マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

意志

2007年02月18日 | ア行

   参考

 1、精神と思考と意志の関係

  (1) 精神は思考一般である。
  (2) 一方に思考、他方に意志、という関係ではない。
  (3) 思考は理論的振る舞い。意志は実践的振る舞い。

  (4) 意志は思考の特殊な様式である。定存在の中へと自己を移し置くもの、自己に定存在を与える衝動としての思考である。

  (5) 意志は思考の中で始まる。初めは思考に対立しているものとして現象する。行為するとは、自己を規定することである。即ち、区別を立てることである。しかし、この区別行為
の規定は私のものである。

  (6) 理論的なものは実践的なものの中に含まれている。意志は自己規定する。この規定(目的意識のこと)はさしあたっては内的なものである。動物も内的なものに動かされる。しかし、それを表象しないのである。

  (7) 意志なくして思考することはできない。

  (8) 意志の根本規定は自由である。(略)自由なき意志というものは空虚な単語であり、自由はただ意志として、主体としてのみ現実的なのである。
(以上、ヘ-ゲル『法の哲学』第4節への付録)

 2、自我の中に見出されるどのような内容でも捨象しうる絶対的可能性としては、これ(普遍性としての意志)は否定的な自由、悟性の自由である。(ヘ-ゲル『法の哲学』第5節への注釈)

 3、恣意とは意志として現れた偶然性である。それは矛盾としての意志である。その真理における意志ではなく、形式的には自己規定であるが、内容から見ると外から規定されている。(ヘ-ゲル『法の哲学』第15節及びその注釈)

 4、たしかに恣意はあれかこれかを自分で決める能力ですから、その概念からいって自由な意志の一つの本質的な契機ではあります。しかし、それは決して自由そのものではなく、さしあたってはたんに形式的な自由にすぎません。

 恣意を止揚して自己内に含み持つ真に自由な意志は、自己の内容を絶対的に確実な内容として自覚し、その内容を端的に自己自身の内容として認識しているのです。

 それに対して、恣意の段階に止まっている意志は、内容的に見て正しい決定をしたとしても、その気になれば別の決定も出来たのだという思い上がった考えを持っているのです。

 更に細かく見ると、恣意の中ではいまだに形式と内容が対立しており、その意味で恣意は矛盾です。

 恣意の内容は与えられたものであり、意志自身の中に根拠づけられてはおらず、意志の外にある諸々の条件から来るものであることが分かっている。

 従って、そのような内容面での自由とは、選択という形式的な事にほかならない。

 よくよく分析してみると、この意志の選んだ内容を条件づけた外なる諸事情は、この意志がまさにその内容を選ぶように決めているということが分かるのであり、その限りでこういう形式的自由は又通俗的な自由のことにほかならないのである。(ヘ-ゲル『哲学の百科事典』第145 節への付録)

 5、意志は、知性とは違って、外部から与えられた個別的なものをもって始めるのではなくて、自分が自分のものとして知っているような個別的なものをもって始め、次にこの内容(もろもろの衝動及び傾向性)から自己内に反省して、この内容を普遍者に関係させ、そして最後に自分を自己自身において普遍的なもの、自由、自分の概念に対する意欲に高める。(ヘ-ゲル『哲学の百科事典』第387 節への付録)

 6、意志の世界〔つまり歴史の世界〕は偶然に任されてはいない、という信念と思想こそ、歴史考察にあたって持たなければならないものである。(ヘ-ゲル『歴史における理性』29頁)

 7、意志が普遍的なものを意志する時、その時に意志は自由になり始める。普遍的なものを意志するということは、思考の思考(普遍者)への関連を含んでおり、従って思考は自分自身の元にあるのである。(ヘ-ゲル『全集』18巻 118頁)