50年ほど前に作られたコンクリート製水路です。 本当なら石垣市の文化財に指定しても良い位なのに、街に近い物はほぼ撤去され、オイラの知ってる物で残っているのは「和宇慶墓」のそばくらいかな? 山中には今もその姿を残し、少しのメンテと掃除さえすれば今でも使えそうです。
この水路は沢から直接水を取ってコンクリートで出来た水路で浄水場まで流したそうです。
和宇慶墓の側にある水路橋(水道橋)なんかかなり街に近く、そこまで何キロも繋がってたというから驚き。 オイラが石垣に来た頃には畑の真ん中を突っ切る水路橋(水道橋)も残っていて、最初は「ありゃ、なんだ?」と頭を捻ったのを思い出します。 もし画像が出てきたら、そのうち載せますね。
次回もこの続きとして同じ山中にあったもう一つの水道施設を紹介します。 手持ちの資料が少なく書く事がまだあまり無いので画像ばかりです。 和宇慶墓の事は以前のブログ、「リフトアップ石垣島エコツアーOpen Place1」に載せてます。 「水路橋(水道橋)」の事は←こちらです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます