不登校
1、学校復帰強化策は疑問(特定非営利活動法人東京シューレ理事長 奥地圭子)
文部科学省は今年(2002年)09月、10年ぶりに「不登校問題に関する調査研究協力者会議」を発足させた。
小中学生の不登校者の数はこの10年間で倍増し、増加傾向に歯止めがかかっていない。こうした事態への憂慮から、協力者会議の会合では「不登校の容認が行き過ぎているのではないか」など、不登校の子どもの学校復帰を強化する考えに立った意見が強く出されているという。
私は「行き過ぎ」といわれるほど不登校が容認されている状況は存在しない、と考えている。また、学校復帰強化策が好ましい結果をもたらすという見方にも疑問を持っている。
もう20年以上前のことだが、私は我が子の不登校に直面して、子どもを学校へ戻したい一念からソフトに登校を強制し、結果的に子どもを追いつめてしまった苦い経験を持つ。
何らかの理由で学校と距離をとる必要に直面している子どもは、学校へ行くことを当然とする考えに取り囲まれると、大変に苦しい思いをする。学校へ行かなければ、教室へ入らなければ、という心の葛藤のために自殺する子の悲劇は現在も続いている。
いま必要なのは、当事者である子どもとその親たちが何を求めているかを原点に、我が国の不登校政策を見直すことだと思う。その視点から見ると、今回の協力者会議のメンバーはほとんど公的機関の職員で、当事者や市民・民間の声が反映される人選となっていないことも問題だと考える。
不登校の歴史は、学歴社会日本にあっては、実に苦しみの歴史であった。学校に傷つき、疲れ、行か(け)なくなると、それは容認されず強引な連れ戻しが行われた。
こうしたことへの反省から出された10年前の協力者会議の報告は、登校拒否を誰にでも起こりうるものと考え、学校復帰が前提ではあるが、より緩やかで、民間施設なども視野に入れた幅のあるものとなった。
親の会やフリースクールは、不登校を「なおす対象」ではなく、その子の今を生きるあり方として受け止め、その子に合った成長を考えるようにして、大きな成果を生んできた。
やっとここまできた歴史が逆行させられることのないよう、切に願っている。
不登校はすでに四半世紀も増え続けている。文科省は思わしい成果を得られぬまま、膨大な予算を予防・復帰策に注ぎ込んできた。同じ愚を繰り返すより、視点を変え、現実に即した新しい施策を採るべきではないだろうか。
魅力ある学校づくりはもちろんであるが、子どもの教育は学校だけではないと考え、選択肢を学校外教育を含む多様で豊かなものにするために費用を投じ、子どもや親が選択できる制度にしたらどうか。子どもという生命と現行の制度がミスマッチを起こしているとき、子どもの生命の側に立つことこそ求められる。
すでに世界的には、政府の行う学校教育以外に様々な教育が広がってきている。社会の変化が、旧来の教育の枠を変えることを求めているのである。再発足した協力者会議が、時代の変化と不登校の子どもの現実に即した、より広がりのある新しい施策をまとめられることを期待している。
(朝日、2002年10月09日)
1、学校復帰強化策は疑問(特定非営利活動法人東京シューレ理事長 奥地圭子)
文部科学省は今年(2002年)09月、10年ぶりに「不登校問題に関する調査研究協力者会議」を発足させた。
小中学生の不登校者の数はこの10年間で倍増し、増加傾向に歯止めがかかっていない。こうした事態への憂慮から、協力者会議の会合では「不登校の容認が行き過ぎているのではないか」など、不登校の子どもの学校復帰を強化する考えに立った意見が強く出されているという。
私は「行き過ぎ」といわれるほど不登校が容認されている状況は存在しない、と考えている。また、学校復帰強化策が好ましい結果をもたらすという見方にも疑問を持っている。
もう20年以上前のことだが、私は我が子の不登校に直面して、子どもを学校へ戻したい一念からソフトに登校を強制し、結果的に子どもを追いつめてしまった苦い経験を持つ。
何らかの理由で学校と距離をとる必要に直面している子どもは、学校へ行くことを当然とする考えに取り囲まれると、大変に苦しい思いをする。学校へ行かなければ、教室へ入らなければ、という心の葛藤のために自殺する子の悲劇は現在も続いている。
いま必要なのは、当事者である子どもとその親たちが何を求めているかを原点に、我が国の不登校政策を見直すことだと思う。その視点から見ると、今回の協力者会議のメンバーはほとんど公的機関の職員で、当事者や市民・民間の声が反映される人選となっていないことも問題だと考える。
不登校の歴史は、学歴社会日本にあっては、実に苦しみの歴史であった。学校に傷つき、疲れ、行か(け)なくなると、それは容認されず強引な連れ戻しが行われた。
こうしたことへの反省から出された10年前の協力者会議の報告は、登校拒否を誰にでも起こりうるものと考え、学校復帰が前提ではあるが、より緩やかで、民間施設なども視野に入れた幅のあるものとなった。
親の会やフリースクールは、不登校を「なおす対象」ではなく、その子の今を生きるあり方として受け止め、その子に合った成長を考えるようにして、大きな成果を生んできた。
やっとここまできた歴史が逆行させられることのないよう、切に願っている。
不登校はすでに四半世紀も増え続けている。文科省は思わしい成果を得られぬまま、膨大な予算を予防・復帰策に注ぎ込んできた。同じ愚を繰り返すより、視点を変え、現実に即した新しい施策を採るべきではないだろうか。
魅力ある学校づくりはもちろんであるが、子どもの教育は学校だけではないと考え、選択肢を学校外教育を含む多様で豊かなものにするために費用を投じ、子どもや親が選択できる制度にしたらどうか。子どもという生命と現行の制度がミスマッチを起こしているとき、子どもの生命の側に立つことこそ求められる。
すでに世界的には、政府の行う学校教育以外に様々な教育が広がってきている。社会の変化が、旧来の教育の枠を変えることを求めているのである。再発足した協力者会議が、時代の変化と不登校の子どもの現実に即した、より広がりのある新しい施策をまとめられることを期待している。
(朝日、2002年10月09日)