前回エントリ『あなたは「他人の目」でブログを読んでいないか?』では、情報収集の手段がソーシャルブックマーク(SBM)とニュースサイト(NS)だけになるとまずいんじゃないか? てな話をした。
論点は以下の2つだ。
1. SBMとNSに頼りきりだと、記事を発掘する目が他人まかせになりすぎないか?
2. SBMとNSに頼りきりだと、自分の感性で自分だけが「おもしろい」と感じる記事を見逃すんじゃないか?
で、例によってはてなブックマークのコメントで、示唆に富むおもしろい意見をたくさんいただいた。それらを読み、思考がさらに深まった感じだ。そこで新しくエントリを立てることにした。結論をひと言でいえば、次のタイトル通りである。
■自分の目と脳で読めば無問題じゃない?
今回の記事を書くモチベーションになったのは、以下のコメントだ。(2007年12月25日現在)
どちらも主旨は近いだろう。記事を見つけるきっかけになったのは「他人の目」でも、「自分の目」で読み判断すればいいんじゃないの? って意味である。
人に記事の存在を教えられ、他人の価値観に脳を支配された状態で読むのはよくない。こりゃ洗脳されている。
要は、思考をスイッチすればいいのだ。
記事を読む時点で頭を切り替えよう。で、「あのアルファ・ブックマーカー(またはニュースサイト)の○○さんがおもしろいと言っている。なら、きっとおもしろいんだろう」的な悪い意味の予断をなくす。
そして自分の目で記事を読み、自分の脳で記事の価値判断をする。この方法なら、確かにジャッジの部分に関しては問題ないだろう。
■「自分だけのおもしろい記事」を見逃す可能性は残る
ただし私の問題提起のうち、これでもなお、まだ次の論点については解決されていない。前回のエントリから該当箇所を引用しよう。
自分の価値観というフィルタを通して読めば、確かに読むときの問題点は解消される。だけど記事の発掘については、依然、事態は変わらない。
SBMとニュースサイトだけに頼っていると、それらに載っていない記事を見逃す可能性がある。SBMやニュースサイトには出てないけれど、自分が読めばおもしろいと思う記事に出会えなくなるのでは? そんな危惧が残る。
要は「人に頼りすぎると自分らしさをなくす」、「程度問題だよね」って話である。
この点についてはブログ「北の大地から送る物欲日記」さんが、端的にまとめられている。ポイントを引用しよう。
他人の目と自分の目をバランスよく併用する。私もこれが正解だと思う。
人間が情報収集に使える時間は限られている。それに加え、現代は情報過多の時代である。で、ついついSBMとニュースサイトだけに頼り切りになってしまうが……やはり自分の目で探す作業も平行して続けたいものだ。
【関連エントリ】
『過去記事にスポットライトを当てる個性派ニュースサイトの威力』
『あなたの「好き」を見つけてくれる個人ニュースサイトを探せ』
『「仲のよさ」じゃなく「記事の内容」で繋がるSBMのコミュニケーション』
『自分に気づくためにブログを書く』
『ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか?』
(追記)今回見てきたようなニュースサイト関連のテーマについては、『駄文にゅうす』さんが役に立つリンク集を作られているようだ。参考までに付記しておく。
■駄文にゅうす『「葦の髄から天井を覗く」ような事をしても見える世界は限られている訳ですが』
論点は以下の2つだ。
1. SBMとNSに頼りきりだと、記事を発掘する目が他人まかせになりすぎないか?
2. SBMとNSに頼りきりだと、自分の感性で自分だけが「おもしろい」と感じる記事を見逃すんじゃないか?
で、例によってはてなブックマークのコメントで、示唆に富むおもしろい意見をたくさんいただいた。それらを読み、思考がさらに深まった感じだ。そこで新しくエントリを立てることにした。結論をひと言でいえば、次のタイトル通りである。
■自分の目と脳で読めば無問題じゃない?
今回の記事を書くモチベーションになったのは、以下のコメントだ。(2007年12月25日現在)
● NOV1975さん 「読むときには自分の目だな」(以下略)
● pbhさん 「フィルタリングを自分の脳ですれって話と理解」
どちらも主旨は近いだろう。記事を見つけるきっかけになったのは「他人の目」でも、「自分の目」で読み判断すればいいんじゃないの? って意味である。
人に記事の存在を教えられ、他人の価値観に脳を支配された状態で読むのはよくない。こりゃ洗脳されている。
要は、思考をスイッチすればいいのだ。
記事を読む時点で頭を切り替えよう。で、「あのアルファ・ブックマーカー(またはニュースサイト)の○○さんがおもしろいと言っている。なら、きっとおもしろいんだろう」的な悪い意味の予断をなくす。
そして自分の目で記事を読み、自分の脳で記事の価値判断をする。この方法なら、確かにジャッジの部分に関しては問題ないだろう。
■「自分だけのおもしろい記事」を見逃す可能性は残る
ただし私の問題提起のうち、これでもなお、まだ次の論点については解決されていない。前回のエントリから該当箇所を引用しよう。
なぜならこの選び方(SBMとニュースサイトのみに頼る方法)だと、結局、ある程度メジャーなもの(SBMやニュースサイトですでに選ばれているもの)しか読まなくなるのでは? という危惧がひとつ。
もうひとつは、これだと「自分にとって本当に読む価値のある記事」を見逃すんじゃないか? というのもある。(中略)
私のRSSリーダには、私が自分の目で選んだ「自分にとって価値がある」ブログがたくさん登録されている。ためしにそのうちのひとつから、任意の記事を読んでみると……やっぱりおもしろいのである。
けど、その記事はSBMやニュースサイトではまだ取り上げられていないのだ。
やっぱりこういう記事を探し出す「一次発掘の目」を持ち続けなきゃなあ……。
そんなことを感じる今日このごろである。
●すちゃらかな日常 松岡美樹『あなたは「他人の目」でブログを読んでいないか?』
自分の価値観というフィルタを通して読めば、確かに読むときの問題点は解消される。だけど記事の発掘については、依然、事態は変わらない。
SBMとニュースサイトだけに頼っていると、それらに載っていない記事を見逃す可能性がある。SBMやニュースサイトには出てないけれど、自分が読めばおもしろいと思う記事に出会えなくなるのでは? そんな危惧が残る。
要は「人に頼りすぎると自分らしさをなくす」、「程度問題だよね」って話である。
この点についてはブログ「北の大地から送る物欲日記」さんが、端的にまとめられている。ポイントを引用しよう。
私は両方の見方(他人の目、自分の目)を使って記事を見つけて読みますが、両方半々くらいです。自分の見る範囲の視野を広げるのに、他人の目を使った見方はありがたいですし、他人の目では見逃してしまいがちな自分のお気に入りの記事を見つけるためには、やはり自分の目を使って記事を見るのも大事。
●『「他人の目」と「自分の目」を駆使してウェブを読む』
他人の目と自分の目をバランスよく併用する。私もこれが正解だと思う。
人間が情報収集に使える時間は限られている。それに加え、現代は情報過多の時代である。で、ついついSBMとニュースサイトだけに頼り切りになってしまうが……やはり自分の目で探す作業も平行して続けたいものだ。
【関連エントリ】
『過去記事にスポットライトを当てる個性派ニュースサイトの威力』
『あなたの「好き」を見つけてくれる個人ニュースサイトを探せ』
『「仲のよさ」じゃなく「記事の内容」で繋がるSBMのコミュニケーション』
『自分に気づくためにブログを書く』
『ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか?』
(追記)今回見てきたようなニュースサイト関連のテーマについては、『駄文にゅうす』さんが役に立つリンク集を作られているようだ。参考までに付記しておく。
■駄文にゅうす『「葦の髄から天井を覗く」ような事をしても見える世界は限られている訳ですが』