まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

就職活動に向けて実証的データ

2009-06-30 16:01:32 | お仕事のオキテ
4年生の皆さん、
教員採用試験とかを受ける人たちはこれからが本番でしょうが、
就職活動組は一段落した頃だと思います。
未曾有(「みぞうゆう」ではない)の不景気のなかですが、
なんとか内定をもらえたでしょうか?
そして3年生の皆さん、
そんな先輩たちの様子を見ながら、もう就活に本腰を入れていますか?

一昨年の京都で行われた学会で仕入れてきたデータを提供します。
これは学会で実験心理学系の実証科学者によって報告された研究データです。
倫理学者が語る精神論や、マスコミで流布されるような怪しい情報とはちがいます。
とはいえ全部を鵜呑みにするのではなく、
参考にできるところは参考にしながら、
大学生活を送り就活に臨んでほしいと思います。
ランダムに列記していきます。

・大学における学業成績は、所得や昇進、転職状況に確かな影響を与えている。
 学業成績が優秀な学生は、卒業後のキャリア形成を有利に進めている。

・大学時代の課外活動(部活やバイト)の経験や実績などは、
 所得や昇進、転職状況に影響を及ぼしていない。

・早く内定をもらえるか、いつまでたっても内定をもらえないか
 (いわゆる就活勝ち組か負け組か)は、
 就活中の行動量(エントリーシートの提出数、説明会出席数、OB・OG訪問数、
 筆記試験数、面接回数等々)に左右され、
 もちろん行動の多い人の方が勝ち組になっている。

・インターネット上での情報収集(企業HPや就職情報サイト)に熱心であった人が
 勝ち組になっている。

・ただし就職情報サイトだけ利用していて次の活動に踏み出せていない人は
 負け組になっている。
 IT時代はいろいろな情報が誰でも入手できるようになったが、それだけにいっそう、
 OB・OG訪問等によって得た自分しか知らない情報での差別化が重要となっている。

・勝ち組の学生が就活中に意識していたのは、「プレゼンテーション能力を高める」
 「人間的な魅力を高める」「情報収集」「人脈を広げる」などであった。

・同じく勝ち組の学生が大学時代に身につけたと思う能力も、
 「人脈形成力」「自己表現力」「人間関係能力」などであった。

・勝ち組の学生は「友人からどう見られていると思うか」という質問に対して、
 自己評価が高い。

等々。

まあどれも当たり前っちゃ当たり前の気がしますが、
1番目と2番目に関してはどちらかというと逆のことが一般に信じられていましたので、
そうではないということが実証的に証明されたというのはありがたいことです。
これらは主に就活に関わる話ですが、
大学生活の送り方そのものに関係する話ですので、
すべての大学生や大学の先生方、キャリアカウンセラーの皆さんにとっても
有益な情報ではないでしょうか。

「就活勝ち組・負け組」ということばはこの学会のときに初めて耳にしました。
その後あまり流布していないみたいですが、
ひとりで内定を何社ももらってしまう子がいる一方で、
どれだけがんばっても一社も決まらない子がいる状況を言い得てはいるなと思いました。
とはいえ、勝ち組・負け組というのは
いくら聞いてもあまり気分のいいことばではありません。
勝ち組・負け組に両極化してしまうことなく、
みんながよりよいキャリア形成をしていけることを願っています。
みんな

人はなぜ学び、なぜ働くのか?

2009-06-29 18:00:28 | 教育のエチカ
先日お仕事で只見まで行ってきました。
福島に来て15年目になりますが、只見は初めてです。

只見というのは広い福島県の中でも、ほとんど新潟に近い辺境の地です。
行く前にみんなから「只見は遠いよ、すごい時間かかるよ」と脅されていました。
先方からの詳細なレクチャーによれば、
福島から高速で会津坂下インターまで1時間~1時間半。
そこから国道252号線を南下して1時間半で着く、とのことで、
福島で1時間目の授業をやってからクルマででかければ、
講演開始の1時15分にはなんとか間に合うだろうと踏んでいました。
しかし他の先生方や1時間目の授業に出ていた学生の皆さんは異口同音に、
「前日から泊まるの? えっ、当日入り?」
「授業やってから出発なんて絶対間に合いませんよ」
などと私をビビらせるのです。

しかし実際のところは、福島市からクルマでほんの2時間半弱。
そもそも私は安全運転ですから、間に合わせようとぶっ飛ばしたわけでもないし、
途中、磐越自動車道が工事のため1車線通行になっていたにもかかわらず、
余裕の到着でした。
只見はぜんぜん遠くありません。
福島県民の皆さんは「只見は遠い」というイメージを
勝手に作りあげてしまっているのではないでしょうか。
ちょっとしたロングドライブを楽しみに行くのにちょうどいいくらいだと思います。
特に国道252号は只見川沿いに走っているのですが、
山の緑が川に映え、素晴らしい眺めのドライブを楽しむことができました。
写真は帰り道に撮ったので (さすがに行きに写真を撮る余裕はなく)
日が翳ってしまっていますが、
それでもおよその雰囲気は楽しんでいただけるでしょう。
こんな感じが50㎞くらい続くのですから、そりゃあ最高のドライブです。

さて今回のミッションは、只見高校1年生から3年生まで、
全校生徒146名相手に「人はなぜ学び、なぜ働くのか」を講演するというものです。
大学生相手にもよく話す得意の演題です。
ひとことで言えば、本能の壊れた動物である人間は、
本能の代わりに文化を使って生きていかなければならない。
だから人は生きるために文化を学んで身につけ、
文化の中で文化を用いながら働いていかなければいけないのだ、というお話です。
講堂の壇の上でサルの真似をしたり、
「ありがたい話」なども織り交ぜたりして熱演しましたが、
やはり全員必修となるとすべての子に興味をもってもらうのはなかなか難しいものです。
なかには眠ってしまう子もいましたし、
感想用紙に何も書いてくれていない子もいました。
しかし満足度の平均は4.26(5点満点)。
まあこの規模でこの数字なら素直に喜んでいいのでしょう。
最後は 「福大で会おう」 という掛け声で締めましたが、
はたして彼らの学ぶ意欲を喚起することはできたでしょうか?
全員とは言わないまでも何人かが、
よーし、大学に進学して
(できれば福大で、しかも他学類ではなく人間発達文化学類で)
生きていくための力を身につけてやるぞぉと思ってもらえたならよかったのですが…。

講演後、しばらく校長先生たちとお話ししてからクルマで高校を出ようとすると、
グラウンドで練習していた野球部の全員が校門のところまで駆け寄ってきて、
「ありがとうございましたぁ」と帽子を取ってお辞儀で見送ってくれました。
校長先生が自校の生徒を純朴ないい子たちばかりだと自慢していましたが、
まさにその通り、こんな高校生いまどきいるんだぁ、と驚いてしまいました。
彼らにもう一度 「福大で会おう」 と檄を飛ばして只見高校を後にしました。

帰りがけ、校長先生に教えてもらった「只見・本の街」に寄ってきました。
古本を森と交換してくれるのだそうです。
さすがに今回は売る本をもっていなかったので、
森を手に入れることはできず、本の購入のみでしたが、
それでも倉庫がいくつもあるので、ひととおり見て回るだけでもたいへんです。
いくつか掘り出し物をゲットして帰ってまいりました。

いやあそれにしても只見、いいところでした。
I shall be back
でも今度行くときはやはりゆっくりと宿泊つきで行きたいもんです。
よさげな宿もたくさんありましたし、
もっとのんびり只見の自然を満喫してみたいと思います。

教育者の教育

2009-06-26 17:35:15 | 教育のエチカ
今年は新しい仕事をいくつか引き受けていますが、
看護学校教員養成講座で「哲学」の講義をするという仕事を頂戴し、
3時間×5回の授業をやり、今日最終回を終えてきたところです。
(みんなお疲れー これ読んでる?)

看護学校教員養成講座というのは、
看護学校で看護学生たちに看護とは何たるかを教え彼らを一人前の看護師に育てていく、
そういう先生たちを養成するためのプログラムです。
受講しているのは、看護師、保健師、助産師などを5年以上勤めた人たちです。
条件を満たしたばっかり(20代半ば?)のような方から、
ひょっとすると私より年上じゃないかという方まで、
幅広い年齢層の方々が受講しています。
今回は久しぶりの開催らしく、東北中から40名近い人が参加していました。
この講習の中身が超ハードで、哲学や心理学など基礎分野の科目から、
看護教育学や看護学校経営論などの専門科目まで、
全部で900時間もの授業を受け、教育実習もやらなきゃいけないのだそうです。
これをこなすため、5月から12月までの8ヶ月間、ウィークデーは毎日、
1コマ3時間()の授業を午前と午後に受けなくてはなりません。
しかも岩手や青森など福島市外から参加している人たちは、
アパートを借りて単身赴任で勉強に打ち込んでいるのだそうです。

私は看護学校で「哲学」や「倫理学」を教えたことがありますが、
今回この話をいただいて、何を教えようか少し悩みました。
看護学校では1時間半の授業を15回ほど行っています。
今回は3時間×5回ですから、看護学校の授業をそのままやるわけにはいきません。
悩んだ末、看護学校でやっている内容を、ところどころ省略しながら再現してみせ、
同時に、なんのためにこういう話をするのか、工夫している点はどこか、
どういうところに気をつけているか、などの解説を加えていく
というスタイルで授業をやってみることにしました。

やってみるとこれは、自分の実践を振り返る、とてもいい機会になりました。
難しい言い方をすると、メタ・レベルの視点をもてた、ということになります。
実際のところ、ふだんはただ授業をしているだけで、
自分の教授行為がどういう意味をもっているかといったことをほとんど意識していません。
しかし、それを解説するために、
授業している自分を外から見つめ直してみると、
(これがメタ・レベルの視点をもつということですね)
いつもは意識していないだけで、実はいろいろな意図やねらいがあって、
あんなことやこんなことをやっていたということがはっきりしてきますし、
せっかくそういう意図でやっているなら、
もっとこんなふうにやってみたほうがよかったんじゃないか、
という発見もできます。

それにしても教員の養成というのは、それ自体がメタ的な営みですね。
つまり、教育する人を教育するわけです。
私が勤める福島大学人間発達文化学類は元教育学部で、
人間発達文化学類と名前を変えた今も教員養成を大々的にやっているわけですから、
ふだんから私は「教育者の教育」をしているのですが、
学生相手だと、なんとなくそのメタな感じが薄れてしまいます。
それに比べて看護学校教員養成講座は、看護師の経験のある人たちが、
今度は看護師を育成する側になろうとする(それもすでにメタですね)、
そのために彼らに対して授業をするのですから、
とってもメタ・メタな感じが保たれるのです(オヤジギャグではありません)。

現在私は、2つの看護学校で毎年60名くらいの看護学生の教育に携わっていて、
まあたぶん私の授業のことなど覚えていてくれる人はほとんどいないと思いますが、
それでもその60名になにがしかの影響を与えられているかもしれません。
しかし今回のように、40名の看護教員の養成に関わって、
そこでこの40名になにがしかの学びを生みだすことができたら、
そのひとりひとりが、今度はぼくの知らない何百、何千人の看護学生たちを
変えていってくれるかもしれないのです。
養成講座に参加された方々が、
看護師としてお世話することのできた患者さんの数は限られていると思いますが、
彼らが看護教員になった暁には、教え子たちを通して、
何万人、何十万人もの患者さんのお世話をすることになるわけです。
そして、私はたった1回この講義を引き受けだだけで、
その40倍の数の看護学生や患者さんたちに関わることになるのです。
そう考えると、「教育者の教育」というのは責任重大な仕事なんだなあと思えてきます。

私がもたらした変化はひょっとするといい変化ではなかったかもしれません。
私がみんなに「考えろ、考えろ」と言い続けたおかげで、
東北地方では、何かというと考え込んでしまって、
看護がスムーズにできない看護師が急増中なんていうこともありえます(うう、笑えない)。
もしもそんなことになったら、どれだけ多くの患者さんが困ることか…。
できることなら、東北地方にはなぜか、
哲学者のように思慮深く患者さんの魂のケアをしてあげられる看護師さんが多いですねぇ、
なんていう噂が聞こえてくるようになるとうれしいんですけど。
あるいは、何年後かに私が搬送された先の病院で、
「小野原先生、初めまして。私は先生に直接教わったわけではないんですが、
 看護学校の先生が小野原先生の話をしてくださって、
 ブログなどを拝見させていただいていました。
 先生の今回の病気は○○で、ちょっと厳しい状況ですが、
 私たちが先生の最期の時間にお付き合いさせていただきますので、
 哲学の話をたくさん聞かせてくださいね。」
なんていう教え子の教え子の看護師さんに最期を看取ってもらえたりしたら、
それは私の理想の死に方ではないでしょうか。

うーん。まあどっちにせよ高望みだよなあ。
ぼくごときの授業で人がそうそう変わるわけないだろうし。
でも良かれ悪しかれそういう可能性もまったくゼロじゃないということを考えて、
「教育者の教育」には心してかからないといけませんね。
そして、学校教員養成の場合は、学生たちの巣立っていった先に、
患者さんの数とはケタちがいに多くの子どもたちが待ち受けているわけだから、
ただの大学生相手の授業だなんて思わないで、
1回1回の授業に魂をこめないといけないよなあ。
二日酔いで授業するなんてもってのほかだ
と深く深く反省する今日この頃でした。

福島の公務員

2009-06-25 15:18:17 | お仕事のオキテ
前から思っていたんだけど、
福島の公務員ってめちゃくちゃレベル高くないだろうか。
ぼくは横浜や川崎あたりの役所としか比べられないけど、
福島に来てから役所に行ってイヤな思いをしたことは一度もない。

税金関係で県税第1グループに行ったことがあります。
そこで民間じゃありえないっていうくらい手厚い対応を受けました。
12時過ぎてお昼どきだったんだが、
どこに行けばいいかわからないなあという顔つきで、
カウンターに近づいていくと、
座っていた職員が2人すっと立ち上がって寄ってきてくれて、
用件を聞いてくれる。
こちらが書類を見せて用件を伝えようと言葉を探していると、
書類を一目見るなりこちらの言葉を待つまでもなく担当者を紹介してくれる。
よくわからない様式の書類にいろいろ書き込まなきゃならないのだが、
ひとつひとつ丁寧に教えてくれる。
(住所欄に「36番地3号」なんて正確に書かなくても、
 ハイフンでいいですよ、とかまで)
税金の仕組みや今後の手続きの流れなど、
とてもわかりやすくクリアーに説明してくれる。
関連する別の税金に関する手続きについても、
こちらが聞かずともいろいろと教えてくれ、
切手代を使わずにすむ方法のことまで心配してくれる。
最後にこちらが言い出す前に、
「お車をご利用でしたら駐車券にハンコを押しますけど」
と必要の有無を確認してくれる。

こんなに丁重な扱い、最近じゃ飲食店に行ったってしてもらえるもんじゃありません。
この人は特別だったと思うけど、
おしなべて福島の公務員は本当に対応が丁寧だと思います。
こういうのをプロの仕事というんでしょう。
関東では役所に行くたんびにイヤな思いをしていたというのに。
これはけっして人口の割に公務員が多すぎるとかいった問題ではないと思います。
彼らは福大の行政政策学類の卒業生なんでしょうか。
だとしたら福大の教員であることを(他学部とはいえ)誇りに思いたいと思いますが、
それよりはたぶん、OJTのシステムがしっかり確立しているのでしょう。
(OJTとはOn the Job Training、
 仕事をしながら仕事に関してトレーニングを受けることです)

昨今では公務員に対する風当たりが強く、
ちょっとしたことで非難されたりやめさせられてしまったり、
特に福島では行政の長が辞任に追い込まれたりしましたが、
なんのなんの、福島の公務員はみんながんばってると思いますよ。
これからも誇りをもって働いていただきたいと思います。
そして公務員試験を受ける学生の皆さんは、
バリバリ仕事をこなし市民から頼られる自分をイメージしながら、
試験勉強をしたり、面接を受けてみてください。
公務員以外の道に進む皆さんも、
どんな仕事であれ、誠心誠意クライアントのために尽くす
真のプロフェッショナルをめざしてほしいと思います!


※私のクラスやゼミの学生の皆さんへ
この文章では、わかった上でわざと
「だ・である調」と「です・ます調」を混在させています。
エッセイ風の文章ではそういうワザが意図的に用いられることがありますが、
これは高度でしかも失敗の確率の高い危険なワザですので、
レポートや卒論ではけっしてマネしないようにしましょう。


自己表現

2009-06-24 15:23:47 | お仕事のオキテ
いよいよ教員採用試験の季節ですね。
みんなベストを尽くしてきてください。

1次から集団面接とかがある県も少なくないようです。
面接やディスカッションでは思いっ切り自分をアピールするように。

「アピール」っていい言葉だね。
「売り込む」って感じがする。
それに比べて「表現」という日本語は弱い感じ。
「表れる」も「現れる」もどちらも自発の助動詞が使われていて、
なんかほっといても自分の心の内が勝手に外に伝わってくれるかのよう。

「以心伝心」なんてことばも大っキライ。
私たちはエスパーじゃないし、サトラレでもないんだから、
心の中で思ってることが自然と相手に伝わったりすることはゼッタイにない。

私たちが思ってること、考えてることは、
言葉にしたり、行動にしたり、表情や身ぶりを駆使したりして、
何とか相手に伝わるように努力しなきゃいけない。
「表現」は英語で「express」。
express は、ex-(外に向かって)press(ギュッと押し出す)という意味だそうです。
みんなも面接やディスカッションでは、
相手(つまり面接官)に向かって、
自分のいいところをギュッと押し出してきてください。

野村監督の言葉(細部はあやふや)
「空振り三振には未来があるが、見送り三振には意味がない」

ボーッと打席に突っ立って球筋を見きわめてるだけでしたなんてつまらない。
たとえバットに当たらなくてもいいから、
思いっきり自分らしいスイングを披露してきてください!

汝自身を知れ(その2)あるいは自動車わらしべ長者

2009-06-23 19:10:45 | 幸せの倫理学
先に自分のモットーを書き出しましたが、
あとからあとからいろいろと思い出すもんですね。
ぜひとも補足しておきたいものとして次の3つを挙げておきます。

・飲みに誘われたら先約がないかぎり断らない
・タバコは買わない
・クルマは買わない

1番目は、まあたんに付き合いのいいやつということなんでしょう。
あるいはたんなる酒好きか。
2番目は、健康のためマナーのため喫煙はしない、とかいうことではなくて、
高率の税金を払いたくないので自分では買わないようにしているということです。
吸いたいときは人からもらうようにしています。
3番目も、環境のためクルマに乗らない、ということではなく、
(ドライブ人生論を書いている私がクルマを持っていて乗っていることはバレバレですね)
自分でお金を出してクルマを買ったりはせず、
人からもらうようにしているということです。
それにしてもなんでこんなモットーで生きていけるのか、
その歴史をご紹介しておきましょう。

大学1年のときに免許を取った直後、どうしても車が欲しくなって、
中古車(トヨタ・コロナ)を50万円で購入しました。
しかし、そのローンと保険料と駐車場代と維持費に追われ、
大学5年間はコロナを養うために費やされてしまいました。
当時、新宿に住んでいたんですが、駐車場なんて野ざらしの上、
2台を前後に並べて停める縦長の駐車場で、
もう1台の車(知らない人の)のカギも預かっておき、
自分の車が奥に停まっている場合には、まず相手の車を動かし、
次に自分の車を出し、相手の車を元に戻してからやっと出発できるという、
ありえないくらい不便な駐車場なのに、
毎月35000円もぼったくられていました。
そこから得た教訓は「車なんて金を払って買うもんじゃない!」

塾でバイトしていた頃、講師仲間の先生から三菱ランサーをもらいました。
これが私の「自動車わらしべ長者物語」の始まりです。
今から思うとひどい話ですが、当時駐車場の空きがなくて借りられず、
したがって車庫証明が取れないため、名義変更もできずにいました。
駐車場がないので大学に停めっぱなしにしたり、山奥に放置したり。
そのたびに元の所有者のところに警察から連絡がいき、
申しわけないことをしてしまったと思います。
この車は、お金がなくてオイル交換もしないまま乗り回していたので、
最後は高速道路走行中にエンジンが焼き付いてオシャカになってしまいました。

福島大学に赴任してからすぐにヒザを骨折し、通勤に不便を感じていた頃、
父が亡くなったため、そのお下がりのホンダ・シビックを相続しました。
オートマではなかったためはじめのうち運転に苦しみましたが、
マニュアルのFF車というのは雪道には最適だったと思います。
これでよくスキーに出かけましたが、
末期には窓に隙間ができてしまい、
雪の日など雑巾で水の浸入を防ぎながら運転していました。

その後、弟の同僚の方からトヨタ・カリーナEDを譲り受けました。
外見だけ見てとても気に入っていた車だったので、
もらえると聞いたときは驚喜しました。
(わらしべ長者は基本的に相手の都合に合わせるしかないので、
 自分の好みを優先できない)
そんなに悪い車ではなかったのですが、
外見のカッコ良さに比べて、中は屋根も低く、
意外と居住性が悪かった覚えがあります。
都会ではポケモン電車(車両の外側にポケモンの絵が描いてある)とかが走っていて、
子どもは外から見て大喜びしていますが、
乗ってしまえばただの車両でガッカリするというのと
基本的には同じ構図ではないでしょうか。
この車以来、外見に対するこだわりはまったくなくなりました。

次は弟のお下がりの日産・ローレル。
カリーナEDにガタが来て、そろそろまずいなあと思っていた頃に、
とてもタイミング良くやってきてくれました。
内装もよく、わらしべ長者にとって初めての高級車と言ってよいでしょう。
加速が悪いのと燃費が悪いのがタマにキズですが、このさい贅沢は言えません。

5年前まで乗っていたのは、
大学の同僚のお父様から譲り受けたマツダ・センティアでした。
あまり知ってる人がいないのですが、
ある時期までマツダの最上級車だったようで、
元族だったという代行屋のおニイちゃんはこの車のことに詳しくて、
しきりに加速性能のよさをほめてくれました。
ローレルとセンティアは幸いオシャカにならなかったので、
学生や卒業生に譲りました(もちろんタダで)。
車は天下の回りモノです。

現在乗ってるのはメルセデス・ベンツです。
妻の同僚のお父様から、
東京ではもう乗れなくなってしまうけど廃車にするのは忍びないので、
ぜひもらってやって下さいと頼まれたのです。
300Eターボディーゼルという車種ですが、
石原都知事のせいで東京ではディーゼル車は新たに車検を通せなくなってしまったのです。
というわけでわらしべ長者はとうとうベンツを手に入れてしまいました。
(さすがにタダというのは気が引けたので謝礼としてドンペリを1本差し上げました)

うーん、幸せ者だっ!
幸せは幸せを呼ぶんだなあ。
どんどんクルマがランクアップしていっているじゃないか。
特に自分から探し回っているわけでもないのに、
クルマがいいタイミングでどこかからやってくるんだなあ。
ありがたや、ありがたや。
恵んでくださった皆さんにホント感謝、感謝です。

さて今乗ってるベンツ、93年式にしてすでに走行距離20万キロ超。
いつ何が起こってもおかしくない状態です。
初めての車検のときにミッションの不具合とオイル漏れが指摘されましたが、
修理に70万円かかると言われ、
そのままにしてなんとか車検だけ通してくださいと頼み現在に至っています。
というわけで、余ったクルマ募集中です!
どなたかクルマを譲ってくれませんか?
この流れで言うと次はポルシェかジャガーかという感じですが、
そんな贅沢は申しません。
ボルボでもチェロキーでもプリウスでもOKです。
わらしべ長者に愛の手を!

ペースカー

2009-06-22 15:54:57 | ドライブ人生論
ちょっとブログをサボってるうちに、
相馬看護学校の授業もとっくに終わってしまったんですが、
今年も7回、相馬までドライブに行ってきました。
例年のことなのでだいぶ慣れてきたとはいえ、
115号線を福島から相馬まで片道70㎞も、
朝1限に間に合うように走っていくというのはけっこうシンドイものです。

この115号線というのは片側1車線の山道なんですが、
ものすごく飛ばしてるクルマか、逆にものすごくのんびり走ってるクルマか、
だいたいそのいずれかなので、走っていてかなり疲れる道路です。
飛ばすクルマはいつの間にか後ろにピッタリくっついていてあおってくるし、
ゆっくり走ってるクルマは、ゆずりあいレーンとかでよけてくれればいいのに、
なぜか涼しい顔で通せんぼしているから、
1時間目に間に合わなくなるんじゃないかとハラハラさせられます。

ところが4月のことだったでしょうか。
たまたまあるトラックの後ろについたのですが、
これがひじょうにいい感じの走りを見せてくれました。
スピードを出すべきときには出し、緩めるときには緩め、
下り坂のカーブなどでは丁寧にコーナーを回ってくれるので、
後ろを走っていてとてもゆったりした感じで安心できます。
その日は前日が遅くなってしまったために少々疲れ気味だったのですが、
70㎞のうちの大半をそのトラックについていくことによって、
とても快適なドライブを楽しむことができました。

最近、道行く大型車の後部に「ペースカー」という表示をよく見かけます。
一定の安全速度で走ることによって、
道路全体のペースを作り出すクルマという意味なんでしょうか。
ペースカーと書いてあるからといって、ペースカーの走りをしているとは限りませんが、
私は高速道路などのロングドライブのときには、
自分にとってのペースカーを見つけて、その後ろをついていくようにしています。
自分でいちいちいろいろな判断をしなくてよくなるので、
疲れ方が全然ちがってきて、安全で快適なドライブを楽しむことができます。
残念ながら115号線の場合、
片側1車線だからペースカーを探したり選んだりすることはできません。
あの日は期せずして前のトラックがペースカーの役割を果たしてくれたというわけです。

さて、人生においてもペースカーというのは大事です。
人生の場合はペースカーではなくてペースパーソンと言うべきでしょうか。
もちろんホントに大事なことは自分で決断しなきゃいけないんですが(それは運転も同じ)、
日々の仕事とか、なにか長期スパンで取り組まなきゃいけないことの場合には、
この人のあとについていけば何とかなるという人を見つけて、
その人のマネをしたり、その人が言うとおりにやっていくと、
自分ひとりじゃなかなか成し遂げられなかったようなことが、
わりとあっさりとできてしまったりするものです。

私の場合、大学受験の時はIくんやGくんをはじめとする受験組の中にいたために、
みんなと学校帰りに買い食いしたり、麻雀なんかもしたりしながら、
でもいつの間にかちゃんと受験勉強はしていました。
キャリアカウンセラーの資格を取るときも、
講座の同期の仲間とメーリングリストを作って情報のやりとりをしたり、
ロールプレイの相手をしてもらったりして何とか乗り切りました。
さて、現在は積年の大仕事にとりかかろうとしているところです。
この仕事には実質的に締切はないので、
ほっておけばいつまでも後回しにされてしまいます。
これまで何度も「今年こそやる」と周りに宣言したりしたものの、
けっきょくずっと果たされずに来ました。
それはちゃんとペースカーを見つけなかったからだろうと思います。
今回はペースカーになってくれる人を見つけたので、
その人にしっかりついていこうと思っています

皆さんも、教採を受けたり、就活をしたり、卒論を書いたりする場合には、
ぜひペースカーとなるべき人を見つけて、
その人たちについていくようにしてみてください。
ただし見極めが大切です。
まちがっても暴走車や鈍行車にはついていかないように
快適なドライブを

『悪童日記』または学校ってなによ?

2009-06-18 11:27:02 | 教育のエチカ
新カテゴリー「教育のエチカ」です。
エチカというのはエシックスの元になったラテン語で、
「倫理」ないしは「倫理学」という意味です。
「教育の倫理」とか「教育の倫理学」でもよかったのですが、
まあなんとなくオシャレな感じなのでエチカにしてみました。
これも前々から狙っていたテーマだったんですが、
こんなニュース↓に出会ってしまったので、急遽立ち上げることにいたしました。

「敏腕女子高生スナックママ逮捕」

16の頃からスナックでホステスとして働いていた通信制高校生が、
食品衛生責任者の資格を取るなど勤務態度を評価されてママに昇格し、
年上のホステス7人を使って店は繁盛していたんだけど、
経営者の男が公安委員会の許可を取っていなかったので、
風営法違反で逮捕されてしまった、というニュースです。

こういう話、痛快で好きだなあ。
「生きる力」を感じるなあ。
彼女はこのところ高校を休学状態で、
「働いているうちに学校が面倒になってしまった。今はちゃんと高校を卒業したい」
と反省しているそうだけど、
でも彼女は高校に戻って、いったい何を学べばいいんだろう?
高校で風営法のことなんて教えてくれないし。

教育のエチカというのは、
教育に関していろいろなレベルの倫理学的な問いを立ててみようという試みですが、
その中でも最もラディカルな(根本的な)問いというのは、
そもそも教育するというのは善いことか悪いことか?
そもそも学校という制度は善い制度か悪い制度か?
といった問いでしょう。
よい教育者や、一般的な教育学者はこんなことを問題にしません。
善いという前提のうえで、よりよくするにはどうしたらいいかを考えるわけです。
倫理学者はその前提の部分まで(いちおうは)疑ってみるのです。

この問題を考えるうえで、すごーく考えさせられるのが、
アゴタ・クリストフの『悪童日記』です。
高校の図書館司書の方に「お奨めの本は?」と聞いたら、
間髪を入れずにこの本を答えてくれたので早速読んでみたところ、
ムチャクチャ面白かったので、今私のイチオシです。
双子の兄弟が田舎で貧乏暮らしをしているおばあちゃんのところにあずけられるという、
『佐賀のがばいばあちゃん』と似たようなストーリーですが、
ああいう明るさがまったくありません。
ズシーンときます。
でも痛快なんです。
そして、教育ってなによ? 学校ってなによ? って考えさせられます。

あまり本の中身の話はしたくありません。
とにかく読んでほしいのですが、
この2人は今流行りの「自己教育力」「自己学習力」がずば抜けていて、
学校なんかまったく行かずに、
自分たちでどんどん「生きる力」を身につけていってしまいます。
その代わりに常識とかモラルは欠如したままです。
常識的な倫理学者ならば2人の行動に対して突っ込みどころ満載なんでしょうが、
非常識な倫理学者である私の目には、2人はとても素晴らしく映るのです。
痛快なのです。

もうすぐ教採(教員採用試験)を受けようという人にはちょっと酷かもしれないけれど、
まだ教採はしばらく先だという人、
教採に受かってもう「先生」をやっている人にはぜひ読んで、
教育とは何か、学校とは何か、を考えてみてほしいと思います。
そして自分なりの答えをコメントでもメールでもいいので教えてください。
私も折に触れてこの問題について書いていこうと思います。

仕事に追われてはいけない

2009-06-17 18:51:27 | お仕事のオキテ
久しぶりのブログ更新です。
かれこれ2ヶ月ぶりくらいでしょうか。
ちょっと仕事に追い込まれると、ブログ更新が滞ってしまいます。
そんなことじゃいけないんですが、
仕事関連の人もこのブログを覗いていたりするので、
「なにコイツ、あの仕事ぜんぜん終わってないくせに、またこんな駄文書いてるよ」
とか後ろ指さされるのが怖くて、ついつい…。
実際にはそんな意地悪なこと言う人はいないんですけどね、私の仕事関係には。
つまり、けっきょくは自分のなかで優先順位とか、
遠慮とかがあるということなのでしょう。

しかしやっとのことで仕事が終わって振り返ってみると、
私はいつものようにギリギリまで追い込まれてからしか書き始められなかったわけだし、
だから実際にその仕事に従事していたのは締切間近の数日にすぎなくて、
それ以前の1、2ヶ月というのは、
精神的には追い込まれているものの、
実際にやっていることは諸々の逃避活動にすぎなかったりするわけだから、
延々とユーチューブで「はんにゃ」や「ナイツ」を見るくらいなら、
着々とブログを書きためていればよかったんだよなあ。
自己分析によって、自分は追い込まれないと仕事をしない人間だし、
追い込まれれば何とかする人間だって判明してるんだから、
その了解に基づいて行動計画を立て、
締切が近づくまでは心安らかにいつも通りの生活を送っていればよかったんだよなあ。
ということを後になってから思い出すんですよねぇ。
ああ、時間をムダにしたっ

まあ、過去のことは悩んでもしょうがないことなので悩むのはヤメにしよう。
それにしても、私がこのブログを放置している間も、
何度となくチェックに来てくださっていた方々がいらっしゃるようですね。
留守にしていて本当にすみませんでした。
これまでの遅れを取り戻すように書いていきたいと思います。
さっそくですが新しいカテゴリーを立ててしまいました。
「お仕事のオキテ」です。
「仕事の品格」とか「キャリアの倫理」とかいろいろ考えていたけれど、
どれもしっくりこず…。
「お仕事のオキテ」もそれほどしっくりきているわけではないですが、
とにかくまあ始めてしまいましょう。
仕事とかキャリアとかにかかわるような話を扱っていきたいと思います。
以前に書いたけどどのカテゴリーにも属していなかった「締切が人を鍛える」も、
当然このカテゴリーに含めてあげることにします。
キャリアカウンセラーのまさおさまとしては、前から狙っていテーマではあります。
しかも明日は、さらにもうひとつ新たなカテゴリーを立てる予定。
ふっふっふっ、久々の復帰でやる気満々じゃないか
乞う御期待。