聖なる律法

 「私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。
 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。
 それは、戒めによって機会を捕えた罪が私を欺き、戒めによって私を殺したからです。
 ですから、律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いものなのです。」(ローマ7:9-12)

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 ここでいう「死」とは生物としての人の死とは違って、ここでいう「殺した」というのは殺人とは違う。
 「死」とは聖なる律法の罪に死ぬことであり、あえて言うなら御父に殺されることを指す。
 もう行き詰まってしまってどうにもならなくなった私を御父が殺して、そして御父は私をよみがえらせる。
 このわざは2000年前に御子イエスによって示されたもので、私たちはこのイエスと同じようになって救われるのである。

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[一版]2021年 8月28日
[二版]2024年 3月 3日

 イエス様の平安がありますように!

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