チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

IZIPIZIの老眼鏡

2024年03月31日 05時18分17秒 | きれいな形

曇、17度、91%

 「ポキン。」と音を立ててメガネのツルが折れました。3つある老眼鏡の一つです。急いでアロンアルファで繋ぎました。我ながらうまく継げました。ところが翌夕方、今度は音も立てずにツルが取れました。アロンアルファでは無理でした。

 老眼鏡をかけ始めて20年は経つかと思います。主人が香港の「そごう」ではじめの1本を作ってくれました。「メガネって高いんだなぁ。」と知りました。ちょうど帰国した頃、その眼鏡では心許なくなり、次の一本をデパートのメガネ売り場で作りました。 この時も「高いなぁ。」と思いました。その後すぐ雑貨屋さんで大きめのフレーム、色や形がいいメガネを見つけました。赤を求めました。デパートに持って行きレンズを老眼用に入れ替えてもらいました。「レンズもいいお値段だ!」以来、携帯用に一番古いメガネ、自分の机にデパートて作ったメガネ、居間に赤いメガネを置いて生活して来ました。本を読む、刺繍をする、メガネは必需品です。缶詰の裏も新聞も物を探す時もメガネが登場するようになりました。最低3本は必要です。

 雑貨屋さんで買った赤いフレームが好きでした。フレーム自体は5,000円ほどだったと思います。「IZIPIZI」というブランドでした。雑貨屋さんではすでに取り扱いがないことは知っていたので、ネットで探しました。色数も増えています。出来合いの「老眼鏡」もあります。「プチン」とすると翌日に送られて来ました。選んだ色は「ブルーベッコウ」です。 「ベッコウ」では当たり前で印象が固くなりますが、「ブルー」が入るだけで優しい柔らかさが出ています。それにちょうど春らしい。

 早速、刺繍も本を読むのにも使います。眼鏡なんてかけていると意識しないのに、新しいカラーを顔に載せていると思うだけで心が春です。実は、金属フレームの老眼鏡のツルが曲がっています。ベットでゴロンと本を読んでいてうっかり「老眼鏡」の上で寝てしまいました。作ってもらった眼鏡屋に持ち込むと、保証がどうとかで曲げを直すだけなのに高い修理費を言われました。使用に不都合があるわけでないので修理せず使っています。「IZIPIZI」の老眼鏡は6,000円少しです。そうだ!もう一本買おう!

 常時メガネをかける日がいつか来るでしょう。義母や母がたくさんの眼鏡を持っていた理由が今になってわかりました。

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ペロションさんのピンクの器

2024年03月30日 05時15分37秒 | 身の回りのもの

曇、16度、86%

 料理の記事をアップしているとその中で私が使っている器についてよくご質問をいただきます。「どこの焼き物ですか?」「どこで買えますか?」ピンクの器の時は「ピンクですよね?」と色を確認される方もいらっしゃいます。一番よく聞かれるのがこのピンクの器です。たった2つしか持ちませんが好きな器です。

 イタリア、トスカーナで焼き物を作っている女性作家「ペロション」さんの器を集め始めたのは20年以上前のことです。香港にも少しですが入って来ました。そのうち日本でも知る人ぞ知るでお名前が浸透していったように思います。薄い薄い艶がある器、ぽってりとしている艶なしの器、どれをとっても小柄な「ペロション」さんの作るものは手に馴染みます。

  ピンク以外は香港時代から使っている器たちです。今より求めやすいお値段でした。5個、3個と数も揃っています。ピンクは帰国後求めました。「ペロション」さんのピンクの器に初めて出会ったのは香港でした。シャイニーなピカピカのピンクのティーセット一揃いがディスプレイされていました。「本当にピンク!」当時30代後半の私は「このピンクは私は使いこなせない。」と買いませんでした。あの時の判断を後悔したのは60歳をすぎてからです。私自身が作る料理や菓子がピンクの器にでも合うと気づいてからのことです。日本での取扱店は限られていて、イタリアから入荷すると人気のものはすぐに完売します。ピンク、ブルー、イエロー、色鮮やかなものからマットな黒やグレーもあります。

 ピンクは色のバリエーションが豊富で5色ほど出ることがあります。昔見たシャイニーなピンクも健在です。私が選ぶのは少し赤みがかったマットなピンク、写真の写り具合ではピンクに見えないことも多い色合いです。 何でもかんでもに使いません。食卓に温かみが欲しい時、地味な料理をピンクに乗せると華やかさが生まれます。

 やや大きめな鉢はピンクも焦茶も「抹茶椀」としても使います。抹茶の緑とピンクのコントラストはこれからの季節を映し出します。両手で器を掲げると、収まり良い器を感じます。

 もしあと一つピンクの器をと言われたら、大きめな盛り鉢を選ぶでしょう。何もかもピンクで揃えるつもりはありません。出会いのあることを願ってます。

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菜切り包丁

2024年03月29日 05時20分17秒 | 身の回りのもの

曇、14度、89%

 「菜切り包丁」は私にとって一番大事な包丁です。 燕三条のグローバルの「菜切り包丁」を使い始めて20年は経っていると思います。今ではどこでも売られているグローバルの包丁は海外で評価をもらって日本でも人気が出ました。私は香港で買いました。一体化された持ち手と刃が見た目の美しさと手入れのしやすさにつながっています。20年、自分で研いで使いました。刃の幅は狭くなっていると思います。下手くそな私が研ぐので直線ではなくややカーブを描いた刃になりました。昨年末、刃物屋に研ぎに出そうと決意しました。留守中の包丁をまづ用意しました。木の持ち手の昔からの「菜切り包丁」を2本求めました。

 刃物屋には予め電話をしてどのくらい時間がかかるか尋ねました。「長くてもひと月です。」お正月料理の準備には間に合う!と急いで持ち込みました。翌日、刃物屋から電話です。「刃もカーブがついているので、ひと月半時間がかかります。料金は2万4000円です。」値段にびっくり!お正月月には間に合わない。一瞬考えて、「わかりました、研がなくていいです、明日取りに上がります。」と返事しました。この値段を出せば新しいグローバルの包丁が買えます。

 手拭いに巻いて持ち帰る間、この包丁は最後まで私が研ごうと心に決めました。今まで通り、切れないなと思ったらすぐに研げば、以前と変わらぬ働きです。

 「菜切り包丁」は日本固有の包丁だそうです。両刃で素人の私にでも研ぎやすいタイプです。持ち手が木のものよりはやや重いのですが、まだそこまで私の腕の力は落ちていません。留守を預かってもらおうと求めた2本の「菜切り包丁」はほとんど出番なく包丁立てに並んでいます。

 昨晩、一体私は刃物を台所にどのくらい持ってるかなと考えました。小さな「パン用のクープナイフ」大きな「中華包丁」までかなりの本数です。どれがなくても台所仕事がうまく回りません。朝一番からカウンターに出ている「菜切り包丁」は私の一番の右腕です。大事に使い続けます。

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ユーカリの枝を飾る

2024年03月28日 05時14分05秒 | 庭仕事

曇、12度、66%

 この家に古くからある木は3メートル近い高さです。ところが帰国して植えた「ユーカリ」「オリーブ」がその古い木より背が高くなり始めました。外来品種の「ユーカリ」「オリーブ」ですが地質が合えば本来の大きさに成長するのだそうです。共に数10メートルと聞いて驚きました。以来、春から秋にかけて数回枝を落とします。木質が柔らかで鋸を入れるのは楽です。

 香港から戻って2日目、天気予報に雨マークが並びました。雨が続くと目に見えて枝が伸びるのがわかります。気になっていた「ユーカリ」に刃を入れました。電線に届きそうです。風に吹かれると大きく揺れる「ユーカリ」です。どの枝を払うか慎重に選びます。切り過ぎも禁物です。冬の間に脇枝がたくさん出ています。枝を切るのは1時間ほど、その後、「ゴミ」に出すために枝を短く切り分けます。

 折角伸びた枝を「ゴミ」という形にするのが申し訳ないと思い、いつも数枝、家に持ち入り床の間に大きくいけます。新芽が出ている枝は水揚げが難しいので、切り口をよく叩きます。床の間の広い空間に「花」ではなく大枝の「ユーカリ」は堂々と映えます。

 この「ユーカリ」植えて5年は経つのにまだ花が咲きません。植えた翌年には台風で根こそぎ倒れました。「ユーカリ」の地植えは大きく育ちすぎて困ると耳にします。確かに頻繁に枝を切る必要があります。日本古来の木々とは違う生命力です。

 払った小枝も台所で水にさします。 雨は4日間降り続きました。雨の間、床の間の「ユーカリ」は我が家の空気洗浄機です。「ユーカリ」「月桂樹」この2本は空気を清めると信じています。

 今日も午後から雨予報、雨が上がったら「オリーブ」の枝払いです。花が咲く前、今しかありません。

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ロンガンのハチミツ

2024年03月27日 05時19分12秒 | 食材

曇、10度、76%

 「ロンガン」という果物をご存知でしょうか?「ライチ』と同じ種族の木になる果物です。薄茶色の皮に包まれ、その皮をプリンと剥くと白い身が果汁と共に出て来ます。「ライチ」ほど甘くはありません。初めて食べた時、どこかに「大根おろし」の匂いが口に残りました。「ライチ」よりひと月ほど遅れて市場に出て来ます。香港では「ライチ」はお隣深圳やタイから輸入されるのですが、この「ロンガン」は香港でも収穫できるのだと聞きました。

 昨日、ひょんなことから「世界三大ハチミツ」は何だろう?と調べ始めました。唱える人によって3つの選択は様々ですが、どの方も「ロンガンのハチミツ」を3大の中に入れています。我が家には主人が香港から持ち帰った「ロンガンのハチミツ」がこの春のラッキョを漬けるために蓄えてあります。「ロンガンのハチミツ」は癖はありません。甘みもくどさがなく食べやすいのですが、私にはなぜか解せません。

 「マヌーカハチミツ」はあれだけ薬効を謳われているのに3大には誰も押していません。小さい頃から「アカシア」が一番と言い聞かされていたのに「アカシア」も入っていません。クセの強いはハチミツ、は苦味があり美味しいとはとても言えません、「松のハチミツ」「栗のハチミツ」この2つは私が食べたハチミツのうちで食べ辛かった筆頭です。

 香港の「ロンガンのハチミツ」をぺろぺろと舐めていると、このハチミツは香港の新界の養蜂場で作られていると知りました。ウェッブで写真を見ると養蜂箱がロンガンの木々の間に並んでいます。入園可能だそうです。

 日本はハチミツの規制が厳しく日本基準を合格しないと輸入できません。日本で売られている「ロンガンのハチミツ」はスペイン産です。スペインのハチミツはレベルが高いと常々思っています。 スペイン産のアールグレーの香りの元「ベルガモットのハチミツ」が手元にありました。こちらもやや癖があるハチミツです。

 昨日は一日雨風、「ロンガンのハチミツ」の思わぬ発見から一日「ハチミツ」のことを考え続けました。アルギンがあるので赤ん坊や妊婦には勧められないハチミツですが、昔からある甘味料です。蜂蜜を味方につけて優しい治癒力を高めようと思いました。

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春のコート

2024年03月26日 05時09分29秒 | 身の回りのもの

大雨、12度、97%、雷

 三月の半ばを過ぎると道行く人が軽装になります。風も吹けば気温も上がらない日でも重い上着を着ている人を見かけません。お若い方ばかりではなく、私年配の方も颯爽と春物の上着をお召しです。この私まだ厚手のコートを着ていたいと思います。たった2日でしたが香港に帰っていたのでしみじみ寒いと感じます。でも、周りがみなさん薄手の物を着ているので私もやっと春のコートを出して来ました。

  20年以上前の「エルメス」のシルクのコートです。なんでもないデザインはいつまで経っても着ることが出来ます。軽い上にシルクなのでシワができません。幾度もトランクに詰めて旅行に持って行きました。ヨーロッパでの早朝の飛行機の乗り換えの時など重宝したコートです。

 もう一つは「マルニ」のトレンチコート。これも10年以上前のものです。今のデザイナーではなく初代のデザイナーの「マルニ」が好きです。トレンチコートはこの「マルニ」の前に「エルメス」のものを持っていました。正統派トレンチコートでした。肩のストラップ、背中は雨除けに二枚重ね、ゆっくりした身幅。いい品でしたが重いコートでした。小柄な私は着ているだけで疲れました。自分には不似合いと判断して若い友人に譲りました。その後、見つけたのが「マルニ」のトレンチコートです。

 肩ストラップはありませんが、大きなベルト、背中の雨除けの二枚重ねはトレンチコートそのものです。一番小さなサイズですので身幅が私にぴったりです。「エルメス」のトレンチコートで懲りている私でしたが「これ!」と決めた理由は実は襟の形です。 フラットカラーではありません。優しいカーブの襟が二枚重なるようなこの襟が決め手でした。こんな襟を作っていたのが初代のデザイナーです。この襟には仕掛けがあります。襟ぐりにぐるりと回った紐を襟の下でボタンで留めます。 するとこんな表情のある襟が出来上がります。紐の端が襟から出ているのが嫌なのですが。コットン素材ですが細身なので軽いのがありがたいコートです。

 季節の服を出してくるとボタンやほつれをチェックします。どれも古い服です。この2着のコート、思わぬ類似性を見つけました。黒のコートは一番上に2つボタンがあるだけのコートです。風除けをしたい時は細い共布のベルトを回します。 一番上の小さなボタンは紐状のストラップに留める仕組みで、襟元が閉まります。この2着ともに襟下のストラップで襟を締める仕組みでした。10年以上経って発見した共通性、こういうのが私の好みなんだと改めて教えられました。

 ここ数日、雨が続いています。お家でズボラな服装でもお散歩の時、このどちらかを羽織るとすっかり隠されて重宝です。コートの下には厚いダウンのベストを着込んでいます。コート一枚で出かけるにはまだ私には早過ぎるようです。

 

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ガチョウのローストを食べる

2024年03月25日 05時02分39秒 | お外の食事

雨、13度、94%

 ガチョウのローストを食べました。香港はアヒルのロースト、チキンのロースト、ガチョウのロースト、豚のロースト、鳩のロースト、スズメのローストどれをとっても美味しいものばかりです。繁華街のロースト屋さんの店にはガラスのウィンドウにぶら下げられたローストが並んでいます。

 ガチョウのローストの有名な店へ行きました。この店は中心部から離れています。足の便が悪い「深井」と言う街です。昔はガチョウのローストの店だけが煌々と明かりをつけていましたが、今では高層マンションが立ち並ぶ街になりました。香港空港からだと近い距離です。たくさん店がありますが、ミシェランの推薦店「裕記」に行きました。星はありません。長く香港に住んだ人ならこの店構えは当たり前ですが、ミシェラン推薦店と言っても昔ながらの簡素な店構えです。

 もちろん一番先に「ガチョウのロースト」を注文して他の品を決めていると早速「ガチョウのロースト」がテーブルに運ばれて来ました。想像以上に大盛りです。そこであと一品でお腹の具合をみることにしました。田舎町ですからワインのいいものがないかもと持ち込みました。ご覧の通りパリパリに焼けた皮、皮の下は脂がジュルジュル、身は赤みです。チキンと違う赤みの鳥肉、北京ダックも同じです。赤みの鳥は身を食べるより、皮とその脂身を食べるのものです。もちろん身も食べますが。梅ジャムのようなソースが添えられます。口の中に脂の甘さが広がり梅の酸味と甘みが程よいコンビネーションです。

 あと一品は私が「エビエビ」とうるさいので「エビの炒め物」です。 香港は川エビも海のエビも美味しく、エビシュウマイ、エビワンタンと有名な品があります。そして隠し味にエビを入れるのが上手な広東料理です。この店は「ガチョウのロースト」ばかりか海鮮料理も得意だそうで、エビの大きさ、火の通し具合、お味ともに満足でした。エビを発酵させたエビペーストが添えられます。強いて言えばもっとエビが食べたかった。

 主人も食べる量が減りました。このふた品とワイン2本でお夕飯終わり。お勘定を頼むと、昔ながらにデザートが出て来ました。 ココナッツミルクの「西米露」です。「西米」は日本でも流行ったタピオカです。台湾のものとは違い小粒でほんのり甘く仕立てられた「西米露」はお腹に優しく収まります。

 若い頃は九龍サイドの山歩きの帰りに立ち寄った「ガチョウのロースト」の街です。美味しい物と思われるなら是非「深井」の「ガチョウのロースト」を覚えておいてください。

 まだ食べたい物がたくさんありましたが、なに分にも時間がなくて、次回のお楽しみです。

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「蓬莱山」大きな薯蕷饅頭

2024年03月24日 04時59分55秒 | おやつ

大雨、16度、97%

 大きな薯蕷饅頭「蓬莱山」をお誕生日にいただきました。重さ約一キログラム、直径14センチ、高さ8センチ強。「蓬莱山」を見たのは数十年ぶりです。昔、母がよくこのお菓子をお遣い物に注文していました。そして決まって自分の分も一つ。私が小さい頃はあんこが苦手でたべられませんでした。ただ母がこの「蓬莱山」を切り分ける時はワクワクと見守りました。

 切ると、 中に小饅頭が入っています。子宝の意味がある小饅頭です。祝い事の時は小饅頭の餡は華やかに色付けされていますが、不祝儀の時は普通の餡が使われます。今回いただいたものは金箔が貼ってありました。外側の飾りも季節や使い道で選べます。切り分けたときの可愛さ見たさに「蓬莱山」が好きでした。

 いただいた翌日、香港へ行きました。「蓬莱山」は箱ごとラップに包んで野菜室に入れました。帰宅してからのお楽しみです。早速おやつに、お茶を点てて。 たっぷりの餡はくどくない甘さです。薯蕷の皮は厚めですがほんのりと香る「大和芋」が温もりを感じます。「こんなお味だったのね。」と餡子大好きな母を思い出しました。初め薄く切ったものの、美味しいのでついつい4分の一も食べてしまいました。

 バースデーケーキをいただくことはほとんどありません。この大きな「蓬莱山」今年の私のバースデーケーキです。昨日、お礼のメールを友人に送りました。「ご主人様とご一緒に召し上がるかと思ってました。」とのお返事。一瞬考えました。一人っ子の私は好きなものは独り占めでした。その癖が抜けません。4分の一を二重のラップに包み冷凍庫に入れました。次回の主人の帰宅時に楽しみます。今日は食べ過ぎないように気を付けなくては。 

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香港 雑感

2024年03月23日 05時21分39秒 | 香港

小雨、16度、75%

 たった二日間の香港でした。6年ぶりの国際線でした。用事が用事でしたから緊張していました。気持ちの上では主人がまだ住んでる街ですから遠くには感じません。些細な変化に香港らしさを感じます。

 何年ぶりでしょう?機内食をいただきました。 驚きは、スプーンやフォークが昔の金属製に戻っています。プラスチックの使い捨てを防ぐ取り組みです。やっぱり金属のものがいいと思います。キャセイらしい「ハーゲンダッツ」のミニ、 市販されていないこのサイズは食後のお楽しみです。

 今回の行動範囲はセントラルと空港だけです。デザイン的、機能的に優れたものをいくつか見つけました。 空港のトイレの手洗いです。普通は洗面ボールですが、すっきりとしたデザインに目を見張ります。 スマホの充電ブース、ケーブルの差し込み口が2つ、最近の小型の差し込み口もあります。羽田ですらまだ一つです。

  スーパーマーケットに行く時間がありませんでした。途中通りかかった野菜屋さん、福岡では4種類もの「マッシュルーム」を売ってる店などありません。

 主人が用意してくれていた「ギリシャヨーグルト」 値段を聞くと日本の高いものと同じくらいです。2種類用意してくれていました。 輸入物ですが、濃厚なヨーグルトに満足しました。日本のメーカーものは薄いと感じます。

 6年ぶりに引っ張り出して来たトランク、 東京に行く時はいつも大きなバックです。行きは主人の会社のスタッフや主人への土産が入っていましたが、帰りは、どうしても欲しかった「陳皮」だけです。 カラコロと軽快に引っ張りました。

 香港は刺激のある街です。イギリス人がいた頃、返還後、昨今の中国化、どんな時代も香港は前に進んでいるように思います。青空にキャセイの飛行機の尾翼が並ぶ景色、世界に向けて飛び立つ飛行機です。短い滞在でした。思いはぐるぐるとまだ回っています。

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モモとの思い出の街、街の人が覚えていてくれたこと

2024年03月22日 04時57分53秒 | 自分ごと

晴、5度、54%

 香港島セントラルから長く伸びるエスカレーターがあります。私はこのエスカレーターで市場の買い物も、映画に行く時も街に出て家に帰りました。 このエスカレーターの一番上の道沿いに主人とモモと住んでいました。

 日本に帰国して八十五日でモモを亡くしました。その翌年、香港に来た時は昔の住まいの辺りに行くことが出来ませんでした。モモを飛行機に乗せた空港ですら通るのが辛かった。モモとの思い出を避けていました。今回の香港、銀行での用事がやっと終わりました。この銀行から見上げれば住んでいた街です。私のことをよく知る主人が、エスカレーターで上へ上へと連れて行ってくれました。

  私が歩いている先が住んでいたアパートです。この歩道橋を毎日モモと歩きました。抱いてエスカレーターに乗っていましたが、8歳のある日、急にモモは自分でエスカレータに乗りました。そんなことを思い出します。「この角によくおしっこしていたなぁ。」主人が横にいてくれたおかげで、やっとこの街に帰ってこれました。

 一回り街を歩きました。不動産屋のおばさん、店から出て来てくれて「しばらく。」とハグします。クリーニング屋さんのおねさん、「しばらく、どうしてたの?」とカウンターの向こうから手を振ってくれます。修理によくうちに来てくれていたおじさんとも挨拶。街の人が私を覚えていてくれました。

 帰りには持ち帰りたいものを買いに市場へ足を向けました。 開発が進み市場はいずれビルに入ります。今その工事の最中です。「陳皮」を買っていつもの八百屋を覗くと、西洋野菜をいち早く売りはじめたと言う名物おばさん、いえ、お姉さんが私を見つけて飛んで来てくれました。ここでもハグ。

 途中主人は仕事に向かい一人でした。セントラルの街に降りて来た時、いろんな思いが込み上げて来て、ボロボロと涙が出ました。

 モモとの思い出をに乗り越えることが出来ました。街の人たちが私を覚えていてくれました。数年の赴任で住む人が多い香港です。人の入れ替わりが激しい街です。常に動いている香港です。私の肩を抱いてくれた人の温もりがまだ残っています。香港はこんな小さな私までも大きく包み込んでくれました。

 セントラルの交差点から見上げた見慣れた狭い空が「またおいで。」と言ってくれているようでした。

 

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