まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

運動神経悪い芸人・学者

2010-11-12 12:09:52 | 教育のエチカ
昨日、「アメトーク」 で 「運動神経悪い芸人」 というのをやっていました。

久しぶりに腹を抱えて笑いました。

運動神経が悪いと自認している芸人さんたちに水泳やら野球やらやってもらうのですが、

これがもう神業的なボケの連発で、

しかし御本人たちはいたって素で大真面目に取り組んでいるようです。

思い出話もいろいろ語ってくれましたが、

物悲しくも爆笑のエピソードの数々です。

実は私も運動神経のない子どもだったので、身につまされる話でもあります。

小学校時代、私は6年間ずっと体育で2を取り続けました (5段階評価)。

1をつけることはない絶対評価の学校だったので、

2というのは最低を意味します。

4年生のある学期末、いつも体育2の私にこれから父母面談に向かおうという母が、

今回は体育はどうだったのと聞きました。

その学期はたまたま、水泳や跳び箱のように体力や運動神経がモロに出る種目ではなく、

球技ばかりだったので、いつもよりは何とかなっていたんではないだろうかと思い、

ちょっとはよかったかも、ひょっとしたら3くらい取れてるかも、

とちっちゃいまあちゃんは答えたのでした。

しかしながら、やはり体育は2。

母は担任の先生に、本人は今回はちょっとはがんばれたかもと言ってたんですけどねぇ、

と伝えたところ、

先生の答えは、小野原君ができるときは他のみんなはもっとできるんでしょうねえ、でした。

そして、体育の担当の先生 (うちの小学校は3年生以上は中学校のように教科ごとに担当)

からの評価のお言葉も伝えられました。


「何をやらせても何やってるかわからん」


うーん、強烈な評価ですね。

今から思うと、これが教育者が子どもに投げかける言葉とはとても思えません。

特にあの頃の体育の先生って、ただ子どもにやらせてるだけで、

上手くできるように何か指導してくれることなんてまったくありませんでしたので、

お前は教育者としていったい何をしてくれたんだ、何様のつもりだっ、

と今だったら文句の1つも言いたいところですが、

当時は、親子ともどもこの教師からの言葉をじっと受け入れるしかありませんでした。

しかし、アメトークで見た 「運動神経悪い芸人」 さんたちがスポーツをやっている姿はまさに、

「何をやらせても何やってるかわからん」 感じでしたので、

子どもの頃の私は客観的にはあんなふうに見えていたのでしょうね。

そしてもちろん、今も私がスポーツをやればああ見えるんでしょうね。

「運動神経悪い学者」 という特集のときにはぜひ出演させていただければと思います。
コメント (2)
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