まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

職業選択の自由から高度産業化社会へ

2021-05-10 16:12:55 | キャリア形成論
前回、分業の説明をするときに、
狩りの得意な人は狩りだけを行い、
農耕の得意な人は農耕だけを行うようになった、と書きましたが、
現実には分業というのは個人単位の得意不得意で分かれていたわけではありません。
今の世の中では「職業選択の自由」がごく当たり前に認められていますが、
そんな自由は昔から認められていたわけではなく、
このほんの数百年の間に広がってきた本当に新しい文化にすぎないのです。

例えば江戸時代では士農工商が身分制度として確立していて、
農民の子は農民に、商人の子は商人になるように定められていました。
つまり、分業は身分と結びついた固定的な制度だったのです。
それは社会のあり方としてもある種、理に適ったシステムです。
農民の親が農業の知識を自分の子どもに伝えてあげれば、
子どもは最短で良い農民として育ちます。
文化を伝達するのには長い時間が必要なのですから、
生きていくのに必要な文化を親から直接教えてもらえれば、
無駄な時間を使わずにすみますし、
どの職業を選ぼうかなどと無駄に悩む必要もなくなります。
また、血統や素質という考え方からしても、
親の素質を子が受け継いでいるのであれば、
親と同じ職業に就いたほうがよりよく社会に貢献できることになるでしょう。
こうして分業化が進んだのちも、人類は長いあいだ、
身分と結びついた固定的な分業体制の下で生きてきました。

しかし実際のところ、教育の手間の問題は別として、
血統や素質(いわゆる遺伝)という側面は職業適性に関係あるでしょうか。
農家の子どもが植物栽培が好きだったり、得意だったりするとは限りませんし、
国王の子どもに生まれたからといって、政治の才能に恵まれているとは限りません。
兄弟姉妹が複数いれば、ひとりひとり素質や適性は異なっているはずです。
だとしたら、血筋とは関係なく、
個人単位でそれぞれにふさわしい職業に就いたほうが本人のためであり、
ひいては社会全体の生産性の向上に繋がるのではないでしょうか。
身分制社会が既得権益にしがみつく閉鎖的な社会であったことに対する批判もあいまって、
近代市民革命によって身分制からの解放が推し進められることになり、
しだいに職業選択の自由が認められるようになりました。

それは世界的に言ってもほんの数百年前の話ですし、
日本で言えば明治になってからのことですから、
まだ150年の歴史しかありません。
皆さんはどうですか?
生まれながらに職業が決められていた身分制の時代と、
職業選択の自由が認められた現代と、どちらの社会が好きですか?
江戸時代であれば、自分は何の職業に向いているんだろうと悩む必要はなかったし、
就職活動をして就職先を探すなんていう苦労も必要ありませんでした。
しかしその代わりに自分のやりたいことをやるという自由はなかったわけです。
どちらが幸福なのか、なかなか難しい問題です。

さて、職業選択の自由の社会になったことによって、
教育のあり方も変わってきます。
身分制社会であれば、家庭内で親から子へ、
家業に関わる知識や技術を伝達していればよかったわけですが、
子どもが何の職業に就くかわからないとなると、
職業に関する専門的知識を伝授しても意味がありません。
職業選択の自由が認められる社会においては、
何の職業に就いても必要となるような一般的、汎用的な知識や技術を、
すべての子どもに学習させておかなければなりません。
そうすると各家庭で親が子どもに伝えるのではなく、
子どもたちを一堂に集めて、
教育を得意とする専門家に任せたほうがよくなります。
それを行う場として学校が設置されることになりました。
かくして現在のような教育システムが構築されたのです。

産業革命以後、社会の変化は激しくなっていきます。
工業化が進んで第二次産業が中心となった時代には、
時間通りに規則正しく工場生産に従事できる人材が求められました。
そのためには基本的な「読み書きそろばん」の能力を身に付けて、
指示やマニュアルどおりの工程をこなせなければなりません。
学校の授業が時間割にしたがって進められていくのもその頃の名残です。
しかし、機械化やオートメーション化が進んでいくと、
単純な工場労働は減っていきます。
新しい製品を開発したり、販路を開拓したりといった、
創造的な仕事が求められるようになります。
そうした仕事に対応する能力は義務教育だけでは身に付きませんので、
先進国では多くの若者が高等教育を受けるのが普通になっていきます。

産業の中心は重工業からさらに第三次産業へとシフトしていきます。
そうなると社会の変化はますます速くなっていきます。
船や車など形ある物はどんなに進歩したとしても限りがありますが、
無形のサービスは無限に変わり続けることができるからです。
そして、計算機がパソコンに進化を遂げ、
電話機が携帯電話へ、そしてスマートフォンへと進化を遂げたとき、
人類はまったく新しい段階に突入しました。
高度産業化社会とか、知識基盤社会とか、情報化社会と呼ばれる社会です。
これからの社会の変化は、これまでとはケタ違いになっていくでしょう。
職業選択の自由はあいかわらずあるわけですが、
子どもの頃に憧れた職業が、
大人になったときにも存続しているかどうかわかりません。
逆に、聞いたこともないようなまったく新しい職業が現れて、
それが人気の職種になっているかもしれません。

そのような時代において求められるのは、
高等教育において得られる専門的知識だけではありません。
専門的知識もどんどん更新されていってしまうからです。
それよりも重要なのは変化に対応できる力です。
それは言い換えると「解のない問いを考え抜く力」と言っていいでしょう。
これからの時代において、どんな商品を開発すれば、
どんなサービスを提供すればうまくいくのか、
誰にも正解はわかりません。
正解がないからといって考えなくていいかというとそんなことはなく、
何とか自分なりに正解に近づいていかなくてはならないのです。

どの職業に就いたらいいのか、そのために何を学んでおいたらいいのか。
これにも正解はありません。
正解はありませんが、考えなくてはなりません。
親や先生や先輩の言ったとおりにしていれば何とかなる、
という時代はとっくの昔に終わりを告げました。
自分なりに情報を集めたうえで、自分なりに考え抜いて、
これからのキャリアを築いていってください。

分業から貨幣経済へ

2021-05-10 16:09:42 | キャリア形成論
農耕のおかげで食料を大量に生産し、保存・貯蓄できるようになった人類は、
みんながみんな日々の食料の確保に汲々とする必要がなくなります。
こうして分業と物々交換が始まります。
狩りが得意な人は狩りだけを行い、農耕が得意な人は農耕だけ行い、
大量に獲れた獲物や穀物の余剰分を物々交換することによって、
双方が豊かな食生活を送れます。
さらには狩りや農耕などの食料確保(いわゆる第一次産業)には関わらず、
弓矢や鍬や土器といった道具だけを生産して、
それを食料と交換して生きていく第二次産業従事者も現れてきます。

こうなってくると毎回毎回それぞれが獲れた物、作った物を持参してきて、
直接交換するというのが面倒になってきます。
せっかく持っていっても互いに欲しい物がうまくマッチするとは限りませんし。
そこで発明されたのが「おカネ」という文化です。
それぞれが生産した物そのものではなく、
その代わりの何か(石やら貝殻やら金属など)を交換の基準とし、
それとの引き替えによって交換を成立させるという画期的なシステム、
いわゆる「貨幣経済」というものが生み出されたのです。
(貨幣の起源については諸説ありますので詳しくはこちらこちらを参照。
 最近では物々交換社会もなかったという説が主流のようで、こちらこちら参照。)

それに伴い、食料生産(第一次産業)でもなく、道具の生産(第二次産業)でもない、
新しいタイプの仕事、第三次産業が生まれてきます。
その代表が、貨幣を介した交換を仲介する商業です。
実際に物を生産することなく、物を仲介するマージンで生計を立てる商業は、
多くの国で低い地位を与えられていました。
日本でも士農工商と四身分のうち最下位に置かれていました。
しかし、最高位にある「士(=侍)」も、本来の仕事は防衛であり、
江戸時代にあっては主たる役目は政治だったわけですが、
いずれも物の生産に携わるわけではない第三次産業です。
つまり、第三次産業というのは何らかのサービスを提供することによって生計を立てる仕事であり、
それが成り立つためには貨幣経済が成立していることが前提となります。

皆さんは「働く」というとおカネを稼ぐことと思っているのではないでしょうか。
しかし、アウストラロピテクス以来400万年の人類(ヒト属)の歴史のなかで、
人間がおカネを使うようになったのは、ほんの数千年前からのことにすぎません。
本来「働く」というのは、エサを捕る、食料を生産するということでした。
農耕という文化によって食料が安定的に供給できるようになり、
貨幣経済という文化によって、
お店におカネを持っていけばいつでも食料その他を手に入れられる、
という仕組みが作られたがゆえに、
皆さんは野山を駆けまわって狩りをしなくてすんでいるのです。
農耕も凄かったですが、おカネなんていうものを発明した人も凄いですよね。
今私が研究や教育という仕事に専念していられるのも、
ひとえにおカネを発明してくれた人のおかげです。
日々感謝しながら生きていきたいと思います。

狩りから農耕へ

2021-05-08 13:18:46 | キャリア形成論
図の一番左側の列を説明していきます。
森から出たサルははじめのうち狩りをすることによって食物を得ていたわけですが、
狩りというのは大変です。
常に狩りが成功するとは限りませんし、
それ以前に、いつも獲物が見つかるとは限りません。
獲物に出会えなかったり、狩りに失敗したりすると、
その間ずっと飢えていなくてはならないのです。
食料を確保できないかもしれないというのは、
生物にとって常に存亡の危機にさらされているということです。

この問題を根本的に解消したのが、
「農耕・牧畜」という新しい文化でした。
狩りとの類比でわかりやすいので牧畜を例にとって説明すると、
狩りというのは捕まえた獲物を全部食べてしまう文化です。
これを続けていると食料の安定供給はできません。
そこで狩りをして大量に獲物を捕らえたときに、
獲物を全部食べてしまわずに、オスとメスを残しておいて、
このつがいが逃げてしまわないように、
柵か何かの中で飼育し、自分たちの管理下で子どもを産ませます。
その子どもが大きく育ったら食べるのですが、
その時もまた全部食べてしまわずに、オスとメスを残しておくのです。
これを無限に繰り返すのが牧畜であり、
これによって人類は日々の食料確保の問題から解放されるのです。

同じことを動物ではなく植物で行うのが農耕になります。
採れた植物をすべて食べてしまうのが採集生活ですが、
全部食べてしまわずに種を少し残しておいて、
自分たちの管理下で栽培して収穫し、
そしてまた植えるということを繰り返すのです。
牧畜も画期的な文化でしたが、
農耕のほうはさらに飛躍的な発展を人類にもたらしました。
穀物は食べる時に加熱する必要がありますが、
加熱しなければかなり長い期間保存しておくことができるからです。
人間は農耕によって、今日や明日の分だけでなく、
何年も先までの食料を収穫し蓄えておくことができるようになりました。
もはや目先の食料の確保に日々追われる必要はなくなったのです。
これにより人類は食料確保以外のことに時間を割けるようになり、
人間の文化は一気に花開いていくことになります。

文化のことを英語で culture と言いますが、
culture は「耕す」という言葉、つまり「農耕」という言葉に由来します。
農耕は人類が生み出した文化のひとつですが、
人類の歴史を大きく変えた最も偉大な文化であり、
文化の中の文化、「The 文化」と言っても過言ではなく、
したがって農耕を意味する culture が、文化全般を意味する言葉にもなったのです。

農耕というのがどれほど凄い文化であったか理解いただけたでしょうか。
今後のブログ記事で説明いたしますが、皆さんが職業選択の自由で悩めるのも、
元はと言えば、人類が農耕という文化を生み出したおかげなのです。
もしもそれがなかったら、皆さんは今ごろ大学で学ぶどころか、
小中高で学ぶことすらなく、毎日ひたすらその日の食料を確保するために、
狩猟採集に走り回っていたことでしょう。
誰だかわからないけれど農耕という文化を発明してくれた祖先に、
日々感謝しながら大学生活を送ってください。