なんでもそうだが、すべての事物、現象は、
無次元、あるいは無限次元の・・空(くう)の中の波動エネルギーである。
諸々の「存在」ともいうそれは、
また変化してやまない物語でもあり、
そうであるがゆえに幻想、夢物語なのであるが、
それを通して、存在諸世界、多次元宇宙という反映を通して、
ひとつなる・・自らの無限を表明し続けている。
その意識、それを・・・無限の叡智・・・というならば、
何もみな、あなたも私たちも、誰もみな、・・それである。
「大いなる意識」といわれるそれこそが、
無限の空(くう)そのものに・・・描き続ける、
なんでもない、それだ。
なんでもない・・というと、ちぇっ・・何もないのかという思考が起きるが、
それでいつも逃し続けてきたようである。(笑)
なんだ、価値ある物ではないのか? 金にならねばなあ・・・。
そういうものを追い回す、
気づかず知らず、しみついた思考の世界の中にいたというわけだ。
誰かが作った?、あるいは人類、社会、親たち、自分たちが
営々として作り上げてきた、・・
不都合なマインドの幻想世界にいた・・わけだ。
意味不明だろうか?
・・・
人は普段何かを「意識」しているはずだ。
何かに気付いている、気にしている、注意をしている、
そういうことを含めて、それを「意識している」と言っている。
普段はそんなこと気にも留めず、
会社のこと、学校のこと、子供のこと、
自分の体のこと、政治のこと、あるいは世界情勢のこと、・・
いろいろなものを「気にしている」つまり意識している。
大体において、不安や、疲れや、重い忙しさを感じているだろうか。
お金の事、子供のこと、仕事のこと、対人関係の事、
様々なことを常時「意識」しているわけだ。
起きている間は、常に何かを意識している・・これは事実である!
そうではないか?
そしてその「意識」で生じる派生物・・
つまり、思考、思い、そして感情に気づいていない!
そしてそれらの現状での集大成、想念・・
想いが集合して大きな傾向を表すところの、想念、
それに気づいていないかもしれない。
これは文字通り<意識>・・が拡大する、あるいは進化することにおいて、
きわめて重要な関所、あるいはギャップ、あるいは超えるべきテーマである。
信じられる?
自らの発する、あるいは受動している思い、思考は、
記憶となって蓄積され、それがまた発信源となって、
その思いに沿った形で現象化しようとするのである。
思考や感情という、いわゆる精神的な事象も、
それは事象なのだが、
それもまた波動であり、我々の物理的、現実的と言っている、
この等身大の表層世界の、その背後にある、
いわばシナリオ波動というべきものである。
あなたの常日頃の思い、想念、固定イメージは、
あなたの見る夢、あなたの世界という現実の、シナリオ波動なのだ。
シナリオとは、
それが・・そういう風に・・なることの道筋を述べたもの・・だ。
これに心底気づいた場合、つまりひとつの「悟り」なのだが、
自分の思いに・・気づき、これを・・それとして見る、
いや思考の場合は見るのでなく、観る・・ことだが、
それがを絶対といっていいほど、重要なことと理解するのだ。
まあ、それも自由だよ・・というレベルの話でなく、
いわば必須だといっても良い。
なぜならば、思考や感情、イメージという波動は、
人が現実と言っている、この等身大の世界、3次元的世界の波動、
その波動を超えた次元の波動エネルギーであり、
それ、超えているということは、
こことは無関係の、その向こうにあるという意味ではなく、
ここに在って、かつここを形作り、またそれを超えてある・・ということだ。
空(くう)は3次元的な観点から見れば、真空で?
からっぽ、何もない、無意識、ゼロ、・・と観測されるけれど、
そうであるがゆえに、
様々な事象、事物が投影、展開するのである。
その展開する有様のその質的内容は、・・・
物質の波動レベルよりも高い周波数域の波動である、
「思考」「想念」の波動なのである。
つまりあなたの思い、想念の質がそれを観る投影世界を映し出す。
さらには、
意識として不滅のわたし、人はそれを「魂」ともいうが、
その魂・意識の、今世や、転生あるいは、
常に新たなる<今>の世界展開の重要なシナリオとなるのである。
因果応報とか、カルマとか、輪廻転生とか、
そういう話は、ある意味で真実だが、
無理やりそうなってしまうという話ではない。
魂・意識としての・・その自己表明のレベル、
それは思考や感情、行為として現れるものだが、
その魂意識の・・自己自覚・・その表現形によって、
その体験する有様、あるいはその展開世界が決まってゆくということだ。
(量子場では、見えない波動は粒子として、観測可能形を生み出す)
過去生も、今世も、来世も、・・今の意識・・の展開。
今の意識・・で表すものは何かといえば、
今の・・わたし・・の想念。
決して、外の世界の何者かではない。
外の世界は、投影される次元映画のようなもの、
1つの・・夢・幻(まぼろし)なのである。
とはいえ、表層の肉体エゴの安楽や持続だけの思いは、
小さい次元内の展開だけにかかわるものであるため、
それに終始してある人生を終わった場合には、
そのこだわりの・・現生の周囲にとどまり、
また、その思いのこだわり先である、この次元世界に生じてくる、
そういうことをやっていたのである。
それがこの世界の輪廻転生だ。
またそれも奇跡的な恩寵であるともいえようが、
もうそのような幼子的な魂表現は、この次元世界では終わりである。
アセンション、それは、
つまり単純に、魂の幼児期からの卒業であり、
人類の多くが、それを嫌々しているからこそ、
あるいは他の魂へのその嫌々の宣伝をする者たちもいるからこそ、
今まさに様々な混乱が起きているのである。
外側世界はこれから騒ぎと混乱の極致を通って、
おそらくだが・・、
まさにそう・・グレンとひっくり返るだろう・・・、
(これは文字通り、世界の転回、回り舞台である地球のそれ)
地球だって生まれ変わる時がある。
そうではないか?
それとも、単なる球体の地殻だと思うのか?
我々がそうであるように、それは魂・意識体というものであり、
壮大でありながら、様々に自己を波動展開している。
この世界にいる・・肉体ではなく、それを通して自己表現している、
わたし・・・魂・意識は、それを観察する意識視座に上る、
それは、意識内面の高次波動レベル・・である。
勘違いすべきでないのは、
3次元・物理的上空でなく、根源意識へとつながる、
波動エネルギー帯域における、より上層である。
物質という身近な形のみならず、
さらに精緻、精妙なる<意識>もまた波動である。
意味不明だろうか?
いつでも、どこでも、・・
本質的な・・魂レベルからの「想い」が重要ということだ。
あなたが今・・どう在りたいか?
展開する・・永遠の今・・の様々な在り方、
転生はどうありたいか?も含め、
すべては魂が決めていることなのである。
魂は、根源が・・第1義的に押し出した波動、
すべての根源、ソースが自らの分身として押し出した波動、
それであるからだ。
瞑想ともいうが、
ただ今・・今の・・わたしの在る・・ことを、
ただ静かに眺め、
おのれの内面に生じる・・意識波動を観ること、
それは一種の作業、行為であるが、
日常3次元的な世界の、手足を動かす行為ではなく、
自らの意識内面を感想し続ける意識的行為であり、
その行為の先に見いだされるのは、
自らの空(くう)という広大無辺さの中に、
こんこんとわき出でるがごとき、想いであり、
それを表現するエネルギー・波動であり、
またその想いを観ている・・何か・・、
ただ、無限の叡智というしかない、空(くう)である。