黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

モラル・ハザードについて(2)

2008-04-17 11:13:56 | 近況
 昨日書いたばかりだというのに、今日もまた「モラル・ハザード」について書かなければならないのは、少々悲しいことでもあるのだが、昨日の夕方、これも「モラルハザード」の典型だな、と思う事例にぶつかったので、書いておく。
 それは、僕の研究室に所属する院生(女性)に前から僕が彼女に貸していたもの(具体的には書けないが、かなり重要なもの)を返して欲しいと伝えていたのだが――1年ほど前から顔を見せなくなり、昨年度末に手紙でどこかの図書館に就職したと伝えてきた――、その大切なものの返却をこともあろうに、下級生の院生に頼んで自分が大学を去るに当たってまとめておいた段ボール箱(そのまま置いておけば、いつかは処分されるようなもの)の中から探させ、僕の元に届けさせたのである。彼女とは学部のゼミからの付き合いだから、かれこれ7,8年僕の研究室に出入りしていた学生だったのだが、今回の仕打ち(処理方法)は、何とも「情けない」やら、彼女のどこかが「壊れて」しまったのではないか、と思わせるようなもので、彼女からの連絡が全くなくなるということ自体が信じられないことである。
 特別に僕が「パワー・ハラスメント」を行ったり、「セクハラ」行為に及んだと言うわけではなく、正直「文学好き」な彼女には「期待」こそあれ、「排除」するような気持ちは毛頭なかったのに、今回の仕打ち。今でも「あの子が何故?」と信じられないのだが、そのように思えば思うほど、やはり社会のどこかで「モラル」が破壊され(崩壊し)ているのではないか、という思いが強くする。彼女は多分、借りたものを返したのだからそれでいいではないか、と思っているのかもしれないが、それならそれで、返し方というのもあるのではないか、と思う。こちらが「返して欲しい」とお願いしたのだから、自分は直接返せないが、○○さんに頼んだのでそれで宜しくお願いします、と一言あればよかったと思うのだが、今朝になっても何の音沙汰もなし。
 「ジコチュウ」が蔓延していることについては、事あるごとに書いてきたことだが、「殺す相手は、誰でもよかった」とか「金品が目的で殺した」とか、反吐が出るほどに「命」の安売り状態が続いているさまを見せ付けられていると、どれもこれも「ジコチュウ」から派生したものだと思え、先の彼女もそのような振る舞いを続ければ、決して「幸せ」な人生を歩めないのではないか、と危惧する気持ちもわいてくる。どれもこれも「格差社会」が生み出したものであり、それはまた、飛躍しすぎだと言われるかもしれないが、社会全体を覆っているネオ・ナショナリズムと連動しているとしか思えず、余計「腹立たしく」思えてしまうのである。
 それ故、虚しいとは思いながら、別な方向である「他者との共生」を何故強く願わないのか、と思ってしまうのである。相手を思いやることが真の「やさしさ」だとすれば、「他者との共生」を思考(志向)しないネオ・ナショナリズム=ジコチュウ世界は、素寒貧な未来しか僕らにもたらさない。そんなことはどんなことがあったって、厭ではないか。

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3 コメント

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Unknown (便所の落書き男)
2008-07-01 18:49:42
彼女のモラルが低下してるんじゃなくてお前が嫌われているだけだ。モラルというものが机上の空論じゃないと思っているならそれは間違いだ。
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Unknown (さちこ)
2008-07-05 21:12:46
セクハラ上司の言動にそっくり。。。



ハラスメントの被害者はいつも泣き寝入り、、
世の中悲しいことばかりです。。。
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どう対応すべきなのか? (黒古一夫)
2008-07-06 06:49:51
 便所に落書きするようにしか他者に対応できない、つまりあの狭い空間で自己の「やるせない不満やフラストレーション」を、ヘタな「卑猥な絵」に託して書くことしかできない「「便所の落書き男」については、「モラルというものが机上の空論じゃないと思っているならそれは間違いだ」という、何を言いたいのか分からない論理(ロジック)から判断して問題外だが(僕はこの手の「分かった風な論理」で他人を批判したような気持になっている「卑怯な輩」が大嫌いである。僕のことを嫌いであろうが好きであろうが、借りたものはきちんと返すという、人として最低のモラルの行使さえ否定する「便所の落書き男」の倫理観は、一体どうなっているのか?)、「さちこ」さんの「ハラスメントの被害者はいつも泣き寝入り」というのが、僕の言説から導かれたものであるとすれば、大いに反省しなければならないだろう。
 大学教授という立場は、学生からは「絶対的な権力」としてしか目に映じないものだろうし、実際そのような「権力」を揮っているな、と思うときも無いわけではない。実際、そのような権力行使が嫌だから、僕は自著をこれまで一度も教科書として使用することさえも拒んできたのだが、それでもどこかで、何かで「ハラスメント」を行使しているかも知れないと思うと、「ぞっ」とする。
 なかなか人に気持は伝わらないものである。
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