マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

人気の無いヘーゲル

2013年07月22日 | ハ行
 07月06日付けの朝日新聞Beに「好きな哲学者・思想家(西洋編)」のランキングが載りました。朝日はそのデジタル会員にサイト上でアンケートを行って、その結果をランキングとして毎週発表しています。今回はこういうテーマだったわけです。「倫理の教科書の人名索引から90人に絞り、5人まで選んでもらった」そうです。回答者数は1161人。

 その結果を見ますと上位30位までは以下の通りです(括弧内は得票数)。

 ソクラテス(355票)、レオナルド・ダビンチ(302票)、ガリレイ(181票)、プラトン(177票)、ダーウィン(150票)

 ニーチェ(143票)、ルソー(121票)、マルクス(117票)、アリストテレス(116票)、パスカル(114票)、

 ニュートン(113票)、フロイト(106票)、サルトル(102票)、コペルニクス(97票)、イエス(96票)、

 ミケランジェロ(89票)、デカルト(86票)、カント(78票)、ユング(65票)、シュバイツァー(58票)

 21位以下は、マキャベリ、ダンテ、ボーボアール、ルター、レイチェル・カーソン、マックス・ウェーバー、アダム・スミス、ケインズ、ショーペンハウエル、レーニン、だそうです。

 つまり我がヘーゲルは上位30人の中に入っていないのです。なぜでしょうか。記者の解説ないし感想文を読んで分かったような気がしました。まずその感想文を引きます。

 ──のっけから番外編で恐縮だが、「『ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか、ニ、ニ、ニーチェか、サルトルか、みんな悩んで大きくなった』というCMで、名前だけ覚えている」(埼玉、49歳男性)など、作家の野坂昭如さんが1970年代に歌ったウイスキーのCMソングが、今回のアンケートの自由回答欄では大人気だった。

 さて、本題へ。絶大な支持を得たのは古代ギリシャの哲学者だ。1位はソクラテス。信念を貫いた末の刑死、「無知の知」という言葉への共感を語る人が多かった。「命にかかわるほどの主張をしてみたいと思う半面、怖いとも感じる」(兵庫、51歳女性)、「大学時代に躓(つまず)いた時、心のよりどころにした」(神奈川、76歳男性)、「弟子になりたい」(京都、53歳女性)、「知らないということを知ることが大事。これを肝に銘じていれば、原発事故もなかった」(和歌山、49歳男性)。

 4位の弟子プラトンの功績をたたえる声も多い。「プラトンがソクラテスの思想を書かなかったら、我々はほとんどソクラテスを知らなかった」(神奈川、72歳男性)。「国家という概念を用いたのは画期的」(神奈川、42歳男性)、「プラトン後の哲学は、プラトン哲学の脚注にすぎない」(大阪、63歳男性)と、後世の哲学者の言葉を引用した人もいた。

 さて、時代はルネサンスヘ。2位ダビンチの支持者は、その多才ぶりを評価。「興味の範囲も広くエネルギッシュ。今の日本だとビートたけしさん?」(東京、38歳女性)、「『ダ・ヴインチ展』を見て、多様な分野への探究心に感心した。不思議に思う気持ちを忘れたくない」(埼玉、29歳女性)。

 3位のガリレイについては「世の中の常識と違うことを考えるだけでもすごいのに、発表するのは大変だったろう。最後まで粘れなかったのは、時代が時代なので仕方ない」(千葉、48歳女性)というコメントもあった。既存の価値観に異議を唱えた勇気への称賛は、5位のダーウィンにも寄せられた。「キリスト教があらゆる世界観を支配していた社会で、客観的・科学的な視点を世に訴えた勇気、科学者魂、信念に敬服させられる」(神奈川、48歳女性)。

 6位のニーチェ、7位のルソーにも共感の声が。「現実世界をありのまま受け入れ、困難な状況にも何らかの意義があると自己肯定するニーチェの考え方は、仕事上の困難や人間関係の不自由さから私を自由にする」(埼玉、60歳女性)。「大学時代、ルソーが『エミール』に記した『農夫のように働き哲学者のように考える』という言葉に感銘を受けた。暮らしの中の出来事から、もの思う習慣は続けている」(愛知、57歳女性)。

 今回は、教科書に載っている思想家を選択肢にしたが、哲学者の国分功一郎さんは、「『正義』についての著作や授業で話題となったサンデル氏など、現代の哲学者も加えれば、順位が変わったのでは」と語る。「哲学は過去を掘り返すだけの学問ではない。今回、上位に入った哲学者たちはみな、それぞれの時代の中で、権力とギリギリの立ち位置で闘っていた」。

 国分さんはこうも言う。「哲学は物事の根拠を問う。たとえば、税金が高い。生活が苦しい。そういった身近な問題に突き当たった時、人は税金とは、政府とは何かと考え、その根拠を問う。哲学はそんな時の手助けになります」。

 ということは、政治も経済も文化も閉塞感に包まれている今こそ、哲学が必要なのではないのか。アンケートで「最近、哲学への関心が(どちらかといえば)すたれつつあると感じる」と答えた人は計7割近く。「もっと哲学しよう!」という、読者の声を聞いた気がした。(寺下真理加)──

 この感想文を読んで、「ヘーゲルについてこういう体験的な印象を語れる人がどれくらいいるだろうか」と考えてみると、少ないだろうという事になります。つまりヘーゲルはただ、「授業で『近世哲学の完成者』とか『最高峰』とか教わっただけだ」とか、あるいは「人に『マルクスを知るにはヘーゲルを知らなければならない』と言われて、少しは読んでみたけれど、何も分からなかった、印象に残らなかった」というのがほとんどの人の経験ではないでしょうか。ですから、このアンケートはそういう事情を正直に表現しただけだと思います。

 そもそもヘーゲルを紹介している訳者や研究者がこういう「体験的な印象」を語れるのでしょうか。ただ文字面を訳し、外国の研究書からいくらかの事を写しているだけではないのでしょうか。

 ヘーゲル哲学は本当に生活に役立たないのでしょうか。一応、私にとってのヘーゲルの意義を書いておきます。沢山ありますが、一番重要な事は、「体系的、全体的にまとめられていない知識は学問ではない」という事を教えてくれたことです。

コメント
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