まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

分業から貨幣経済へ

2021-05-10 16:09:42 | キャリア形成論
農耕のおかげで食料を大量に生産し、保存・貯蓄できるようになった人類は、
みんながみんな日々の食料の確保に汲々とする必要がなくなります。
こうして分業と物々交換が始まります。
狩りが得意な人は狩りだけを行い、農耕が得意な人は農耕だけ行い、
大量に獲れた獲物や穀物の余剰分を物々交換することによって、
双方が豊かな食生活を送れます。
さらには狩りや農耕などの食料確保(いわゆる第一次産業)には関わらず、
弓矢や鍬や土器といった道具だけを生産して、
それを食料と交換して生きていく第二次産業従事者も現れてきます。

こうなってくると毎回毎回それぞれが獲れた物、作った物を持参してきて、
直接交換するというのが面倒になってきます。
せっかく持っていっても互いに欲しい物がうまくマッチするとは限りませんし。
そこで発明されたのが「おカネ」という文化です。
それぞれが生産した物そのものではなく、
その代わりの何か(石やら貝殻やら金属など)を交換の基準とし、
それとの引き替えによって交換を成立させるという画期的なシステム、
いわゆる「貨幣経済」というものが生み出されたのです。
(貨幣の起源については諸説ありますので詳しくはこちらこちらを参照。
 最近では物々交換社会もなかったという説が主流のようで、こちらこちら参照。)

それに伴い、食料生産(第一次産業)でもなく、道具の生産(第二次産業)でもない、
新しいタイプの仕事、第三次産業が生まれてきます。
その代表が、貨幣を介した交換を仲介する商業です。
実際に物を生産することなく、物を仲介するマージンで生計を立てる商業は、
多くの国で低い地位を与えられていました。
日本でも士農工商と四身分のうち最下位に置かれていました。
しかし、最高位にある「士(=侍)」も、本来の仕事は防衛であり、
江戸時代にあっては主たる役目は政治だったわけですが、
いずれも物の生産に携わるわけではない第三次産業です。
つまり、第三次産業というのは何らかのサービスを提供することによって生計を立てる仕事であり、
それが成り立つためには貨幣経済が成立していることが前提となります。

皆さんは「働く」というとおカネを稼ぐことと思っているのではないでしょうか。
しかし、アウストラロピテクス以来400万年の人類(ヒト属)の歴史のなかで、
人間がおカネを使うようになったのは、ほんの数千年前からのことにすぎません。
本来「働く」というのは、エサを捕る、食料を生産するということでした。
農耕という文化によって食料が安定的に供給できるようになり、
貨幣経済という文化によって、
お店におカネを持っていけばいつでも食料その他を手に入れられる、
という仕組みが作られたがゆえに、
皆さんは野山を駆けまわって狩りをしなくてすんでいるのです。
農耕も凄かったですが、おカネなんていうものを発明した人も凄いですよね。
今私が研究や教育という仕事に専念していられるのも、
ひとえにおカネを発明してくれた人のおかげです。
日々感謝しながら生きていきたいと思います。

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