チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

義母の納骨

2024年01月04日 04時58分36秒 | 義母とのこと

雨、8度、61%

 細かい雨の中、義母を納骨して来ました。雨雲で霞む山を見上げて墓地に向かいました。杉木立を抜けると霊園です。主人の胸にしっかり抱かれた義母は義父の横に置かれました。墓の下を見るといつも思うことは、「終の住処」は墓だということです。

 義父母が仲良く並んでいます。義母との最後のお別れを済ませました。96歳の高齢、家族一人一人の思いを受けてお別れしました。

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義母の四九日 

2023年12月30日 05時04分44秒 | 義母とのこと

晴、7度、87%

 年が明けると義母の四十九日がやって来ます。このひと月、義母が帰国以来7年の私の生活の一部になっていたことに気付きました。ポッカリしたものが心にありました。孫娘がやって来たこの4日間は子供の元気に助けられました。よく笑う、よく喋る、心が緩んで来ています。

 お墓には権利書若しくは使用許可書があるのをご存知でしょうか?私がそのことを知ったのは母が逝った10年前のことでした。お墓の「使用権利書」があることすら知りませんでした。お寺の社務所でそのことを言われ、早速私の名義に書き換えました。主人の家の墓は義父亡き後は、義母に名義変更をしました。名義変更の手続きを取ったのは私でした。それなのに、今回すっかりお墓の名義変更のことを忘れていました。権利書と火葬が終わった証明書がないと納骨できません。慌てて手続きを取りました。年末年始のお休みに入ります。先日やっと主人名義の書類が届きました。

 年末のお墓掃除を兼ねて鍵屋さんに鍵を開けてもらった墓を参りました。 年明けには義母を納めます。納骨を見るのは孫娘は初めてのことだと思います。

 祝い事はできませんが家の掃除、年頭の気持ちを表すために幾つかの設をしました。明るい色の花は避けて胡蝶蘭を一つ飾りました。義母への供え花です。

 家族が揃って義母を送る日か近付いています。私が育ったこの家から義母を送ります。

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義母が逝ってひと月が経ちました。

2023年12月15日 05時05分57秒 | 義母とのこと

小雨、18度、81%

 義母が逝ってひと月、役所関係の届出、様々な細かい用事がひと段落つきました。この10年、母、義父、義母を見送りました。葬儀の準備からこうして後片付けまで3人分私がやりました。人を送る仕事はこれで最後です。

 今も義母の最期の時の様子が度々蘇ります。母も義父も最期を看取っていません。50年以上前に逝った父、そして義母は私一人がそばにいました。父の最期の時、母は看病疲れで隣のベットで寝ていました。父の最期の呼吸、義母の最期の呼吸、人がこの世から旅立つ前のひと息です。父も義母も早朝に逝きました。外は真っ暗でした。人が逝くのに立ち会うと自分も魂が抜けそうになるのを感じます。父は若くして闘病の末の最後でしたが、最期の時間は全てが鎮まったように穏やかにやって来ました。義母も苦しみや辛さはなく静かに最期を迎えました。

 

 送るべき人たちは皆送りました。諸事を片付けながらいよいよ次は私が送られる番だと思います。自分の来るべき最期はどんなだろう?怖いわけではありません。送った人や動物たちが迎えに来てくれるだろうと信じています。いつか死はやって来ます。

 母の死より義母の死の方が私の中に大きな影を生みました。亡くなる前に義母の存在が私の生活の中で大きくなっていた証拠です。帰国後7年間、義母が元気だった時期も一週間に一度は会いました。送るべき人の最後の一人義母にこうして接することができたのは私の幸せです。

 死を見ると生きることの意味を考えます。死ぬのも生きるのもあの最期のひと息のためにあるような気がします。

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延命措置

2023年11月23日 05時05分40秒 | 義母とのこと

晴、15度、88%

 義母は亡くなる前の午後、緊急で入院しました。午前中、肺炎が疑われていると電話を受けました。点滴、酸素吸入の必要性からの入院です。病院に運ばれて来た義母はすでにストレッチャーの上で酸素マスクをしていました。私の言葉に微かに頷きますが、息遣いが荒く感じました。目は閉じたまま、緊急室に入って行きました。その後、医師から「延命措置」の説明を受けます。香港にいる主人に相談せず、私の独断で「延命措置」は受けないと決めました。帰宅後、主人にすぐに帰国して欲しい旨伝えました。医師の話、母の様子からまだ数日は大丈夫だと思っていました。

 翌早朝、4時を回ったとき電話が鳴りました。息を止めて電話を受けました。義母が危ないので「延命処置」はどうしましょう?と看護婦からでした。主人はお昼過ぎには福岡に着くことになっていました。この時も「延命措置」を断りました。真っ暗な中、車を病院に飛ばしました。

 私の到着を待っていたかのように義母は息を引き取りました。私は義母と約束をしていました。「何かの時は必ず私がそばにいるからね、心配しないでいいよ。」酸素マスクを外された義母は安らかな顔をしていました。いつものように義母の額と頭を撫でながら、主人に会わせる事が出来なかったことが一番悔やまれました。一旦家に戻り、息を整えて主人に電話を入れました。

 入院時にはどんな時も「延命措置」について問われます。本人の意思が一番ですが、高齢となると周りの者が意思決定をします。義母の体を傷がつくような形で命を持たせることは私には許せませんでした。穏やかに痛みを伴わずに逝かせてやりたかったのです。帰国した主人に「延命処置を断ったのは私です。」と謝りました。「それで良かったよ。」と言ってくれたのですが、今でも会わせてやれなかった事を悔やみます。

 半日足らずの入院でした。義母は何を思いその時間を過ごしたのでしょう?楽しい夢でも見てくれたのならいいのにと、病室で点滴のチューブ、酸素マスクをつけた義母を思い浮かべます。緊急処置室なので付き添いが出来ませんでした。「お母さん、まだ逝かないでよ。」と車の中で声を上げて病院へ向かった朝を思い出します。

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義母が逝きました。

2023年11月22日 05時22分26秒 | 義母とのこと

晴、12度、87%

 義母が逝きました。十一月十五日午前4時35分、息を引き取りました。満96歳、6人兄弟の中でも一番長く生きました。穏やかな最期でした。最後を看取ったのは私一人です。

 義母との46年の長い付き合いを思い出します。私が帰国してからのこの7年、病院の入院は私が手続きを取りました。骨折が続き、数えると6回入院がありました。この7年、徐々に老いが深まるのを義母は身をもって教えてくれました。同居したことはありません。しかしこの7年間は濃密な関係を持てたと思っています。ありがとうお母さん。

 昨日、初七日を済ませて、主人は香港に戻りました。悲しみを抱えて仕事に戻ります。亡くなった日から家族が家で寝泊まり、一人一人、日常に戻って行きました。義母のことはゆっくりと書いて行きたいと思います。

 ブログを一週間近くお休みいたしました。長く私をご存知の方はブログの更新がないので私の健康をご心配くださってメールをいただきました。ご心配ありがとうございました。確かに13年近くブログを書いて来て母が逝った時ですら、二日しかお休みしませんでした。気持ちは沈んでいますが、私は元気です。

 諸手続きを今日から始めます。一人でいると自分の心の動きが具に掴めます。義母とのことをゆっくりと更新させていただきます。義母の生前お世話になった方、ありごとうございました。私のことを心配してくださった友人に感謝いたします。

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96歳義母が教えてくれること

2023年11月12日 05時30分49秒 | 義母とのこと

曇、15度、75%

 二日続けて義母の面会に行きました。冬の乾燥から体の皮膚が弱くなり床ずれのような症状が出ているので、殺菌ガーゼや防水テープを持って行きました。 細かい医療品の進歩に驚かされます。ドラックストアーで買い求めることができます。二日目は面会予約を入れていませんでした。この2点を届けるだけのつもりでした。ところが義母の姿がホールに見えます。職員の方にお願いして会うことができました。

 前日もよく笑いました。会う度に目が白っぽくなって来ました。ところが昨日は黒目がはっきりとしています。しっかりと目を見て「また来たよ。」と言うと義母がニット笑います。声が細くなりました。義母も「声が出ない。」と言います。口が動くと耳を口元へ寄せて話し声を聞きます。聞き取れないことの方が多くてもどかしい。主人がつい先日来たことも忘れています。それでもLINEのテレビ電話の主人ははっきりわかっています。言葉が電話を通して主人に伝わらないので私が代弁です。昨日は切り際に義母がバイバイと手を振りました。

 昼食時になったので「また来るから。」「待ってるよ。」と施設を後にします。笑い顔が多いと私は嬉しくてたまりません。でも車に乗ると運転席でグッと胸が重くなります。嬉しいはずなのに気持ちが落ち込みます。義母との残された時間が少なくなって来ていることを感じるからでしょう。家に着いてもその重苦しい気持ちが後を引きます。

 義母は生きていることだけで私にたくさんのことを教えてくれています。この一年、義母の中の荒々しいもの、角張ったものが姿を消しました。そして静かで穏やかな義母になりました。私の母は86歳で亡くなりました。元々気性の強い人でした。最後に会った時まで荒々しい言葉を私に投げかけました。義父は92歳で逝きました。義父は穏やかになり始めたばかりでした。96歳を迎えた義母は座っている姿にも和みが見えます。

 言葉で教えられているのではありません。その姿、その雰囲気、その眼差しが私に生きること、歳をとることを教えてくれています。病気もありません。車椅子ですが、寝たきりでもありません。ありがたいことだと思います。短い時間の面会です。この時間を大切にと感じます。義母に会うのが私の楽しみです。

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義母、96歳誕生日

2023年10月14日 05時00分13秒 | 義母とのこと

曇、19度、70%

 昨日、義母が96歳を迎えました。施設の職員の方たちからも朝から「おめでとう、あと4年頑張ろうね。」と幾度も声をかけてもらったようです。

 最近会う度に口数や表情の多さに変化が見られます。昨日は笑顔は少ないもののしっかりした話ぶり、LINEの主人に向かっても自分から話しかけました。今週初め車椅子から落ちて額に傷を負いました。出血は大したことなく、傷跡もほとんど残っていません。動けないのに、本人は動こうとするからだと思います。意識と実際の体の動きは伴わなくなっています。

 嚥下障害が強くなって来たので食べ物の持ち込みは止められました。今回は鉢植えのシクラメンだけがお祝いです。「綺麗だね。」と幾度も言います。私が帰国してパンデミックの期間を除き、義母の誕生日はいつも一緒でした。「すき焼きを食べに行ったね。」「鰻も食べに行ったね。」と話すと頷きます。

 昼食の時間になったので、階下に降りるエレベーターの中、男性の入居者の方と一緒になりました。その方に「私のお嫁さん。」と紹介してくれます。「母の誕生祝いに来ました。」と私はご挨拶。義母は「大事な嫁です。」とその方に話しました。

 義母に会うとたくさんのことを教えられます。自分のこれから先の生き方に重ね合わせます。一日一日が、長く感じられることでしょう。体も日に日に思うようにはならなくなるでしょう。それでも「長生きしてくださいよ、お母さん。96歳おめでとう。」

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義母と時計草

2023年09月10日 04時57分29秒 | 義母とのこと

晴れ、25度、88%

 「時計草」は六月から十二月まで咲き続けます。八月は暑さが厳しかったので一休みしていましたが、九月に入るとまたフェンスいっぱいに花を咲かせています。「時計草」は一日花です。朝咲いて夕方には萎みそのまま開きません。「一日花」は入院している人に持って行ってはダメだと母に聞かされていました。庭に咲く「時計草」を見ながら、義母はおそらく「時計草」を知らないだろう見せてやりたいと思っていました。

 昨日、急に気持ちが固まりました。「一日花でもいい、義母に時計草を見せよう。」ひと蔓折って施設に向かいました。

 まだ食堂にいた義母を車椅子で部屋に連れていきました。風のある心地よい日です。3階のこの部屋は風が抜けます。窓を開けて、義母をベットに移して、時計草を取り出しました。手渡すと、驚いて花を見つめました。「なんて花?」「時計草よ。」「今日の夕方には萎んで、明日はもう咲かないからね。」と枕元におきました。

 義母は長年花に勤しんできました。流派の花展の時の意気込みを思い出します。花を好きな人です。鉢植えの花を持って来ていたこともありましたが、施設の人に水遣りの手を煩わせるのでやめました。幾度も花の名前を尋ねます。その度に、夕方には枯れるからと念を押しました。

 昨日は花のことだけでなく、家族の込み入った話もします。随分長居しました。枕元の「時計草」の雄蕊を指で触るほど、お気に召したみたいです。 

 もちろん菊の和菓子も持参しました。 

 食べながら、主人とのLINEの電話に応えていました。「今度は赤い色の時計草を持ってくるね。」枯れると気持ちが落ち込むかもしれません。それでも、花は元気を与えてくれました。この冬は以前の様に「シクラメン」の鉢植えを持って行こうと考えています。「時計草」が義母に刺激をくれました。

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義母が話しました、笑いました、お饅頭を半分も食べました。

2023年09月07日 04時56分20秒 | 義母とのこと

晴れ、25度、75%

 嬉しくて、嬉しくて。

 9月1日に義母のいる老人施設が面会を再開しました。コロナ患者が出ての閉鎖でした。3週間ぶりに義母を訪ねました。義母はすっかり虚になり、LINEの主人のことはきっとわからなかったと思います。目の前にいる私ですら認識していたのかどうか?このままではいけないと思い、訪問する回数を増やそうと思いました。

 昨日は庭の紫葉の「露草」と途中で買い求めた「破れ饅頭」を持参しました。 施設に入るなり、職員の方達から嚥下障害で食事のたびに吸引していると話を聞き、次の食事からお粥に変える旨報告を受けました。吸引は本人も辛いし、職員の方の手を煩わせます。「お願いします。」と義母の部屋に向かいました。

 部屋のドアを開けるとベットに横になっている義母と目が合いました。目が小さくなっていますが、間違いなく私を見ています。「お母さん、来たよ。」微かに頷きます。吸引の後で義歯を外しているので頬が落ち窪んでいますが、はっきりと「真奈さん」と声を発しました。びっくりするやら、嬉しいやら。先日は言葉が一つも出ませんでした。「吸引、大変だったね。」と言いながら「露草」を瓶に挿しました。花を見て「綺麗ね。」と言います。紫の葉が美しくピンクの花はかわいい、近くまで寄せて見せました。

 吸引の後で食べられるかどうか?「おまんじゅう食べる?」と聞くと頷きます。小さく小さくして口に入れてやりました。モグモグとゆっくり舐めるように食べます。「美味しい。」食べながら主人にLINEで電話を入れました。画面の主人を見て、誰か認識しています。主人の受け答えは私の目を見て言葉を確かめます。主人に向かって、「きれい」と言うのですが、主人のことではありません。花がきれいだと言います。電話を切り、まだ食べると言うのでお饅頭を少しずつ口に入れてやりました。「食べることが大事。」と義母が話します。

 いつもは普段着のまま車に飛び乗って訪問するのですが、昨日は普段着のままでは義母に申し訳ないと着替えて出かけました。お饅頭を食べながら、「真奈さん、そのシャツいいものだね。」普段着でないことにまで気付いてくれました。

 お饅頭半分完食、残りは枕元におきました。「今度は何を持ってこようか?」と尋ねると「バナナ。」「バナナ婆さんだね。」と言うと声をあげて笑いました。目が細いのですが笑っている写真です。

 部屋の換気をして、しばらく手をさすり、最後はそっと抱きしめて「また来るからね。」「待ってるよ。」と小さく手を振ってくれました。

 私は嬉しくて、嬉しくて。主人も私も義母の復調することを確信していました。来月はお誕生日です。そうそう、「子供が元気なのが嬉しい。」とも話しました。主人の穏やかな顔が嬉しかったのでしょう。さてまた直ぐ、バナナを持って訪ねます。

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三週間ぶりの義母との面会

2023年09月02日 04時55分49秒 | 義母とのこと

曇り、25度、87%

 義母が入所する施設でコロナ患者が出たのはお盆でした。お盆に入る前に孫たちに合わせることができてよかったと思いました。コロナ患者が出ると、入所者は部屋から出ることができません。食事も自室で取ります。面会禁止の三週間の間、幾度か果物を差し入れましたが、広い食堂に人影はありませんでした。

 昨日が面会解禁日でした。桃と庭の花を持って心弾ませて施設に向かいました。食堂の義母の席に後ろ姿が見えていました。「なんだかいつもと違うなぁ?」と義母の顔を覗き込みました。いつもならパッと表情が戻るのに、虚な目をしています。私の胸に不安がよぎりました。義母の車椅子を押して部屋へと向かいました。エレベーターの中で「誰かわかる?」と尋ねたのですが返事がありません。部屋には先日送り届けた、オムツやパッドの箱が積まれています。段ボール箱の山積みは味気ない思いがします。まずは庭のルドベキアを花瓶に刺しました。桃を見せて「食べる?」と聞くとかすかに頷きます。小さく切って、私が義母の口に運びました。自室に連れて行くのは、果物を食べさせたり、主人とLINEで話すためです。LINEの画面に出て来た主人を見ても義母の表情は変わりません。ただ目に映っているだけ、主人が話しかけても返事もしません。以前なら私に何を言っているかという眼差しを向けたのですが、スマホの画面から目を逸らします。

 電話を切って、私一人でいろんなことを喋っていました。その時、「花。」と目がルドベキアに向いていました。庭に咲いている様子を話しました。桃は4分の1ほど食べました。「美味しい?」と聞いても返事はありませんでした。昨日は義母のお風呂の日です。わかっていたのですが、面会初日に会いたいとわがままを施設に言いました。お風呂のためにまた階下に連れていきました。「またすぐ来るからね。」

 保健師さんが私を見ると、嚥下障害が出て、幾度か吸引をしていると話します。食事をドロドロの状態にするかもしれないとの話でした。吸引が辛いだろうからお任せしますと、施設を後にしました。

 車に乗った途端、たった三週間でこんなにも変わるものかと気持ちが沈み込みました。私たちにとってはたった三週間ですが、刺激のない単調な生活の三週間は年老いた者たちにとっては長いのだと思います。言葉、表情、を戻すために足繁く義母を見舞うつもりです。

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