すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

また「豆柴」に会ってきた

2024-04-13 10:32:54 | エッセイ
彼は嬉しくて左回りにくるくる回る

 近所へ散歩に行き、いつものコース上にある例の家の庭先でまた「豆柴」に会ってきた。

 やつは私の姿を見つけると、「もう嬉しくてたまらない」というようになぜかくるくる左回りに激しく回転する。

 毎回、くり返す謎の動きだ。

 私が檻に顔を近づけると、柵の間から鼻を突き出して私の匂いクンクン嗅ぐ。

 私の頭から顔、首筋へとくまなく鼻先を移動させ、香りを調査している。

 だが、そのうちに檻の中を落ち着きなくうろつき始め、突然、その場でおしっこをした。

 やっぱり散歩に連れて行ってもらえてないのだ。その証拠に糞の山も2つある。

先代犬と同じく散歩してもらってないようで心配だ

 ここの飼い主は無責任で、自分の飼い犬をまったく散歩させてないのだ。いわば飼い殺しである。

 そのせいで先代のデカい犬は、真夏のものすごい暑さの中、檻で死んでしまった。

 彼もまったく散歩に連れて行ってもらえてない様子だった、で、檻の中でたくさん糞をしていた。

 なのにここの飼い主は、また厚かましくも2代めの犬を飼い始めたのだ。

 もしまた酷暑の夏が来て、この豆柴にもあの先代犬と同じ惨劇が起こったらどうしよう?

 まだ春だというのに、そんな心配でいっぱいだ。

 動物愛護団体にでも通報し、この無責任な飼い主を指導してもらえないものだろうか?

 出過ぎたマネをするのはもちろん本意ではないが、そんなふうに私がためらっていたせいで、酷暑のなか先代のデカい犬は死んでしまった。

 もう二度とあんなことは繰り返したくないのだが……いったいどうすればいいのだろうか?

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MacBook Airのスピーカーは超絶的に音がいい

2024-04-03 10:08:28 | エッセイ
まちがえてスピーカーから音を出しビックリ

 私は過去、パソコン内蔵のスピーカーに音質を期待したことは一度もない。

 あれはもう「ただ音が出るだけのシロモノだ」とばかり思っていた。

 いや、いままで出会ったパソコンは実際みんなそういうレベルの音だった。

 だからいまでもその認識はまちがってないと思っている。

 ああ、正確に言えば思って「いた」だ。

 すでに過去形である。

何の気なしにイヤホンで音を聴こうすると……

 先日、MacBook Airの最新型を買った。

 で、届いたばかりのそいつで、何の気なしに高音質イヤホンをPCに挿して音楽を聴こうとした。

 いや、まさかパソコンのスピーカーで音を聴こうなんて考えてもみなかった。

 なのでMacBook Airにイヤホンを突っ込み再生ボタンを押すと……よく考えたらそやつはハイレートなDACを内蔵した通称「USBドングル」に挿したままのイヤホンだった。

 つまりパソコンに対し、USBドングル経由で再生できるよう必要な設定をしてなかったのだ。

 だから不意に意図せずパソコンのスピーカーの方から音が出た。

 瞬間、凍りついた。

 え? なにこの音は? これ、このパソコンから出ているの?

 思わず唸ってしまった。

 いやもう、その音がいいのったらない。

 もう超絶的なのだ。

すばらしい立体音響だった

 しかもただ音が出ているだけじゃなく、鳴り方にすごく立体感がある。

 見事に空間が鳴っている。

 思わず音が出ているディスプレイの下部を覗き込んでしまった。

 つまり本体のうしろから、まずユーザとは反対側に前方へと向かっていったん音が出る。

 で、その出た音が傾斜のついたディスプレイの下端に反射し、今度はぐるりと回ってユーザに向けて聴こえてくる仕掛けである。

 なんだかディスプレイの下から「音がたちのぼってくる」ような感じだ。

 しかもその音がもう、いいのなんのって。

 こんなに音がいいパソコンは初めて聴いた。

 もうびっくりだ。

「Apple Music」を知った時にも思ったが……

 実は「Apple Music」が揃える楽曲のラインナップ(これがツウ好みなのだ)を初めて知った時にも感じたが、Macの設計者って本当に音楽をよくわかっている。

 このレベルなら別に高音質イヤホンを使わなくても、軽く流し聴きするくらいなら十分だ。

 そんな聴き方なら肩も凝らないし願ったり叶ったりである。

 いやはや、MacBook Airが届いてからまだ数日しか経ってないが、もう驚かされることばかりだ。

 それら驚愕の事実はおいおい書くつもりだから、今日はこの辺にしておこう。

 いやぁ、もうびっくりですよ?

 本当にこいつは。

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近所の「狂暴犬」と仲良くなる

2024-03-31 13:17:38 | エッセイ
一度は噛まれたが粘りが奏功した

 近所の散歩コースに非常に狂暴な大型犬がいた。その家は大きくて、家の前にでかい犬小屋があったのだ。

 彼は人が近くを通るたびに吠え狂い、小屋の中で暴れていた。

 で、ここからが物好きなのだが……よりによって私はヤツとなんとか仲良くなれないか? と考えたのだ。

 なわけで散歩のたびにその犬小屋へ寄るのだが、ことごとく吠えられて退散していた。

 で、このままでは埒が明かないと考え、私はあるとき大胆な行動に出た。

 檻に張られた柵の間から鼻先を突っ込み、こっちには敵意がないことを示したのだ。

 ところが彼には当然そんなことは通じず、たちまち私はガブリとやられた。

 すごく痛かった……。

威嚇の一撃を機会に仲良くなる

 いや彼は単なる威嚇のつもりだったのだろう。

 攻撃が直撃してしまった私がしきりに痛がるのを見て、彼はそれまでとはまるで豹変した。

「しまった」

「やっちまったぞ」

「悪かった」

 そんな意を示してきたのだ。で、急に彼は大人しくなった。

「ここが攻め時だ」

 そう見た私はヤツの首周りをしきりに撫で(これは私の必殺ワザだ)、お近づきになろうとした。

 すると彼はそれを大人しく受け入れ、恭順の意を示した。

 これで一連の儀式は終わった。

 以後、私は散歩のたび彼の檻に寄り、「はぁはぁ」いうでかいヤツを撫でまわした。彼はもうなされるがままだ。

夏の暑さで彼は苦しそうだった

 そして季節は夏になった。

 折からの猛暑が容赦なく檻を襲い、ヤツは暑そうにまた「はぁはぁ」していた。

 とても苦しそうだ。

 大丈夫なのか? このままで?

 家にいるはずの飼い主さんに一声かけ、このままでいいんですか? 暑そうですよ? と言おうか考えた。

 だがそんな出過ぎたマネをするのもなんだか気が引けてしまい、そのままズルズルと時が過ぎて行った。

 そして別れは突然、やってきた。

彼は突然いなくなった

 ある日、いつものように彼の檻を訪れると……彼がいない。だが辺りには明らかに彼の体臭がもうもうと立ち込め、こんもりと糞もある。

 散歩に連れて行ってもらってないから糞が溜まっているのだ。

 いなくなったのは最近みたいだ。

 何が起こったんだろう?

 おそらく私のイヤな想像が当たっているのだ。

 この暑さにやられて、もう彼はこの世にいない。

 あまりのことに、しばらく呆然と檻の前に立ち尽くした。

 彼の身近にいて状況がよく分かっている自分は、なぜもっと事態を回避する適切な行動が取れなかったのか?

 こればかりは後悔しても、し切れない。

無責任な飼い主は散歩にも連れて行かない

 それにしても飼い主さんも明らかに無責任な人物なのだ。

 あんなでかい犬がいるっていうのに、散歩に連れて行った形跡がまるでない。

 いつも糞がたまっている。

 まるで飼い殺しのような状態なのだ。

 それからしばらく散歩のたびに檻の前を通り、ひょっこり帰って来てないか? と覗いてみた。だがそんなことはあり得ない。

 ああ、自分はなんてことをしてしまったのか?

 ただ後悔だけが胸を突いた。

あるときそこにちょこんと「豆柴」がいた

 だがそうこうするうち、ある日いつものように檻の前を通ると、あの檻の中に小さな豆柴がちょこんといたーー。

 なんと代わりの犬を飼い始めたのだ。

 私が近寄ると、人懐ッこいそいつは喜んで左回りに激しくぐるぐる何度も回る。

 そんな奇妙な動作を繰り返した。

 私はうれしさ半分だが、それにしても散歩にすら連れて行かないクセにこの飼い主はまた新しい犬を飼うなんて……。

 非常に複雑な気分になってしまった。

 さて、新入りのそんな豆柴とのことは、また機会があれば書くとしよう。

 では今日はこんなところで。

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【PC廃棄】やっと捨てる決心がついた

2024-03-30 23:08:07 | エッセイ
去り行く名機を惜しみながら初期化した

 新しいモデルを買った入れ替わりで、古い方のHPパソコンを廃棄処分することになった。

 なのでついでに、我が家の押し入れの奥底に安置され続けてきた歴代PCもいっしょに廃棄する決心がついた。(いまごろかい)

 どれも古いが、しっかり電源が入る。まるで長年、放ったらかしにしていた主人を待ちかねたかのように勢いよくランプがつく。

「おい、なぜ放置していたんだ?」

 そんなふうに訴えかけてきているかのように感じられた。

 しかもOSさえ新しいものに載せ替え、セキュリティを担保してやれば使えそうなものばかりだ。

 まずは去り行く名機を惜しみながらパナソニック、レッツ・ノートの古い個体をBIOSから初期化した。

 こやつはまだぜんぜん現役で動きそうだ。だが、なんせOSがWindows Vistaなのでセキュリテイがダメだ。しかたない。

すばらしいキーボードのThink Padだった


 続いてIBM時代の懐かしい黄金時代の名機Think Padも取り出してみた。

 本当に大事に使ってきた。

 しょっちゅう磨いていたから外見はピカピカの新品同様だ。

 こんなものを捨てるなんてまったく信じられない。

 あのすばらしい打ちごたえあるのキーボードも見事なほどきれいに保存されている。

 このキーボードだけは、さすがに惜しくなった。

 だがOSは……なんだったかな? ああ、Windows XPだな。

 問題外だ。

OSだけ入れ替えてワープロとして使えないか?

 でも、これってOSだけ入れ替えてワープロとして使えないのか?

 そんな想いでかなり後ろ髪を引かれたが……やっぱり同じく廃棄処分に決めた。

 だがそれにしても、もったいない。この立派な傑作キーボードがまるで泣いているかのように感じられる。

 ただこの個体は初期化の手順がネット検索ではなかなか出てこず未だ処分保留になっている。

 なんだか「オレを捨てないでくれ」って訴えてるみたいで忍びない。

 いっそ初期化の手順なんていつまでも見つけられなければいいのにーー。

 心のどこかでそう願っている自分がいる。

別れもあれば新しい出会いもある

 去り行く名機たちを見送る主人の気持ちはとてつもなく重い。

 だが人生、別れもあれば出会いもある。

 今後、新しく我が家の一員になるHP EliteBook、そしてMacBook Airといっしょに、また心機一転、あれやこれやで泣き笑いの人生が始まるのだろう。

 そんな未来に想いを馳せ、やっと初めて主人は前を向けたようである。

(追記)

 その後、Think Pad X31のマニュアルをネットでやっと入手できた。

 無事、カンタンに初期化できた。工程が進むたび、うれしいやら悲しいやら悲喜こもごもで複雑な思いに囚われた。

 ああ、新しいOSさえ入れられれば…。

 Think Padよ、来世で会おう。

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【画像変換の凄み】Windows OSとMac OSの決定的な違いとは?

2024-03-27 08:57:08 | エッセイ
*我が家のHPパソコン EliteBookは、北欧ならではの美しいスカンジナビア・デザインによる「Bang & Olufsen」(デンマーク)のスピーカーを搭載している。(上の画像をクリックすると拡大します)

Windowsな頭を襲ったMacBook Proの衝撃

 個人的な話になるが、パソコンなら私はWindows OSのほうが圧倒的に歴史は長い。

 そんな私がひょんなことからMacBook Proを使い始めたのはいつごろだったかなぁ?

 すっかりWindows頭だった私の五感を、こいつは絶えず刺激し続けてくれた。

 いやぁWindowsはユーザへしきりに再起動を求めてくる。

 だがMacBook Proを使い始めてからというもの再起動なんてトンと縁がなくなった。

 Mac OSは実に強靭で頑強なヤツなのだ。しかも画像処理にめっぽう強い。

 私は動画編集みたいな負荷の高い作業はやらないが、自分のブログに画像をアップロードしたりはする。

 そんなとき威力を発揮してくれるのが、MacBook Proがもつ実に優れた機能だった。

手元で拡張子を変えただけでファイル変換しちゃう

 なんとヘタすればこやつは単に手元で拡張子をチョチョイと変えただけで、ファイル変換を一気に終わらせてしまう。

 しかも最低、右クリ一発でpngをjpgにできたり、サイズ変換まで一度にやっつける。

 いやはや、その威力にはまったく恐れ入った。完全にWindows脳だった私の記憶の扉をゆさぶり起こしてくれるヤツだった。

 そんなこんなでMacBook Proはもう10年も使い続け、このたびめでたくMacBook Airへと発展的に昇華することに。


*MacBook Air

 この新顔はM3チップなるProと同等の頭脳をもち、しかも軽くて小さくモバイルにイケる。

 後生大事にモバイルルータを持ち歩き、ちょいと外で時間があればたちまちモバる私の生態にぴったりなのだ。

 てなわけでこのたびめでたく発注が終わり、あとは納入を待つ身となった。

かくてHPのEliteBookと出会う

 だがWindowsマシンの個人史もまた終わらない。

 あの忘れもしないSOTECで悲惨なパソコン史をスタートした私は、たちまち再起動と初期化の荒野に見舞われるハメになる。

 衝撃的なWindows世界の厳しい洗礼を受けた。

 その後、パナソニックのLet's note を愛用し、すっかりモバな世界に目覚めた。

 あるいは全盛期だった時代のThink Pad信者になったこともある。

 物書きにとっちゃ、あのThink Padの素晴らしいキーボードは一生忘れられないなぁ。

 かくて流れ流れて、やがて出会ったのがHPパソコンだった。ここのビジネスモデルはなかなかイケるのだ。

Bang & Olufsenのスピーカーを搭載したデキる奴

 なんと本機はあのスカンジナビア・デザインによる、Bang & Olufsen(デンマーク)のスピーカーをステレオ搭載したスゴ腕だ。

 その名もEliteBookである。


*HP EliteBook

 スカンジナビア・デザインとは、北欧特有の美しいデザインのことを指す。

 主にスウェーデンとデンマーク、ノルウェーの3か国、それに加えればフィンランドとアイスランドなど、スカンジナビア半島とその周辺で発展してきた独特のテイストをもつデザインだ。

 で、EliteBookの設計はあくまでシンプルにしてスタイリッシュ。渋いナチュラル・シルバー仕上げのボディがうれしい。

 おまけにキーボードは薄型であくまで指にしっとり馴染み、全盛期のいい時代だった頃のThink Padともタメを張るデキだ。

 そんなこんなでMacBook  AirとEliteBookの両刀使いで2024年の新学期を迎えることになった私の背筋は、もちろん新入生よろしくピッタリ伸びていることはいうまでもない。

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永六輔さん著書『結界』は実は私が書いた

2024-03-25 05:10:30 | エッセイ
私も「セクシー田中さん」問題を構成者として経験した

 さて今回は「ドラマー・村上“ポンタ”秀一さんインタビュー」、そして「実録・石原慎太郎氏インタビューの裏側」に引き続き、いまだからこそ言える「実はこうだった」シリーズの第3弾だ。

 永六輔さんも、もうお亡くなりになっているので時効だろう。

 出版社のマガジンハウスさんが、1998年に永六輔さんの書籍『結界』を出版されている。

 で、そのとき私は件の元ポパイ編集長さんから依頼を受け、黒子としてこの本の「構成」を手掛けた。

 同書は、永さんがラジオ番組で女性パートナーと2人でトークした内容をまとめたものだ。

 こう書くと素人さんは「なーんだ。トークをそのまま文章にしただけか」と思うかもしれない。

 いやいや、そんなのはあり得ない。

 そもそもラジオのトークなんて、そのまんま喋った通りじゃ書籍化なんてできないのだ。

 だから当たり前の話だが、もちろん放送の内容がその通り本になってるわけじゃない。

 この本を実際に書いた私の元には、永さんがラジオで喋った内容がテープ化されて山と持ち込まれた。

 で、それを元に実は私が「本にできる形」にかなり加工し、「それなり」に仕上げて綴って行ったわけだ。

永さん「おや、私はラジオでこんなこと言ったかな?」

 そしてこのことは自殺者を出した「セクシー田中さん」問題とも、まるっきり共通している。

 永六輔さんの著書『結界』を構成した私は、立場上でいえば「セクシー田中さん」問題における脚本家に当たる。

 つまり原作者の芦原妃名子さんを死に追いやった側だ。

 確かに私は、永六輔さんのラジオ放送を聞き、元の音源をかなり脚色した。

 そして「書籍として辻褄が合う」よう、きっちり巧妙に章ごとにいちいち面白いオチを付け加えながら文章化した。

 もちろんそんなことは元の音源で永さんは喋っちゃいない。

 だがそんな一種の越権行為を犯さない限り、プロの目で見てラジオ放送を書籍になんてできないのだ。

 で、仕上がった私の原稿を読んだ当の永さんは、「おや? 自分はこんなことラジオで言ったかなぁ?」などと不思議に思いながらも許容して下さった。

 脚色が行われたことをわかった上で、だ。腹の太い方である。

本の「あと書き」で私の名前を出しリスペクトしてくれた

 そのとき永さんがお書きになった「あと書き」の該当部分を、そっくりそのまま以下に転記しよう。こんなふうだった。

『エーッ、こんなこと言ったっけ、という言葉もあるが、電波にのった僕の声であることに間違いはないのだ』

 つまり私が独自の判断でやらかした(気の利いた脚色を)いったん飲み込んだ上で、「これは私の言葉だ」と言い換えて下さったわけだ。

 しかも本のあと書きでわざわざ私のフルネームを明記した上で、「この本はあくまでリスナーとしての松岡美樹さんの耳にとまった言葉を構成したものです」と、ご自身で断り書きを付けている。

 つまり本来なら「名前すら出ない黒子」の存在であるはずの私がやったことを、クレジット入りでプロの仕事としてリスペクトしてくれたわけだ。

 いや実際、この最終原稿が出来上がった時点で、例えば永さんに「俺はラジオでこんなこと絶対に言ってないぞ」なんて言い出されたらもう収拾がつかない。

 だけど繰り返しになるが、そもそもラジオでその場の言いっぱなしになったセリフなんて、そのまま本になんかできないのだ。

 書籍化するにはちゃんとそれなりの落とし前をつけ、書籍の文章として成立するよう要所でオチを付けたり説明を加えたりしなきゃなんない。それがいわゆるプロの仕事である。

「セクシー田中さん」問題とまるで同じ構図だ

 そんなわけで「セクシー田中さん」問題を知ったとき、もちろん私はとても複雑な気持ちになった。

 明らかに私は「セクシー田中さん」の原作者を死に追いやった立場側の人間なのだ。

 だが私のケースでは、永さんの太っ腹な対応とプロ的な仕事への理解がなされ、それなりに処遇された。

 しかも永さんはわざわざ構成者である私の実名を明記した上で、「これはプロの仕事です」とリスペクトしてもらえた。

 実際、本になってみれば関係者一同に大好評だった。

 編集者さんの側にも「この本は面白く仕上がった」と認知されたし、恐らくそれをお読みになった永さんもそう思われたのだろう。

 だから掲載されるはずのなかった私の実名をわざわざあと書きで取り上げるなどという、これまた私がやったのと同じ「逸脱」を犯したのだ。

 いや、それによってひょっとしたら読者の側に「なんだ、この本は永さんの言葉を別人が脚色したものか?」などと思われ、まかり間違えば本の売れ行きに影響しかねないにも関わらず、だ。

 あえて永さんはそんなリスクを冒した。私をプロとしてリスペクトするために。

 こんなふうに「セクシー田中さん」問題って、立場によって各人各様だ。

 もちろん実にさまざまな反応が起こるだろう。

 ただし原作者が亡くなるという悲劇が起こった以上、私はこのケースでは「脚本家の側」に立って論じる気は毛頭ない。

 だが実際、かなり複雑な気分でいることだけは確かである。

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実録・石原慎太郎氏インタビューの裏側

2024-03-24 12:31:21 | エッセイ
著書『弟』を出版直後、お会いすることに

 先日書いた「村上“ポンタ”秀一さん・インタビュー」と同様、「もう時効だから書いてもいいかな?」シリーズの第2弾へ行こう。

 石原慎太郎さんはもうお亡くなりになられたし、時効だろう。

 当時、私はマガジンハウスの雑誌『ポパイ』で連載をもっていた。で、その連載で石原慎太郎さんにインタビューしよう、って話になった。

 石原さんはちょうど1996年に、弟・石原裕次郎さんとのことを綴った書籍『弟』を出版直後だった。

 つまりその単行本の紹介に絡め、ポパイを読む若い世代に向けて石原さんから生き方についてのメッセージをもらおう、みたいな趣旨だった。

ちょうど時代の転換期だった

 実はこれ全て、ポパイの件の編集長氏が仕組んだ巧妙なシナリオだ。

(いや実は『弟』の編集を担当されていた幻冬舎の見城徹氏も企画段階から一枚噛んでいたかもしれないが)

 ちょうどあのころは時代の転換期で、日本では保守的な思想が再注目され始めた時期だった。

 そしてその後、橋本徹氏あたりがメキメキ台頭し「新保守主義」とか「新自由主義」が日本で大ブレイクして行くことになる。

 当時の石原慎太郎さんは、そんな新しい時代の幕を切って落とした保守リーダーの1人だった。

 ポパイの当時の編集長氏は非常に目端の利く人で、そんな時代の変化を敏感に感じ取り「よし石原慎太郎さんで行こう」って話になったわけだ。

 当の石原氏はといえば、1995年に突然、衆議院議員を辞職し雄伏されていた時代だ。

 その後は橋本徹氏と並び立ち、一時代をリードすることになって行く。ちょうどそんな岐路に当たる時期だった。

見城氏「ひとつ前の取材は酷かった」

 まずは私と連載の担当編集者さん、そして編集長氏の3人がロケバスに乗り、途中で幻冬舎の見城徹氏も乗り込んできた。

 で、一行は石原さんの元へと直行する。

 見城氏によれば、どうやら当の石原さんにはそのころ著書『弟』に絡めたインタビューが殺到している様子だった。

 ちょうど私が過去、元キングクリムゾンのベーシストであるジョン・ウェットン氏に新譜のインタビューをした時とまったく同じ構造だ。

 インタビューに絡めて自己の作品を広報宣伝するーー。

 これって業界ではよくあるお話なのだ。

 で、ロケバスのなかで見城氏は、先日、石原さんにインタビューしたある女性記者のさんざんなエピソードを話し始めた。

「いやぁ、あのときは大変だったんだよ。そのインタビュアーは著書の『弟』をぜんぜん読んでなくてね」

「それでもう石原さんが怒って取材にならなかった。くれぐれもそんなことにはならないよう、お願いしますよ」

 そんなことをおっしゃっていた。

 私は心の中で、苦笑いしながらそれを聞いていた。

私の緻密な取材に一同あっけにとられ……

 さて一行は石原さんの元へ着き、インタビューが始まった。

 私はやおら石原さんの前にドッカと座り、バッグの中からすっかり萎れた石原さんの著書『弟』を取り出した。

 そして石原さん(と私の)目の前にある机の上にバンと置いた。つまり一発、カマシを入れたわけだ。

 私が取り出したその本は、いったいなぜそんなに萎れていたのか?

 もちろん私が事前にさんざん何度も読み込んだからだ。

 取り出した本にはあちこちにビッシリ付箋が貼られ、表紙は完全に「しなしな」だった。

 で、私はメモさえまるで見ず、本に書いてある通りの下りをソラで暗唱しながらインタビューを切り出して行った。

 そして「あそこのあの箇所に込められた石原さんの思いと訴えとは何か?」を丁寧に聞き込んで行った。

 すると当の石原さんも、本の編集を担当された見城氏も「まるで鳩が豆鉄砲を食らった」ような状態になった。

 もう石原さんなんか、すっかりアッケに取られて私への応接がしどろもどろになる始末だ。

 あの豪胆な石原さんが、ですよ?

 一方、私のほうは余裕たっぷりで(実は心の中であまりの痛快さに笑いながら)、次々に本の下りを諳んじながら話を切り出して行く。

 場の雰囲気はすっかり豹変し、いまや「おや? こいつは、どうやらほかの奴とはぜんぜん違うようだぞ」という雰囲気になった。

(ちなみにこれもジョン・ウェットン氏にインタビューした時の、ジョンの反応と笑っちゃうくらい同じだった)

 さて実際にお会いしてみると、石原さんは実に豪快でフランクな方だった。

 私の丁寧で細かい取材対応にすっかり圧倒されながらも、さすがに一定の威厳は保たれていた。

 まあ政治家なんだから当然だが。

見城氏が私に直立不動の姿勢になり……

 そんなこんなで取材が終わった瞬間だった。

 なんとあの見城氏が突然、スッと立ち上がり、私のほうへきちんと向き直って「直立不動」の姿勢になった。

 見ると指先が、カラダの両サイドでキッチリ伸び切っている。

 つまり小学生が学校でよくやる「気をつけ」の姿勢である。

 そして「あの本を隅々までよくお読み下さり、本当にありがとうございましたッ!」と一気に言い切り、深々と私にこうべを垂れたのだ。

 私のほうはさすがに驚き、だが心の中では「そんなのマトモな取材者なら当り前ですよ」と思いながらニコニコ笑って応接した。

 ポパイの編集長氏もすっかりポパイの株が上がり、まんざらでもない様子だ。

 あとは一同、なんだかしばらくその場を立ち去りがたい雰囲気になった。かくて、まるで和やかな懇談会の様相に突入して行った。

石原氏「松岡君はサッカーやってたんだ?」

 当の石原氏もすっかり私に心を許した感じで、「松岡君!」と言いながら突然、呼びかけて来た。

 いきなりだったので今度は私が直立不動になる番だ。

 すると石原さんは「(いったい誰に聞いたのか知らないが)松岡君はサッカーをやっていたらしいね?」とおっしゃる。

「はい」と答えると、石原さんは「俺もサッカーやってたんだよ。当時、インナーってポジションだったんだ」

 インナーなるポジションはもちろん現代サッカーではすでに存在しないが、私も本では読んで知っていた。

 で、「ああ、FWの隣の攻撃的なポジションでしたね。花形ですよね」などとヨイショした。

 すると石原さんは笑いながら、我が意を得たりな様子である。

石原氏は私に「自己開示」して来た

 実はこのときの石原さんのひとことは、心理学用語でいえば「自己開示」に当たる。

 つまり相手に心を許した人間(例えば心理療法士を信頼し切った患者など)が、自分の心の奥深くに潜む、自分だけしか知らない自分のことを「開示する」現象だ。

 ひとことでいえば「打ち明け話」である。

 この「自己開示」というのは1970年代に心理学者で精神医学者のシドニー・M・ジュラード氏によって提唱された概念だ。

 人間と人間が相互理解を深め、信頼のおける人間関係を築く上で自己開示は欠かせない要素とされている。

 そんなわけで一同、すっかりリラックスし、至福の時が過ぎて行った。

 おかげでその後、私はすっかりポパイの編集長氏に認められ、その後、編集長氏が単行本の編集部へ配属になったあとも末長くお付き合いが続いた。

 で、その後、この編集長氏から構成を依頼された永六輔さんの単行本でも、おもしろいマル秘ネタがあるのだが……それはまた後日に譲ろう。

 では本日はこんなところで。

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「口から呼吸ぅ〜♪ 鼻から吸わないぃ〜♪ がんばってぇー♪ がんばってぇー♪」

2024-02-29 18:57:17 | エッセイ

    *チクナイン・鼻うがい「使い方」篇

慢性上咽頭炎になり「鼻うがい」を始めた

 あれは去年の6月だった。異常に激しい喉(のど)の痛みと鼻詰まり、鼻水の症状が一度に来た。もう半年以上、ずっと続いている。いまも治っていない。

 いや副鼻腔炎っぽい症状なら、はるか子供の頃からあるのだ。で、長く通っている行きつけの内科で歴代、ディレグラ、ザイザル、ジルテックなど、強いヤツから弱いのまであらゆる種類の鼻のクスリが出た。だがまるで改善しない。

 鼻の症状を訴えて近所の耳鼻科にも行ったが、いままで出たそれらの薬の長大なリストを見せると「こりゃウチで出すクスリなんてもうありません。あるもの全てすでに処方されています」と認定された。

 いや確かに自力で調べた限りでも、すでに市場に存在するあらゆる鼻の薬が処方されているのだ。なら無理もない。だから鼻のほうはもう放置していたのだが、今回新たに始まった強い喉の痛みには耐えかねた。

「市販薬で治るだろう」は甘かった

 それでも初めは油断して「市販薬で治るだろう」とタカをくくっていた。だが症状はまったく消えない。あまりの激しい喉の痛みに1週間でネを上げ、ネットで調べてよさそうな耳鼻科へ行った。

 するとロキソニンとアレロックOD錠、喉の痛みにはセフジトレンピボキシル錠が出たが、まるでダメ。医者はロクに話も聞いてくれず、ただ機械的にテキトーなクスリを処方している印象が拭えない。

 なんだかドクターショッピングの典型だが……とにかく強い喉の痛みが辛すぎて、同じ医者には1週間しか治療の猶予を与える気がしない。どうしても我慢できないのだ。

 で、今度は歴史のある耳鼻科へ行った。ここは期待の「Bスポット療法」をしてくれる。最近ではEAT(上咽頭擦過療法)とも呼ばれる治療法だ。これは上咽頭の消炎に効果がある。私は「慢性上咽頭炎」と診断された。


*上咽頭とは?「みやけ耳鼻咽喉科アレルギー科」HPより画像を引用

 この慢性上咽頭炎の症状は実に多彩だ。喉の痛みや違和感、睡眠障害のほか、後鼻漏(鼻水が喉の奥に流れ込む)ことから来る諸症状(鼻と喉の間に粘り気が張り付く、鼻水が喉に下りる、痰がからむ、咳払いが多い)が起こる。

 特に私の場合は首と肩の激しいコリもつらい。これも典型的な慢性上咽頭炎の症状なのだ。

 また自律神経のバランスが崩れ、原因不明の頭痛やめまい、倦怠感、胃の不快感も起こり得る。なかにはウツやパニック障害、過敏性腸症候群など、メンタルな症状が出る人もいるらしい。まさに現代病だ。

Bスポット療法とは何か?

 一方、この炎症に効果があるBスポット療法とは、カンタンにいえば上咽頭(「のどちんこ」の上の後ろの部分)に、塩化亜鉛という薬を塗る治療法だ。


*Bスポット療法とは?「みやけ耳鼻咽喉科アレルギー科」HPより画像を引用

 厳密には内視鏡(ファイバーカメラ)で奥を見ながら、鼻や口から綿棒でノドの奥の部分に擦りつける。喉の痛みがある場合、この上咽頭に炎症が起きているケースが多いのだ。

 だがこの耳鼻科の先生は「喉からのみ」しか施術してくれない。しかもファイバーカメラはなし。かつ典型的な3分診療で、ロクに身のあるコミュニケーションが取れない。

 しかもクスリは滋陰降火湯や葛根湯エキスなど、漢方薬のみ。漢方医なのだ。まあ慢性上咽頭炎はメンタルにも影響しかねないので漢方も一案なのだが、なんせこの人は施術が雑だ。

 おまけにノドの痛みに効くトローチも、「オラドールSトローチ」などという、変なピンク色のすぐ溶けてなくなってしまう役立たずなヤツしか出ない。

 で、「あのぅ、SPトローチ(ふつう「トローチ」といえばこれだ)を出していただけませんか?」とやんわりお願いすると、一刀両断で「ウチはこれしか出せないんだ」と来た。

 え? いちばんポピュラーなSPトローチが処方できない? そんな話はまったく聞いたことがない。当該製薬メーカーと何か癒着でもしているのだろうか?

 それでもガマンしてこの耳鼻科には2ヶ月間、毎週通った。だが医者の粗雑な診療姿勢がどうしても容認し難い。で、去年の年末を限りに、もう見切った。

最後にとうとう「当たり」を引いた

 もう今度は絶対に失敗できない。ネットであれこれ調べ込み、同じく例のBスポット療法をしてくれる耳鼻科を探した。すると今度はやっと当たりを引いた。

 その女医さんは非常にコミュニケーション能力が高く、的確に私の症状を分析して下さる。私とツーカーでお話が通じる。しかも今度はしっかり内視鏡(ファイバーカメラ)診察つきだ。つまり施術がBスポット療法の正式な形なのだ。

 私は仕事柄、いままで無数の有名医に取材してきたが、こんな優秀な先生は今まで一度も見たことがない。さすがに頑固な私も、この先生のアドバイスだけは聞く気になった。

 それはどういう意味か?

 もう鼻のほうはカンタンに治らないと自覚している。ただし喉の激しい痛みだけは耐えられない。で、ハラをくくって伝家の宝刀を抜いたのだ。先生に勧められた「鼻うがい」をやろう。そう決断した。(やり方は冒頭の動画をご参考まで)

 実はいろんな医者にずっと鼻うがいを勧められてきた。だが、どうしてもイヤで仕方なかった。しかし事ここに至っては如何ともしがたい。もうマナ板の鯉だ。

「鼻うがい」とともに幸せがやってきた


*「老木医院」HPより画像を引用

 薬局で市販のものもあるが、私は信頼できる当の先生経由で然るべき処方薬局から容器を買った。

 やり方はまず塩化ナトリウムをぬるま湯で溶かし、病院で買った専用の容器に入れて冒頭の動画にある通りの鼻洗浄を毎日、始めた。まず片方の鼻の穴から液を入れ、逆の鼻の穴から出す。これを左右の鼻に対して行う。

 もちろん初めは強い違和感があった。だがそれもすぐ解消し、鼻のスッキリ感だけが残るようになった。習うより慣れろ、だ。

 鼻うがいする動画だけ見ると「こんなの絶対できないぞ」と思ってしまうが……実際にやってみると案外、平気なものですぐ慣れた。

 しかもうちのカミさんがわざわざ毎日ぬるま湯を作り、専用器に入れて渡してくれる。そして彼女は私が洗面台で鼻うがいをするたびに、洗面台の脇に立つ。こうして毎日、私の隣に寄り添い、鼻うがいが終わるまでこんなふうに歌ってくれる。

「口から呼吸ぅ〜♪ 鼻から吸わないぃ〜♪ がんばってぇー♪ がんばってぇー♪」

「口から呼吸ぅ〜♪ 鼻から吸わないぃ〜♪ がんばってぇー♪ がんばってぇー♪」

 やさしく子供をあやすように、メロディーをつけて何度も囁き私を勇気づけてくれる。その声色はなんとも心地よく、聞くたびに幸せな気分になる。

 私は過去に取材で何人ものミュージシャンと出会い、彼らの流麗でハイレベルな歌や演奏を聴いてきた。だがこんな純朴ですばらしい専属歌手にめぐり逢ったのは初めてだ。

 この歌声が聴けるなら、かえって自分はもう一生治らず鼻うがいがずっと続いてほしいーー。そんな想いさえ湧いてくる。ああ、「小さな幸せ」ってこれなんだなぁ。

 自分はこの人と一生しっかり添い遂げたい。

 そう強く感じる。

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楽天カードにねじ込んだ

2024-01-11 13:41:01 | エッセイ
悪事が行われた経緯を被害者に告知せよ

 私の楽天カードが悪用されたことは前回の記事で書いた。

 で、私のカードの番号と、それと対になった私の名前などの諸々の個人情報が悪用され、今回の悪事が行われたわけ(はず)である。

 ならば被害者である私としては、「いったいどこのどの店舗で、誰が、どんな手口で悪事を行ったか?」がいちばん知りたい情報だ。

 ところが前回、電話に出た楽天カードの担当者は、一切、そんな告知をしない。単に「これから何をやるべきか?」しか言わない。

 古いカードは悪事に遭い、即時すでに停止されている。なので新しいカードが届くまで、私には何もできない。ただし新しいカードが届いたら届いたで、私にはやるべきことが山のようにある。

 つまりアマゾンだの、auだの、その他もろもろ毎月、私の口座から料金を引き落としている全ての各事業者に対し、「カードが新しくなった。ついては新しいカード番号は〇〇です」てな告知をせよ、と楽天カードはいう。

 彼らが言うことは、それ一辺倒だ。

 いや、それはもちろんやるが(こんな目に遭わなきゃやる必要もないのだが)、私がいちばん知りたいことはそんな当たり前の話じゃない。

 問題は、被害にあった私の楽天カードは「いったいどこのどの店舗で、どこの誰が、どのような手口で悪事を行ったのか?」だ。

 被害者である私は、それを知る権利があると思うのだがどうだろうか?

楽天カード側は「知りえる立場にない」の繰り返し

 私は楽天カードにとっては顧客だ。そしてその顧客である私がそれら悪事の経緯を知ることができれば、そもそも今後にも生かせるじゃないか?(というか「私が何かセキュリティ上のミスを犯した」などという可能性はあり得ないのだが)

 しかし楽天カード側の言い分では、「それはあくまで支払い代行をする某『第三者企業』がそれら悪事の経緯や手口を調べて必要な対処をするのであり、楽天カードとしてはそれらの現場情報をもっておりません」という。

 いやいや、私はカード被害にあった被害者なのだ。しかも(繰り返しになるが)楽天カードにとって私は顧客である。

 楽天カード側の言い分は、「支払い代行をする(間に入った)『第三者企業』がそれら悪事に関する調査をするため、楽天カードとしてはそれらの情報をもってない」というものだ。それだけをオウムのように繰り返す。

 だがそんな言い訳をするヒマがあったら、速攻で楽天カードがその某『第三者企業』なるものと連絡を取るべきだろう。

 で、「いったいどこのどの店舗で、どこの誰が、どのような手口で松岡美樹のカードに対し悪事を行ったのか?」なる情報を楽天カードが入手し、その上で被害者であり直接の顧客である私にしかるべき告知をすべきだ。

 私が言ってることはおかしいだろうか?

 要はその面倒な作業を、楽天カードが「やる気があるかどうか?」だけの問題なのだ。

楽天カードにはセキュリティ上の致命的な欠陥があるのでは?

 もっとも私が知る権利を行使した上で得たそれら「悪事の手口や内容」等の情報によっちゃあ、「楽天カードにはセキュリティ上の致命的な欠陥がある。もう今後一切、楽天カードは使いません」という結論に達するかもしれない。

 繰り返しになるが、私はその他複数のクレジットカードを何十年も所持し使っているが、こんなことはまったく初めてなのだ。だから「楽天カード側にセキュリティ上の問題がある」てな結論に至る可能性は十分にある。

 だから必要な情報を得たいわけだ。その上で楽天カードがもしダメな会社なら、今後、お付き合いを辞めたい。

 ところが楽天カード側には、そうしたしかるべき情報を独自に入手し、私に提供しようとする意志がまったくない。繰り返しになるが被害にあった顧客である私に対し、それらの手口を含めた被害情報を告知する気もないし、その努力もしない。

 いったいクレジットカード業界というのは「これが常識」なのだろうか?

 それとも「楽天カードだけ」がこういう非常識な認識を振り回しているのか?

 おそらく後者じゃないかと思うが、もしそうなら今後のこと(楽天カードとの取り引き)を続けるかどうか、考える必要があると感じた。

「楽天カードでこんな被害にあった」てなコンテンツをよく見かけるが……

 いやネット上を見ると、「私は楽天カードでこんな被害にあった」的なYouTubeをたくさん見かけるのだ。それらの落ち度が、もし被害者側にあるのならまあ問題ない。

 だがそれらの落ち度がもし楽天カード側にあるのだとすれば、今後のことは考えざるを得ないだろう。

 いや、だがその判断をする唯一の手掛かり、すなわち今回の事案に関する「悪の手口」にかかわる情報を楽天カード側から入手できない以上、私にはどうすることもできないのだが。

 楽天の三木谷浩史社長は、楽天モバイルで意地を張りドツボにハマって楽天グループを危機に陥れているが……楽天カードのこの態勢を見ると、さもありなん、だ。

 ならば楽天グループは、潰れるべくして潰れて行くとしか言えないだろう。

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私の楽天カードが悪用された

2024-01-10 20:29:23 | エッセイ
合計10万円ほどの身に覚えのない請求が発生した

 楽天カードから突然メールが来て、なんと私のカード名義で合計10万円くらいの支払いが発生したという。誰か悪意の第三者がやったことだ。

 私は複数のクレジットカードを長年もっているが、こんなことは初めてなのでもうビックリ。あわてて指定の楽天カードに電話した。

 すると「あなた名義で本日、合計10万円ほどの購入支払いがありました。これに心当たりはありませんか?」という。

 もちろんそんな心当たりはないので、即座に否定した。

 すると「届いたフィッシングメール上のURLをクリックしたことはないか?」という。当然そんな初歩的なテにひっかかるわけはないので、これも否定した。

 なんでもその楽天カードの担当者によれば、「今回は検知が早かったので未然に防げました」という。

 それにしてもランダム攻撃(?)で私のカード番号とたまたま合致し、悪事が行われたということだろうか? カード番号はまぐれ当たりだったとしても、それと対になった私の名前はいったいどうやって入手したのだろう?

 まさに疑問だらけだが、楽天カードの担当者はそうした個人的な疑問には一切答えてくれない。コトの経緯は一切抜きで、「今後の対応策」ばかりを説明する。

 おかげで私のカードは即日、止められて使えなくなり、破棄せざるをえなくなった。面倒臭いことこの上ない。

 しかもあとから別途メールが来て、楽天IDとパスワードも変えろという。

 まあセキュリティ的には常道なのだろうが、やらなきゃいけないこっちは面倒なだけだ。

 所有する各クレジットカードでは、いままで一度もこんなことはなかったが……楽天カードってセキュリティ的に何か問題があるんじゃないのだろうか?

 そう疑わざるを得ない出来事だった。

 やれやれ。

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下北沢のポスター配りで「あの記憶」が蘇った

2023-12-29 11:46:30 | エッセイ

※劇場「ザ・スズナリ」の飲み屋街「鈴なり横丁」

誰かが近づいて来る足音が聞こえたが……

 前回以前の記事で下北沢についていろいろ書いてるうちに、あれこれ昔の記憶が蘇ってきた。学生時代にやったポスター配りのアルバイトには実にいろんな思い出がある。

 つまり何かしらの宣伝ポスターを飲み屋なんかの店に置いてもらうバイトだ。

 あるとき、下北沢の街はずれにある劇場「ザ・スズナリ」の横の飲み屋街でポスターを配った。確かあの時は演劇の告知ポスターじゃなかったかな?

 で、ある店で若い美人ママが独り居た。そこで彼女に主旨を説明してポスターを渡し、店を出た。そしてしばらく歩いていると……後ろから速足で誰かが近づいて来る足音が聞こえる。

 なんだろう?

 そう思って振り返ると、なんとさっきの美人ママだ。速足で追いついてきたのですっかり上気した顔つきで、彼女は私の耳元に向けてこう囁いた。

「あなた、私の好みよ♪」

 そうひと言だけ言い残し、彼女はさっさと店へ帰って行った。

 真夏の暑い夜だった。

 まだ若かった私は、まるで雷に打たれたようにその場に凍りついた。

 いま思えばまるで小説のワンシーンみたいだが、そんな出来事が実際にあったのだ。人生模様いろいろだったなぁ、あのポスター配りは……。

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ミニチュアダックスのマック君

2023-01-29 09:17:56 | エッセイ
昼寝のじゃまをするヤツは……

 彼女の家でうつ伏せで寝ていると、首筋に何かヌルっと湿ったものが当たった。

「うわっ! なんだ?」

 驚いて飛び起きると、ちっちゃなミニチュアダックスが首をかしげてこっちを見ている。その向こうでは彼女が笑っている。

 ダックスが私の首筋を舐めたのだ。これが私とマックとの出会いだった。彼女の親戚が飼い始めた犬である。

 このマックとの思い出も多い。なんせ彼女がしょっちゅう親戚から借りてきては、私と遊んでいたからだ。すごく賢い犬だった。

駆けっこのルールを理解する犬

 例えばあるとき彼女の親戚の家へ行くと、マックと近所の子供たちが遊んでいた。

 どうやら地面にスタートラインを引き、駆けっこをしているらしい。

 子供たち3人が「よーい」と言って構えると、マックもスタートラインを前に構えている。で、「ドン」で子供たちと一緒にマックも駆け出す。

 ゴールラインに到達すると、マックはしっぽを振りながらまたスタートラインに戻ってくる。で、また「よーいドン」で子供たちと駆けっこを繰り返すーー。

 つまりマックは駆けっこのルールを完全に理解し、子供たちと遊んでいるのだ。

駆けっこは私の勝ち

 ミニチュアダックスは足が短い。

「こいつになら勝てるかも?」と思い、公園のトラックをいっしょにぐるりと走ったこともある。

「マック、来い!」と叫んで私が駆けだすと、意図を察してマックもついてくる。で、トラックを回ったが、結果は私の勝ちだった。案の定だ。

 公園では、マックをつないだリードを使った遊びもした。

 距離を取り、私がリードの端を握って、「マック、行くぞ!」と身を低くすると、マックも構えて号令を待つ。

「それ!」と私が叫んでリードを引っ張ると、マックが首に繋がったリードの端をくわえて引く。

 それに負けじと私はリードを跳ねさせながら引く。

 要はリードを使った綱引きだ。

 私がリードを握って身を低くすると、マックも身構えて身を低くする。そして引っ張り合う。1人と一匹は、飽きもせずしばらく綱引きで遊んだ。

 またマックと遊びたいなぁ。

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駅でゴールデンレトリバーを拾った話

2023-01-19 08:14:12 | エッセイ
忠犬ハチ公みたいなやつ

 あるとき近所の駅を通りかかったら、駅の改札に向かってお座りしている巨大なゴールデンレドリバーと出会った。そいつは飼い主を出迎えに来て待ってでもいるのか、微動だにしない。

 だがおかしなことに、彼は首輪をしていないのだ。

「どうしたんだろう?」

 私は思わず彼に走り寄り、向かい合わせにしゃがんで首を抱いた。人には完全に慣れているようだ。

 主人の帰りを待っているにしては、首輪をしてないのはおかしい。放置しておくと、保健所に連れて行かれてしまうーー。このまま立ち去るわけにもいかなくなり、しばらく彼に寄り添っていた。

 だがこれでは埒が明かない。私は意を決して彼を家に連れて帰ることにした。迷い犬かもしれない。首に抱きつき、「何をしているの? 僕と一緒に行こうよ」と声をかけると、まるで人間の言葉がわかるかのように私についてきた。

 その角を曲がれ、というとその通り道を曲がる。完全に人間の言葉を介しているとしか思えない。首輪もリードもないのに命令するとついてくるのだ。

 私は当時、駅の近くのマンションの4階に住んでいた。マンションに着き、「階段をあがれ」というと、なんと彼はすぐ階段を上がって行った。

「とりあえずベランダにいてもらおう」

 マンションの4階で巨大なゴールデンレトリバーなど飼えるはずがないのに、とっさにそう思いベランダに誘導してドアを閉めた。

ひとまず検査を受けさせる

 とりあえずこれで幽閉した。何日も外をほっつき歩いてハラが減ってないだろうか?

 まず首輪とリード、それにエサを買ってくることにした。買い物が終わり、ベランダに通じるドアをあけると、彼はちゃんとお座りして静かに待っていた。

 鍋にエサを入れて出すと、ガブガブと食うわ食うわ。あっという間に平らげてしまった。やっぱりハラが減っていたのか? 買ってきた赤い首輪を装着し、彼と目を合わせた。赤い首輪がよく似合っている。かわいい。

「これから何すればいいのか?」

 そうだ。なにか病気にかかっているといけない。近くの獣医さんに連れて行き、まず検査してもらおうーー。

 リードを引いて外へ出ると、近所のおじさんとすれ違った。

「あれ松岡さん、犬なんて飼ってたの?」

「いや、駅で拾ったんです」

 そんな間抜けな会話をしながら獣医さんに着いた。入り口を入り、出てきた女性に事情を話し、ひとまず検査を受けさせたいんだ、と言った。

 するとその人は、「あれ? これ、3丁目の○○ちゃんじゃないかな?」と言う。

 もしや、その人が飼い主か? だがすでにすっかり飼う気でいた私は非常に複雑な心境になった。だが仕方ない。

飼い主さん登場

 女性が飼い主さんらしき人に連絡するというので待った。女性に事情を聴くと、その家は庭付きの大きな家で、庭でゴールデンレトリバーを3匹、放し飼いにしていると言う。

 で、よく柵を飛び越えて脱走しては、そのへんを徘徊しているらしい。

 しばらくすると飼い主さんらしき人が来た。やっぱり〇〇ちゃんだったのだ。

「すみません。ありがとうございます」

 どうやら常習犯らしいので、私はあえて厳しい態度を取ることにした。

「せめて首輪をさせてください。首輪なしで犬がほっつき歩いていると保健所に連れて行かれますよ」

 私は以前、犬を収容している保健所の取材をしたことがあった。それはもう悲惨だった。

 犬たちは捕獲日ごとにガラス張りのケージに入れられ、処刑の日が来るのを待っていた。1日が過ぎると犬は隣のケージに移され、また処刑の日が1日近くなる。そういうシステムだ。

 捕獲からの経過日ごとにケージはいくつも並んでおり、犬たちは1日たつごとに隣のケージに移される。移された彼らはうすうす自分の運命を知っており、処刑が近い犬は泣き叫び、ガラスにべったり唾液を吐いたりしている。

 処刑が近い犬は明らかにメンタルをやられており、毛並みが激しくけば立っている。それはもう、とても正視に絶えない有り様だった。

飼い主さんを説得する

 飼い主に保健所の話をし、もし散歩に連れて行けないなら私がしましょうか? と申し出た。

「いいえ、大丈夫です」と飼い主は言う。

 いや、大丈夫なワケがないのだ。現にゴールデンレトリバーは何度も柵を飛び越えて脱走している。首輪なしで脱走=保健所に捕獲、という構図がわからないのだろうか?

 私は何度も噛んで含めるようにその仕組みを説明し、お願いですから庭に放し飼いするならせめて首輪をつけるか、リードでつないでおいてください、と懇願した。

 印象としてはなんだか無責任な人で、どうも実感しているとは思えない。だが念のためにと何度も保健所の仕組みを言い含め、動物病院をあとにした。

 まあどうせマンションの我が家じゃ、とうてい飼えなかったわけだから仕方ないや。

 かくて私の「へっぽこ1日飼い主」の巻は終わった。

 やれやれ。

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新・チワワのクーちゃん

2023-01-01 08:18:12 | エッセイ
バーニーズに吠えかかる

 新年あけましておめでとうの記事は、チワワのクーちゃんの思い出を書こう。

 いつものようにクーちゃんが飼われている靴屋さんの店先に行くと、クーちゃんは相変わらず店先のショーウインドウの上にちょこんと座り、神社の狛犬みたいな状態で町の通りを眺めていた。

「クーちゃん」と声をかけると激しくしっぽを振る。さっそく靴屋のおじさんにお散歩道具を借り、いっしょに町の通りに出た。

 すると通りの向こうから、巨大なバーニーズ・マウンテン・ドッグがやってきた。ふだんクーちゃんはめったに吠えないのだが、この時とばかりは激しく吠えかかる。

 おいおい、こいつは自分のカラダの大きさを知らないのか? 相手は何倍の大きさだと思ってるんだよーー。

 このときに限らず、クーちゃんは自分より大きい犬を見ると激しく戦いを挑む習性があるようなのだ。まったく何を考えているのやら。

主人の帰りを静かに待つ

 しばらく歩き、疲れたので犬同伴OKのオープンカフェに入った。

 するとまた間の悪いことにトイレへ行きたくなった。クーちゃんのリードをどこかに縛っておこうとさがしたが、あいにく見つからない。

 しかたがないから言い聞かせることにした。

 クーちゃんの前にしゃがんですわり、地面を指さしながら「ここにいろ」と何度も命令した。ただならぬ雰囲気に、クーちゃんは何事かとジッと私の目を見つめている。

 状況を察した様子だったので、私は店の中のトイレへ一目散だ。

 用を足し戻ってくると、待ちかねたとばかりにクーちゃんが飛びついてきた。

「おお、クーちゃん、えらいね。じっとしてたんだね」

 ほっとした私はクーちゃんにご褒美をあげた。

まだ帰りたくない

 散歩が終わり、靴屋さんが見え始めるとクーちゃんの様子がおかしい。

 靴屋さんの向かいの店へわざと行き、店先のおばさんに愛嬌を振りまいたりしている。ふだんはそんなことするヤツじゃないのだが。

 どうやらまだ帰りたくない様子で、なんと時間を稼いでいるのだ。

 まるで人間の子供みたいな犬である。

 それを見ていた飼い主の靴屋のおじさんがひとこと、「クー!」と叫ぶと、クーちゃんは弾かれたように靴屋の店先に飛び込んだ。
 
 やっぱり飼い主さんの命令が絶対なんだなぁ。

 じゃあクーちゃん、また明日だね。

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続・チワワのクーちゃん

2022-12-30 06:06:55 | エッセイ
クーちゃんを妻に紹介する

 今回もチワワのクーちゃんの話をしよう。彼は近所の靴屋さんの看板犬であり、私とは大の仲良しだった。いつも店先のショーウインドウの上にちょこんと座り、町並みを食い入るように観察していた。

 私の妻も大の犬好きで、クーちゃんの話をすると「ぜひ紹介してくれ」という。で、その日は妻に散歩させてもらうつもりで靴屋さんに行った。

 犬のリード(ひも)を借りて準備完了、クーちゃんに妻を紹介すると「こいつの仲間なんだな」とすぐ理解してくれた。

 妻にリードを預けてクーちゃんを引かせた。すると妻の前を行くクーちゃんはことあるごとに妻のほうをクルリと振り返り、「こいつの仲間はちゃんとついてきているかな?」と確認する。そのしぐさがかわいい。

 なかなか頭のいい犬である。

子供たちに囲まれ団子状態に

 2人と1匹で近くの公園へ行くと、5才くらいの子供たちが数人、遊んでいた。クーちゃんを連れて行くと、たちまち「ワッ」と子供たちに取り囲まれた。

 子供たちはクーちゃんの頭をなでたり、足を握ったりと、引っ張りだこだ。

 てっきりその状況をクーちゃんも楽しんでいるものだと思っていたが、彼は「そろそろ勘弁してもらえないか?」という感じで私のほうをちょくちょく見上げる。

 つまり彼にしてみたら自分を子供たちに触らせ、「サービス」していたわけだ。

 人間の大人みたいな犬だな。そう思い、子供たちに「そろそろ行くよ」と言って帰ってきた。

 さあ靴屋さんの店にもどったら、いつもの「マッサ」タイムだ。

 私はクーちゃんの後ろに回り込み、彼の肩から首にかけてを両手で揉んでやる。すると彼はいかにも「いいわぁー」という感じで目をつぶり、次にマッサージしてほしい部位を自分のほうから私に押し付けてくる。いつものパターンだ。

 こうして今日も私とクーちゃんとの時間は過ぎて行った。

 また明日だね、クーちゃん。

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