今から5年前に書いた↓↑自作物語『虚構の絵の具』。
透明な容器に入れた時は確かに色をもっているけれど、筆にとって真っ白なキャンバスに絵を描こうとすると、色が出ない。それを私は「虚構の絵の具」とこの物語の中で名付け、青、白、銀の3色の虚構の絵の具が物語の中で出てきて、どこにでもある快晴の青空を描いているキャラクターをが出てくる。
色は確かにある、けれど、使ってみると何の色も出ない。そんな絵の具なんてありはしないが、私はその絵の具を使って今から10年前の2004年から目に見えた空(そら)を描き始め、ついに何もない絵を描き切ったように思う。物語中のに出てくる虚構の絵の具を使って絵を描くキャラクターがみたら「ついに出来たんだ」と言うだろう。その時のキャラクターの表情はどんななのだろう。解らない。
私は、きっと、理由もなく最初に太陽に相当するものを虚構の絵の具「銀」で描き、次に雲を虚構の絵の具「白」で描き、大きな空を虚構の絵の具「青」で描き1枚の誰の目にも私の目にも「何も見えない絵」を描き切った。10年もかけてやることか?と思うが私は、裸の王様の様に、ないはずのものをあるものと思い込み、せっせせっせと何もない絵を描き切ったようだ。そして、途方にくれたようだ。
「この10年は何だったんだろう」
何もないものを何となくで描いて描いて、何をしたかったのだろう。
虚構の絵の具の正体は、きっと私が23の時に手にした「何もない現実世界での夢」だったと思う。生きる上での夢、或いは、目的、そう言ったものとそれは言って良い。キャンバス1枚と筆そして絵の具は揃ったのでなんとはなしに描き始めて、何か出来てきたなとひとりで調子ずいて思い込みそしてひとりで勢いづき、とりつかれた様に何も見えない絵を描き続けた。描いている途中で「何の絵を描いているの?何も描けてないのに」と言う声を振り切って。
そんな事を形にしたくて、5年前の2009年に『虚構の絵の具』を描いた筈はなく、その物語の「あとがき」にある様に、「青く澄んだ空」を見て考え付いた話であり、5年後の2014年の今日9月2日書いたこの記事に書いた話がモトネタな筈はない。だが、この自作物語は、きっと私の心の奥底で眠っていた気づいて気づかない気づいていても振りきっていた感情だったんだろうと今は思う。夢も目標もなく、どんな形であれ「何となく日々を生きた」と言うあかしが、1枚の何も描かれていないキャンバス。
手元にはなくなった絵の具と使えなくなった筆とキャンバスが残った。なんと言う話だろうと思うが、空(から)を描き続けていたなんて思いたくはない。しかし、私は虚構の絵の具で10年もかけて何もない絵を描いてしまった。よく、そこまで夢中になれたな、と思うが、ないものをあるものとして自分をだまし続けられたことも凄い話で。描いても描いても何も残らない、キャンバスと筆と絵の具入れの容器と私ひとり以外は。
透明な容器に入れた時は確かに色をもっているけれど、筆にとって真っ白なキャンバスに絵を描こうとすると、色が出ない。それを私は「虚構の絵の具」とこの物語の中で名付け、青、白、銀の3色の虚構の絵の具が物語の中で出てきて、どこにでもある快晴の青空を描いているキャラクターをが出てくる。
色は確かにある、けれど、使ってみると何の色も出ない。そんな絵の具なんてありはしないが、私はその絵の具を使って今から10年前の2004年から目に見えた空(そら)を描き始め、ついに何もない絵を描き切ったように思う。物語中のに出てくる虚構の絵の具を使って絵を描くキャラクターがみたら「ついに出来たんだ」と言うだろう。その時のキャラクターの表情はどんななのだろう。解らない。
私は、きっと、理由もなく最初に太陽に相当するものを虚構の絵の具「銀」で描き、次に雲を虚構の絵の具「白」で描き、大きな空を虚構の絵の具「青」で描き1枚の誰の目にも私の目にも「何も見えない絵」を描き切った。10年もかけてやることか?と思うが私は、裸の王様の様に、ないはずのものをあるものと思い込み、せっせせっせと何もない絵を描き切ったようだ。そして、途方にくれたようだ。
「この10年は何だったんだろう」
何もないものを何となくで描いて描いて、何をしたかったのだろう。
虚構の絵の具の正体は、きっと私が23の時に手にした「何もない現実世界での夢」だったと思う。生きる上での夢、或いは、目的、そう言ったものとそれは言って良い。キャンバス1枚と筆そして絵の具は揃ったのでなんとはなしに描き始めて、何か出来てきたなとひとりで調子ずいて思い込みそしてひとりで勢いづき、とりつかれた様に何も見えない絵を描き続けた。描いている途中で「何の絵を描いているの?何も描けてないのに」と言う声を振り切って。
そんな事を形にしたくて、5年前の2009年に『虚構の絵の具』を描いた筈はなく、その物語の「あとがき」にある様に、「青く澄んだ空」を見て考え付いた話であり、5年後の2014年の今日9月2日書いたこの記事に書いた話がモトネタな筈はない。だが、この自作物語は、きっと私の心の奥底で眠っていた気づいて気づかない気づいていても振りきっていた感情だったんだろうと今は思う。夢も目標もなく、どんな形であれ「何となく日々を生きた」と言うあかしが、1枚の何も描かれていないキャンバス。
手元にはなくなった絵の具と使えなくなった筆とキャンバスが残った。なんと言う話だろうと思うが、空(から)を描き続けていたなんて思いたくはない。しかし、私は虚構の絵の具で10年もかけて何もない絵を描いてしまった。よく、そこまで夢中になれたな、と思うが、ないものをあるものとして自分をだまし続けられたことも凄い話で。描いても描いても何も残らない、キャンバスと筆と絵の具入れの容器と私ひとり以外は。