにしてくれ」と言われた。私のやる気はこれで大いに殺(そ)がれた。しかし、最近は私立大学でもリソグラフなら自由に使える。小テストはもちろんのこと、新しい教科書が出来る迄は、沢山のプリントを配ったが、これが出来たのはリソグラフのお陰である。『音読主義のドイツ語』の第1部をみなプリントにし、その上文法の練習問題やいくつかの読本もプリントにしたら、1年間でどれはどの分量になるか、想像がつくだろうか。

 今後の改善点としては、初めの数時間をもう少し丁寧に教えて、中以下の学生の理解を高めることである。これは今年度から試みている。教科書『音読主義のドイツ語』が出来たことが前提であるが、授業のレベルアップはもうこれくらいで好いと判断したため、私、の気持に余裕の出たこともある。単語カードの使い方も初めの内にチェックするようにした。小テストの内容も、今までは短文の暗記を求めるものが多かったが、初めから単語と句と文との暗記をバランスよく求めるようにした。

 内容的には去年からドイツ文字の勉強まで入れたくらいだから、もう満杯という感じだが、今年は、詩を読むチャンスを作りたいと思っている。結構要望が強いのである。泥縄式の勉強を始めた。(1996,06,30。雑誌『鶏鳴』第137号から転載)