マキペディア(発行人・牧野紀之)

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芳沢光雄・桜美林大学教授

2009年04月29日 | ヤ行
 芳沢光雄・桜美林大学教授(数学・数学教育)が朝日新聞に次の文を投稿しました。

      記〔マークシート方式の入試の悪影響〕

 ノーベル賞を受賞した益川敏英さんは、折に触れマークシート方式による入試問題に対して思い切った批判を展開している。第一線の物理学者が日本の将来を憂慮して、教育問題に発言していることを、私たちは軽視してはならないと思う。

 マークシート形式の問題は、確かに採点時間やコスト面などで優れている。しかし、それは論述力を全く育まない試験であり、プロセスは間違っていても正解を見つけられる場合が少なからずある。数学問題でも、たとえば、マークシート問題の個々の解答欄は整数になる場合が普通なので、答えが2より大で4より小になることだけをつかむと、「3」を導くプロセスは不明でも、必然的に答えの「3」がばれてしまう。

 正しく推論しなくても正解を見つけられる方法がいくつもあるという本質的な欠陥から、ものごとのプロセスを軽視して「答えさえ正しく当たっていればよい」といった風潮が、広く浸透している感がある。

 大学で数学を教えて30年になるが、この風潮は2000年代に入ってから一段と目立ってきた。大学入試の数学が論述式を重視する世界的な傾向の中で、日本だけマークシート形式が全盛であることに、私は強い疑念を抱かざるを得ない。

 私は、数多くの出前授業や教員研修会を通して、初等・中等教育でも事態は深刻だと痛感する。小学校の算数では、等号記号(=)を全く書かないで式変形をする者が、生徒ばかりか教員にも現れている。中学校の図形の証明問題の授業では、証明の全文を書かせるのではなく、穴埋め式のみで終わらせる場合がよくある。2007年末に発表された経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)でも、日本は論述問題で白紙答案が目立って多かった。

 こうした傾向はビジネス社会にも表れている。ひたむきな努力は無視され、結果の数値だけで評価されたり、説明もないまま指示だけを受けたりして困惑する会社員が激増している。それらは、見えない努力の積み重ねがあって大輪を咲かせることや、理由なき指示では動機付けが弱くなることを忘れてしまった現象であり、プロセスの軽視が招いたものである。

 こうした事例は枚挙にいとまが無いが、マークシート問題に大きく依存している日本の大学入試制度が、原因の一つになっていることは明らかだろう。

 私は、かつて、○×式問題が、多くの識者の確固たる発言で歯止めがかかったことを思い出す。○×式がマークシート式になっても、単に選択肢が増えただけに過ぎないのだ。いまこそ、益川さんの発言を重く受け止めたいものである。
(朝日、2009年01月)(引用終わり)

 私は、芳沢光雄教授という方のことをほとんど存じ上げなかったのですが、ネットで見てみますと、数学を面白く教えることでかなり有名な方のようです。しかし、これを読むと考え方に大分問題があるように思いました。以下に疑念を表明する次第です。

 第1に、氏の主張は、益川教授のマークシート方式入試批判を重く受け止めよ、ということですが、内容を検討してみますと、氏の出発点となる事実認識は、物事のプロセスを軽視して、「答えさえ正しく当たっていればよい」といった風潮が広く浸透していて、この風潮は2000年代に入って一段と目立ってきた、ということです。そして、その「一つの原因」がマークシート方式による入試制度だから、「世界的傾向に合わせて大学入試の数学で論述式を重視せよ」と言いたいのでしょう。

 所与の社会現象を「困ったことだ」と思って発言するならば、その現象の「1つの」原因ではなく、できれば「全ての」原因、そこまで行かないならば「出来るだけ多くの」原因をさがして、それらを立体的に整理する必要があります。つまり、どれが根本原因でどれが派生的な原因か、といった具合にです。

 一般化して言いますと、学問というのは「個別的な事実の指摘で満足するものではなくて、全体としての真実を明らかにするものである」ということです。氏の態度はこれに反していると思います。

 小さいことですが、入試の世界的傾向についても、数学のそれにしか言及していないのも一面的です。結論が一般的なら、それに相応しく多くの事実を証拠として挙げるべきでしょう。

 第2は、大学入試のあり方で、学校教員や会社員の問題まで説明しようとしている点も間違っていると思います。学校教員や会社員は大学入試までの勉強だけでそうなるのではありません。大学入試と卒業(就職)の間に4年間(以上)の大学教育があります。そして、この4年間の大学教育こそ芳沢氏の直接関与している事柄なのに、それへの言及がありません。

 実際、金沢工業大学のように、中学レベルの数学も出来ない学生を受け入れても、4年間の教育で工学部卒に相応しい学力に高めて有名になった大学もあります。

 芳沢氏の勤務する桜美林大学はリベラルアーツとやらを喧伝していますが、どの程度の学力向上を保障しているのでしょうか。千葉商科大学のように、例えば「英検○級、簿記○級、その他」といった「製造物責任」を発表しているのでしょうか。

 私見によれば、リベラルアーツと言うなら、そういう教育を受けた学生は、自分の大学について「カウンターホームページ」を作って、「自著の1冊もない教授は講師に降格させよ」と、要求するようであるはずです。

 桜美林大学のホームページを見ますと、そのトップページには教員の情報へのリンクが貼ってないようです。「在校生の方へ」をクリックして、その中の「教員紹介」を開いて、「芳沢光雄」と入れて検索しますと、出てきません。広報課に電話をして聞きますと、姓と名の間を1字分空けなければならないことが分かりました。何と不親切なホームページでしょうか。

 大学の情報公開で何よりも大切な事は、所属の教員(学長を含む)の研究業績と授業内容の「詳しい説明」です。トップページに「教員情報」というリンクを貼り、そこを開くとアイウエオ順に整理されて出てくるようにするのが常識でしょう。この常識すら実行している大学が少ないのが現状です。桜美林大学も非常識大学の1つです。芳沢氏はこの非常識をどう説明するのでしょうか。これの「1つの原因」もマークシートなのでしょうか。

 芳沢氏の「情報公開」を読みますと、内容は通りいっぺんのもので、とても「説明責任を果たした」といえるものではありません。箇条書きばかりで「論述」は見当たりません。今は説明責任の時代ですから、説明していないことはやっていないと見なされても仕方ありません。

 これらを考え合わせますと、芳沢氏の言い分は、「大学もがんばっているけど、これ以上は無理だから、高校卒までの教育をレベルアップしてくれ」というのではなく、「大学教育が御粗末でどうしようもないから、せめてマークシート入試をやめて、高校卒までの教育をしっかりやってくれ」という泣き言に聞こえます。

     関連項目

小柴昌俊