まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.人の人生は運命で決まっていると思いますか?

2010-11-15 19:14:11 | 哲学・倫理学ファック
これはとても哲学的 ・ 倫理学的な問いですね。
哲学 ・ 倫理学の歴史においては太古の昔から問われ続けている問題です。
自由論とか決定論と呼ばれています。
学問的レベルにおいては、未だに答えが出されていない問題ですが、
私としてはどうでもいい、と言うと言い過ぎですが、
まあそんなに悩むほどの問題ではないだろうと思っています。

いろいろな答え方が可能なのですが、
今日のところは次のようにお答えしてみることにしましょう。
例えば、私が誰かと出会って付き合い始めたとします。
その人と出会うことは運命によって決められていたのでしょうか?
そうかもしれません。
私が出会える人は相当限られています。
私と同じ時代に生まれていてくれないと出会えませんし、
同じ日本に、あるいは私が人生の中で訪れる場所の近辺にいてくれないと出会えません。
同じ学校や同じ職場に同じ時期にいたならば出会いの可能性は高まります。
自分と相手が同じ時期に同じ場所にいるというのは、
ある必然によって結ばれていたと言えるのかもしれません。

しかし、じゃあそういう人すべてと付き合うことになるかというと、
けっしてそんなことはありません。
その中でも、自分と趣味や考え方が合う人でないと、友人にすらならないでしょう。
同窓生、同期生、同僚であってもまったく付き合いのない人、
話したことすらない人というのはいくらでもいるはずです。
いや、ひょっとすると本当は趣味や考え方が合ったかもしれないのに、
たまたま同じクラスでなかったとか同じ部署ではなかったというだけで、
死ぬまで互いに名前も知らないままの同窓生や同僚がどこかにいたのかもしれません。
そう考えると出会いというのは完全なる偶然とも思えてきます。

そういう必然 or 偶然の出会いの中でも、実際に付き合うとなると、
そこには自分の取捨選択が絡んできます。
誘われたら絶対に付き合うことにしているという人でもないかぎり、
付き合うか付き合わないかについて、いちおうみんな自分なりに選択するのではないでしょうか。
だから、ひょっとすると今日も電車の中や学校の中で運命の出会いをしていたかもしれませんが、
その人と付き合うことを自分で決めない限り (もちろん相手にも選択権はあります)、
付き合い始めることはできないはずなのです。

こうして見てくると、誰かと出会って付き合い始めるということ1つを取ってみても、
すべては決められていたようにも思えますし、
すべてはたまたまにすぎないようにも思えますし、
自分が自由に選び取った結果のようにも思えてきます。
けっきょくのところ、どれが正解かはわかりません。
どれも正解ですし、どういう見方をしたいか次第だと言えるでしょう。
過去の出来事に関してはどの見方も成り立つのです。

では続いて、未来の出来事に関して考えてみましょう。
その、運命か偶然か自由選択かによって付き合い始めた人と、
これからも一生付き合い続けずっと幸せに暮らしていけるのかどうか、
もちろんそれも、運命によって決められているか、
偶然次第でどう転ぶかわからないのか、
あるいはそれは自分 (たち) の選択に委ねられているのか、
のどれかであり、どう考えることも可能でしょう。
しかし、過去の出来事の場合と未来の出来事の場合で決定的に違ってくるのは、
万が一、運命 (あるいは偶然) によってすでに決められているとしても、
今の時点でそれがどう決まっているかを知っている人はいない、
人間はそれを知ることはできない、ということです。
すでに起こってしまったことに関しては、もう結果がわかっているわけですから、
そうなることは決まっていた、と言うことは可能なのですが、
これから先に起こることに関しては、決まっていたとしてもそれは知り得ないのです。
たまに予知能力をもっていると主張する人が未来を予言するなんていうことがありますね。
私はまったくそんなものを信じていませんが、
たとえそういう人がいて何か予言してくれたとしても、私たち普通の人間にとっては、
実際にそれが起きてしまうまでは、本当に起こるかどうかはやはりわからないままなのです。

どう決まっているかがわからないのだとすると、
たとえ決まっていたとしても、そのことは私たちの人生にはまったく関係ありませんね。
私たち人間が死ぬということは決まっています。
だから私たちはそのことを覚悟して予期した上で生きていきます。
しかし、いつどこでどんなふうに死ぬかは、
決まっているかもしれないし決まっていないかもしれないし、
決まっていたとしてもそれを知ることはできませんから、
けっきょくそんなことを気にして生きていてもしようがないということになるのです。
誰と付き合うのか、いつ別れるのか、国家試験や採用試験に一発で受かるのか、
どんな上司と出会うのか、子どもがどんなふうに育つのか…、
それらはひょっとするとすでに決まっているのかもしれませんが、
どう決まっているかはわかりませんので、
それはけっきょく何も決まっていないのとまったく同じことなわけです。
どう決まっているかわからないのだとするならば、
私たちは自分が望む未来が実現してくれるよう、
その可能性を高めるための努力をするでしょう。
看護師になりたいのであればそのための努力をするでしょうし、
今付き合っている人とずっと付き合い続けたいのであれば、
そのための努力をするしかないでしょう。
逆に運命で決まっていたとしても、その努力をしないでよくなるわけではありません。
とすると、けっきょくは同じことなのです。
というわけでお答えは次のようになります。

A.決まっているか決まっていないかはわかりません。
  しかし、特に未来のことに関してはたとえ決まっていたとしても、
  今の時点でどう決まっているかを知ることはできないので、
  「運命で決まっている」 と考えることには生きていく上で何の意味もありません。
  それよりも、まだ何も決まっていなくて白紙なのだと考えたほうが、
  人生、前向きに生きていくことができるのではないでしょうか。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする